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ふたり。となりで、  作者: 柳谷ゆいら
第1章   【遊び】
9/10

   7

 あの日――『(あん)()()』に行った日――から、まだ二日しか経っていないのに。

 松野の野郎は、また『暗花屋』に行こうと言い出した。今日はもともと、大学の講座がない日だったから、暇だったと言えば暇だったけど……。


「こんな短期間で行くところじゃねえだろっ」

「いいんだよ、ほら〜♪」


 まあ、こいつと合流してしまった時点で、引きずられるのは決定していた。勝手にひとん()に上がりやがって……。母も母だ、こんな奴、家に上げんな……。

 細い路地に入ったところで、俺の手を痛いほど引っぱっていた松野が、急に立ち止まった。


「ぶっ!?」


 (とう)(とつ)過ぎたから、勢いあまって彼の背中にぶつかってしまう。


「おいっ、なんなんだよ」


 声を荒らげて言うも、松野は一切反応なし。(あっ)()にとられている、という感じだ。


「おいっ、まつ――」

「守っ!?」


 これまた唐突に、前方から声がした。守、って呼ぶってことは……松野の知り合いだよな……?

 松野の肩からひょっこり顔を出すと、そう遠くないところに、数人の子ども二列に並ばせて引き連れている、ひとりの少年がいた。ずいぶわ整った顔立ちをしていて、驚いた顔も、なかなか愛らしい。


(なお)……」


 松野の口からぽろりと、つぶやくような声が()れた。一度も、聞いたことがない名前だ。


「なおにーちゃん?」

「おにいちゃん、おかいものぉ〜」

「はやく帰って『雪にだいふく』食べたい!」

「『雪にだいふく』!」


 尚と呼ばれた少年の後ろで、小学校低学年くらいと思われる男女の子どもたちが、そう騒ぎ立てた。尚くんは、そんな子どもたちをなだめ、小走り気味に、こちらに歩み寄ってくる。

 『おにいちゃん』ということは、弟や妹ということだろうか。

 …………頑張ったな、ご両親……。

 尚んは松野を見て、にっこりと笑う。


「いまから?」

「おう。でも、おまえいないみたいだし、待つわ」

「分かった、悪いな。ゆっくりしていってくれ」


 え? どういうことだ?

 俺はひとりわけが分からず、頭のなかを「?」でいっぱいにする。いまから行くのは『暗花屋』であって、尚くんの家ではないはず……。

 ふたりは俺を置いてけぼりにして話を進めていく。

 そして、ぴたりと会話を止め、こっちに気づいたのか、俺に会釈をしてくる。


「どうぞ、ごゆっくり。後から参りますので」


 よく分からん。


   〇 ● 〇


《姐さん》の(つや)やかな髪は、ウィッグとかじゃなく、《姐さん》自身の髪だった。手入れをしっかりしているんだなっていうのが、髪を()いていると、よく分かった。

 いつものように、開店前の()()(たく)として、《姐さん》のの髪を梳いていると、ときおり、(えり)(あし)が見えて、どきりとした。


「きもちいぞ」

「へっ?」


 思わぬことばに、()(とん)(きょう)な声をあげる。こちらを振り返った《姐さん》は、大切なものを見るような目を、向けてくれた。


「おまえの(くし)。いい感じ」

「そう、ですか? そう大して変わらないかと……」

「いいや。なんていうのかな、こう……」


 聞いていて心地のいいバリトンの声でつぶやき、あごに手を当てて考えはじめる《姐さん》。こちらも手を止めて、《姐さん》からのことぱを待つ。

 やがて、《姐さん》はちいさく声をあげた。


「なんか、(した)ってくれてるのが、伝わってくる」

「へっ!?」


 予想外の単語に、心臓が飛び跳ね、からだがのけ反った。びっくりし過ぎて、櫛が宙を舞いかけた。

 こちらの反応がよほど面白かったのか、《姐さん》は口元に手を添え、くすくす笑い出す。


「驚き過ぎだって」

「いや、だって……」

「面白いけど、もうすぐ《旦那さま》がいらっしゃる。しっかり、身なりを整えないと。髪をお願い」

「あっ、はい。すみません……」

「いいから。よろしく頼むよ、禿(かむろ)『藍花』」


 ゆったりとこちらに背を向け、しゃんと背筋を伸ばす《姐さん》。

 あらゆる場面を経験してきたこの方の背中は、誰の背中よりも、(りん)としたものだった。さまざまな思いを、背負っていた。

 たくさんの感情が、その背にはある。

 喜びも。悲しみも。怒りも。切なさも。楽しさも。

 このひとは知っていた。決意をもっていた。


   〇 ● 〇


「よく寝ているね、拓也にいさん……」

「きれぇー……」

「ばか、おすなよ。にいさんにきづかれるだろ」

「物音を立てちゃ駄目だからね。にいさんが起きちゃう」


 もう気づいてるし、起きてるよ。なんかごめんね。

 (ふすま)の奥の弟たちに、心のなかで謝罪する。いま目を開けて起きれば、こいつのせいで目を覚ましただの、あいつのせいだだのと、(けん)()がはじまる。それは、こちらの望むところではない。

 しかし、きっとあと二時間もしないうちに、開店時間を迎える。どちらにせよ、十分以内に起きなければ、開店に響いてしまう。


「疲れてるんだね、拓也くん……」

「そりゃあ、そうだよね。お客さんの相手して、勉強して、お(けい)()もして……」

「この間、(オー)(ナー)と温室の植物の手入れしてるの、見たよ」

「たくやにいちゃん、はたらきもの……」

「一日くらい、休めばいいのにね」

「外野は(だま)ってなさい」

「「「アキパパっ」」」

(アキパパ……)


 この呼び名は、何度聞いても笑いを(こら)えるのにひと苦労だ。

 (オー)(ナー)でもあり、我らの父親代わりでもある彼の下の名前が(あきら)だから、『昌パパ』を略して『アキパパ』なのだろうが……。

 そのクールな見た目に、あまり合わな。

 アキパパこと昌は、ため息混じりに言う。


「あれが、あいつの望むことなんだから。なにも言うな」

「むー……。じゃああたしも、おにーちゃんみたいに、はたらきものになる!」

「おれも!」

「あたしもー!」


 さっきまでこそこそしていたのが嘘のように、襖の奥が騒がしくなる。

――働き者に、か……。

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