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微笑した姿は、背筋がぞくりとするほど色っぽく。
目をすっと細め、流し目をされると、その白く美しい肌に、手を伸ばさずにはいられない。
心臓を鷲掴みにされたような心地がするのは、なにも客だけではなかった。接待を学ぼうと、彼を眺めていた《花》たちは、みな魔法にかけられてしまったように体を硬直させ、思わず仕事の手を止めてしまっていた。
よく覚えている。
艶めかしく微笑む彼を目当てに、『暗花屋』に来る者ばかり。それに妬く《花》が、いなかったわけではない。でも、《姐さん》を誇りに思う《花》が、圧倒的に多く。
僕らの《姐さん》は、より多くの人々を……もてなした。
〇 ● 〇
「んん……っ」
首筋を這うぞくぞくした感覚に、声を漏らしながら、身をよじる。肩に垂れた髪をちいさく揺らす吐息が、みょうに部屋に響いて聞こえる。
「『紅花』……」
「……いつもどおりで、いいよ……?」
守の頬に手を伸ばし、くちびるを弧のかたちにしながら語りかける。
――守に、なら。
呆れたように、でもちょっと嬉しそうに笑うと、松野は女物の着物の襟に手をかける。
「誰にでもこんなこと、するなよ」
〇 ● 〇
「なんか、ごめんなさい……」
「あ、謝るなよ。無理言ったのは俺だし」
なかなか気まずい雰囲気のなか、俺は『藍花』の器に、緑茶を注ぐ。ちょっと困ったように笑う彼は、あいかわらず、なんというか……こう、うん。可愛かった。変な気分になる、まではいかない。いってたとしても言うかっ。
俺の願いに、『藍花』は応じてくれた。まだ戸惑うように視線を泳がせたり、指を絡めたりして、少々居心地が悪そうである。
なんか、ちょっと申し訳ないな……。
「ありがとうございます」
器いっぱいに緑茶を入れ終わると、『藍花』は俺に向かって、ぺこりと頭を下げる。
「いいって。俺としては、こっちのほうが慣れてるっていうか……」
「そうなんですか?」
ちょっぴり飲み物をくちに含んでから、『藍花』は首を傾げた。しゃらり、と耳に心地いい、簪が鳴る。
俺もすこしジンジャーエールを飲んでから、縦に頷く。
「ああ。バイトで、飲食店にいたことあるからさ。それに、そんな、丁寧にもてなされたことねえし」
「…………お友だちがいらっしゃらないんですね……」
「ちげえよ!?」
とんだ誤解だ。
たしかに、友だちが多いほうではなかった。でも少なくもなかった。
決して友だちがいないわけではない。決して。
俺の大声に驚いたのか、ぎょっと目を見開いてから、すぐ、ふふっと笑い声を漏らす。
「ごめんなさい、冗談ですよ。面白いですね」
「それはねえよ……」
「ふふふっ……あの、松野さんに誘われて、いらしたんですよね」
「え? ああ」
ぐいっと、器のジンジャーエールを飲み干してから、俺は答える。
さきほどのすこし茶化す感じとは違う声音に、器をテーブルに置いた。『藍花』の意図はよく分からないが、真剣に聞いたほうがいい気がするから。
俺の行動が予想外だったのか、彼はすこしまゆを動かして。
「なにか、言われてきたんですか?」
「ん? なんのことだ?」
よく意味が分からず聞き返したのだが、『藍花』にとっては、この答えだけで十分だったようだ。
なぜか、安堵したように胸を撫で下ろし、ひかえめに微笑む。
「いえ。分からないのなら、それでいいです」
「え? いや、でも――、」
プルルル……
部屋に備え付けてある固定電話が、やかましく鳴った。
「すみません、ちょっと」
礼儀正しく、深々と頭を下げると、やはり優美に背筋を伸ばしながら、固定電話に歩いていく。受話器を手に取ると、部屋番号と源氏名を告げ、電話の向こうの人物の話に、耳を傾ける。
すべての用件を聞き終わったのか、彼は「失礼します」と言ってから、受話器を戻した。
こちらを振り返った『藍花』の表情は、心なしか、沈んでいるように見えた。
「すみません。他のお客さまからのご指名を受けまして、その、お酌をしなくてはいけなくて……」
つまりは、お開きということ。
なぜすこし落ち込んでいるのかは、よく分からない。指名が多く入るということは、それだけ「売れている」ことを意味するはず。
もしかして、俺に同情してくれているのだろうか。
申し訳なさそうに、まゆを八の字にする『藍花』に、俺は笑いかける。
「分かった。えっと、松野は……」
「松野さんは、まだ、ちょっと……。後ほど、お送りいたします」
「?」
なぜ連れて帰ってはいけないのだろう。純粋に疑問に思い、首を傾げると、『藍花』は困ったように笑った。
「ここは……『そういうこと』を、するところですから」
「そう、いう…………? あ」
理解するのに、時間をかけてしまった。正確には、一瞬、頭がフリーズしてしまったのだが。
つまり……そういうことか。いま、そういうことをしてるのか。
思わず、すこし頬を赤らめると、『藍花』がくすりと笑った。
「ふふ……では、行きましょうか」
「え? でも、指名のほうは……」
「だいじょうぶです。お見送りいたします。……また、いらしてくださいね」
〇 ● 〇
「ほんとうに、来たんだってな」
離れではしゃぐ子どもの声を遠くで聞いていたら、唐突に、背後で声がした。振り返らなくとも、誰かくらい分かる。
「でも、覚えてなかったよ」
「よかったじゃん」
「……うん」
月明かりに照らされて、青白く発光しているように見える、自分の手を、じっとながめる。
「守が、笑ってたぜ」
「えっ?」
予期せぬことばに、振り返る。声をかけた人物は、なぜか呆れたようにため息を吐く。
「あいつは、世界一鈍いって」
「鈍くて安心したよ」
「変わり過ぎた――いや、以前と変わらない自分を見て、失望されたくないから?」
「うん」
「でも、気づいてくれなくて、さみしい?」
「…………ううん」
視線を、足元の砂利に落とす。まっ白なそれらは、月の明かりを受けて、きらきらと光る。
「なんでさ。このままじゃ、おまえと町崎さんは、ずっと《花》と《蝶》ののままだぞ?」
呆れ返ったように言う彼の気持ちも、分かる。
でも……。
「約束を破っちゃったんだ。もう、あのひとのまえでは、『藍花』としてしか、振る舞えないよ」
「ふうん……」
頬を刺すような、強く冷たい風が吹いた。
お久しぶりでごさいます……柳谷です……。
こちらの都合でなかなか更新できない日が続き、申し訳ありませんでした。
立場上、ガンガン更新していくというのが難しい状況下となっており、更新頻度はかなり低くなるのではと見込んでおります……。
マイペースにですが、続きは書いていきたいと思います。
なにとぞ、よろしくお願い致します。