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(って、落ち着いて花魁とかだ、じゃねえよ!)
夜の蝶、夜の蝶ってやつか!? 真っ昼間から!?
あのぅ、すんません。まだ午後入ったばっかりなんですけど……。
「どうかしたでありんすか?」
「はぬぇ!?」
うわあ、変な声出た……。
恥ずかしさで頬を紅潮させ、ばっと自分の口を塞ぐ。
話しかけた本人の少女は、きょとんとして俺を見つめ、紅を指した口は、半開きになってしまっている。
は、恥ずかし……。
視線を泳がせ、言い訳を探していると、鈴の鳴るような可愛らしい声で、少女が問いかけた。
「……失礼でありんすが……ここが、どういうところか、分かっていんすか?」
「…………え?」
どういうところか分かってるのか、って聞かれたんだよね、たぶん……。
そ、それは、その……答えないといけないのか。
花魁とかの、ワードを……。
「あ……わっちの性別、分かりんすか?」
「………………………………え?」
性別分かるか、って……。
その容姿と声で、女以外になにがあるの。
綺麗な女物の着物着て、長い髪を結って簪してて、声も高くて……。
思わずこっちがぽかんとして、間の抜けた声で。
「お、女の子じゃ……?」
「やっぱり……」
がっくりと頭を垂らし、呆れたように息をつく。
…………え? さっき、「わっち」とか言ってたよね、きみ?
やや上目遣いになりながら、性別不詳の、女物の着物に身を包んだその子が、顔を上げる。
「わ……僕、男ですよ」
「………………え!?」
こんな可愛い子が!? え、嘘だ!?
っていうか、これ地声なんだ。喋り方普通にしても、相変わらず鈴が鳴るみたいな、あるいは小鳥が歌うみたいな声で喋っている。
……すごいな。
「誘われていらしたんですよね。どなたに誘われたんですか?」
「えと、松野守……」
「松野さんか……」
さっきのため息より、さらに重たいため息が、その子の口から漏れる。
「『紅花』から聞く話だと、結構てきとうな方なんですよね……。ここがどういうところか、説明をしてもらいましたか?」
「……いや、なんも」
聞いても、にやにやしながら「イイトコだよ~」って言うだけだった。ろくでもない回答だったので、5回目で止めた。鬱陶しいし。
上下させたことで乱れた髪を整えながら、その子は真顔で説明をはじめる。
「ここは、その……まあ、昔の感覚的には、遊郭です」
(んん……)
やっぱり、そういうくくりなのか。
……ってことは、やっぱそういうのも、あるんですよね……。
「でも、僕だけじゃなく、ここで働いている者はみな、女装をしています。現代風に考えるなら、女装風俗だと考えてください」
軽い感じでそう言いつつ、襟元も直していく。
軽く言うことなのだろうか、と思うけど、そのあたりは分からないし、深入りする部分ではないのだろう。まだ親しくもないのに。
最後に簪の傾きを直して、艶やかな紅をしたくちびるをちいさく、三日月の形にする。
「そういえば、お名前、お聞きしてませんでした。お名前は?」
目まで細められ、男と分かっていても、思わずどきっとしてしまう。
「ま、町崎優斗……」
「僕は『藍花』と申します」
さきほどまで数十センチあった顔の距離が、一気にぐんと縮まる。
名乗った女装少年――『藍花』が、自らその距離をなくした。
俺の腕に、さりげなく指を這わせながら、さっきとはまったく違う、妖艶な笑みを口元に浮かべる。
「ようこそ、『暗花屋』へ――」
○ ● ○
喉でも鳴らしそうなほどリラックスしきっている松野は、いまはある少年の膝のうえ。いつものように彼のにおいがする着物に、半ばめりこませるように、頬を擦り寄せる。
「ちょっと、守さん。落ち着いて」
「ん~? もーちょい……」
「駄目でありんす。ほら、もう起きて」
「ちぇ……」
渋い顔で起き上がる松野に苦笑するは、『暗花屋』のウリである、『紅花』である。
松野のやや乱れた髪を整えて、『紅花』は彼に微笑みかける。
「また、徹夜なさったんでありんすか?」
「まあな。大学っつっても、夜中に起きてることは、高校と大して変わらねーの」
「無理しないで……。学校に通っていないから、分かりんせんけれど……無理は……」
「無理は駄目だってならわなかったのか、だろ?」
にこりとした松野が、ぽんと『紅花』の頭に手を置き、そのままくしゃくしゃと、柔らかい彼の髪を撫でる。
「つーか、猫被るなってば。おまえ、そんなふうに心配するタチじゃねえだろ?」
「むっ……失礼だろ、それは」
ぱしっと手を払い、『紅花』はそっぽを向く。
そして、ちょっと躊躇ったのち、言いづらそうに。でも、どうしても言いたいというふうに。
「好きだから、心底心配なんだよ、もう……」
「うん、知ってる」
「おい!」
頬をまっ赤にさせながら、キッと『紅花』に睨み上げられる。
松野はまた笑顔をこぼして。
「悪い、悪い。それより、飯食いてえなあ?」
彼を見上げると、ぴくっと体を震わせて、ほんのわずかににやけてから。
松野そっくりの笑みで、にっと答える。
「おう。なにがいい?」
久々に、作ってあげるのも悪くないかな。