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無言で口を動かし続ける松野を、期待を込めて、『紅花』は見つめる。
きっとなにか思っててくれているはず、うん。いつもなにかコメントしてくれるもん、うんうん。
好物なのか、いちばん、よく作れと言ってくるのは、クレープだ。その次がオムライス。その次はカレー。結構ガキっぽい。
いつも、食べる度にコメントくれるから、楽しくなって、ついつい作ってしまう。稽古の合間に、練習までしちゃったし。
……それに、なんていうか……。
(楼主には、申し訳ないけど……)
客である《蝶》に、《花》が恋をしてはいけない理由は色々あると、昔、楼主は言っていた。
別に、ほんとうにお互いが『愛し合っている』なら、いい。
でも、恋するのは、駄目。
待つことしかできない《花》が、好き勝手に飛びまわる《蝶》に、『恋をする』のは。
「…………おまえ……」
「!」
突然呼ばれ、自分の世界に入り込んでいた『紅花』は、びくっと肩を震わせる。
はっとして振り返ると、皿に載っている、食べかけのクレープを見つめて、かたまっている。珍しく真顔な松野に、心臓がどくっと跳ねた。
も、もしかして、美味しくなかった……? なにか、失敗してたの……?
急激に不安に駆られる。
無意識的に、女の子みたく、胸元に手が添えられた。
嫌だ。
なんか、守に美味しくないって、言われるのは、なんかやだ……!
そっと口を開いた松野を見て、ぎゅっと手に力を込めると。
「おまえ、うまくなったな……!」
「――……へ……?」
ほ、褒めて、もらえた……?
てっきりだめ出しされるんじゃないかと思っていたから、予想外の展開に、『紅花』は一瞬呆けたあと、自然と笑顔になる。
「ほ、ほんと……?」
「おう。焼き具合といい、具のチョイスといい……最初の頃より、ずっとうまくなってるぜ」
「っ、ありがとっ」
「のわっ!?」
自分のすぐ頭上で、松野が戸惑う声が聞こえる。抱きついてるんだもん、当たり前だよね……。
ぎゅーっと、腰に回した腕に、ちからを込める。くすっと笑む音とともに、ぽんぽんと、優しく頭が撫でられる。
「んん……」
その手に擦りつけるように、頭を彼の手に押しつける。
「おまえ、ほんと、これ好きなのな」
だって、気持ちいいんだもん。
それに、なんか守にやってもらうと、胸の奥のとこが、ほっこりするの。
口には出さないで、すりすりと彼の手に、自らの頭を撫でてもらうよう、擦り寄る。松野の表情も柔らかく、微笑を浮かべながら、クレープの皿を近くの机に置き、『紅花』を撫でてくれた。
ふわっと、クレープにかけたソースが香る。
甘酸っぱいそのにおいに、『紅花』はふっと、顔を上げた。視線に気づいた松野が、そっと首を傾げる。
「……なあ、守」
「ん?」
おでこのあたりをいじりながら、微笑みをたたえて、松野は応じる。
こんなことばっかり言ってたら、嫌がられちゃうかな。
目的がこれだって、思われちゃうかな。
……でも、しかたないよ。
優しく頭を撫でていた松野の手を、日の元にいたなら、眩しいと感じるほど、まっ白な両の手で、包み込む。
温もりが、よく伝わる。
こういう、奴だから。
部屋の隅の燈籠が、ふっと明るく輝く。
「そろそろ……しない、か?」
○ ● ○
飲み物が半分ほどなくなったところで、『藍花』はふっと、俺をもてなすためにせわしなく動かしていた手を止めた。
「………………」
「? 『藍花』?」
俺が覗き込むと、はっとしたように、『藍花』は肩を震わせる。
……『藍花』?
見つめ続けていると、数秒後、『藍花』は顔を上げて、俺に向かって、ふわりと柔らかく、微笑みかけてくれた。
――正確な時間は分からないけど、感覚的には、1時間くらい。いや、楽しいときははやく過ぎるというから、もっとだろうか。
この、女の子のような少年・『藍花』と、ときを共にしていた。
遊郭などで言えば、ここは座敷というのだろう。雰囲気も出ている。敷き詰められた畳に、部屋の四隅で、ときおりゆらゆらと揺蕩う、燈籠の灯。装飾品も和風で、すこし違和感が出ているとすれば、襖ではなく、扉であることだけ。
遊郭では、夢のときを実現するため、財布を預かると言うが――ここの場合は、時間の経過を忘れるため、時計を設置しない。そういうことだろうか。
気が利いているような、迷惑なような。
「すみません。僕ってば、ぼんやりしてしまって……」
「いや、俺のほうこそ悪い。お前にさせてばっかりで……」
「いえ。これが僕のお仕事ですから。お気になさらずに」
軽く髪の乱れをなおすように、垂れてきた前髪に触れると、『藍花』はコップに、飲み物を注いでくれた。
「……お前も、飲めば?」
「へ?」
素っ頓狂な声をあげた『藍花』に、自分のコップを差し出す。
しばしぽかんとしていた『藍花』だが、状況をやっと飲み込んだらしい。あっと声を漏らしてから、すぐに、着物の裾をばさばさうるさくさせながら、慌てた。
「だだっ、駄目ですよ、そんなっ。町崎さんには、楽しんでいただきたいですしっ……」
「…………………そっか……」
「うん、うんっ」
ぶんぶん首を縦に振る『藍花』に、ちょっとため息が漏れる。
俺も客でここに来ている身で、『藍花』はもてなす店員のような役目なのかもしれない。
……でも、年も近いし、話していて楽しい。
もっと親しくなりたいって、思っちゃ駄目なのかな。
「…………どうしても、駄目か」
思わず、そんな言葉が口を突く。ほとんど無意識的に出た言葉に、俺も『藍花』も、きょとんとしてしまう。
…………俺、いま……。
「っ……」
しゃら、と、簪が音をたてて、揺れる。頬が引きつったのを見て、俺はおどおどしながら、訂正しようとする。
「い、いやっ、その、えと……」
「……………………」
引きつらせた頬をぴくぴくさせているのを見ると、なんと言いますかね……。
(言ったこっちが、たまらなく恥ずかしくなるじゃねえかっ……)
「……あ、あの」
「! あ、ああ?」
突然呼ばれ、戸惑いながら返事をする。『藍花』の引きつっていた頬が戻り、今度はくちびるが、への字に曲がってしまった。
な、なんだろう、これ……。
ちょっとうつむき。次いで、そっと口を開く。