呂布の恋と王允
長安に着き、反董卓連合解散の報を聞くと、次は内側の問題が大きくなり始める。董卓の独裁政治に対し、動いたのは不平派の朝臣たちであった。その筆頭となるのは、「王佐の才」が有ると言われる、司徒王允であった。董卓のみならず朝臣からも信任され、政務一切を任されていた王允は、政務の妨げになる董卓一党の横やりや暴力にうんざりしていた。そこで彼は、政務に関して細部まで董卓の指示を仰いで彼を油断させつつ、群臣たちと密儀を重ねて雌伏の時を過ごした。そんな中、王允に絶好の機会が訪れる。呂布が董卓の侍女と密通しているのを知ったのだ。董卓が娘を呂布に嫁がせ、正式に養子としようとしていたのは公然の事実であり、これが発覚すれば董卓の不興を買うことは明らかであった。連合軍が解散し、外圧が減じた今、董卓の性格を考えるならば、たとえ養子といえども処罰は免れなかった。これに目をつけた王允は、呂布の心を揺さぶるべく行動した。王允はある日、呂布を宴席に招いて耳元で囁いた。
「天下の呂布ともあろうものが、このまま飼い犬であってよろしいのですか、彼女もあなた様の元に居た方が幸せなのは明白です」
呂布は驚いて聞き直す。
「な、何の話か」
王允は、動揺した呂布にさらに言った。
「今天下の大権は御身の義父が握っていますが、これまでの暴政の結果、朝臣、民、将軍たちの心は皆離れています。さらに、有用な人物は帝の下から離れ、連合を組んで董卓に刃向う始末です。その上、董卓の暴政によって帝権は失われつつあり、漢は分裂し、官僚は腐敗し、民は飢え、天は泣いております。今朝廷が求めるのは朝臣たちの権力争いを止めさせて、朝臣の心を帝のもとにひとつとなせる力を持つ人物です。軍の横暴をやめさせて、民心を安心させ、将軍たちの規律を取り戻せる人物です。賢臣の言葉を聞き、帝権を立て直せるのは、天下にその武勇を知られた呂布将軍しかおりませぬ。その呂布様は今董卓風情の義子として顎で使われ、今では侍女との密通によってその命も累卵のありさま。有志の朝臣は皆心を痛めております。いつまでも董卓のも下にいるべきではありませぬ」
酔った眼に動揺を表しながら呂布は反対する。
「しかし董卓様は義理の親で、これまで恩を被っている」
「恩ならすでに戦で返していましょう。現在の董卓が有るのは閣下が御味方に付いたため、連合軍を押し返したのは閣下の尽力あればこそです。それに引き換え、恩賞はごくわずか。どこにためらう要素が有りましょうか」
「しかし」
王允は言葉をさえぎって言う。
「今立たねば彼女の命も有りませぬぞ」
「なに!」
呂布は単純であった。愛と忠義と義理とに挟まれた呂布は、愛を選んだ。万全の防衛体制である眉城にいた董卓は、信頼していた王允から、恩賞の沙汰があるとして長安に呼び出される。呂布の付き添いに安心し、言われるがまま、のこのこと朝廷に現れた董卓であった。董卓は宮中でも武装を解かぬ武人であり、その上、護衛がその周りを固めているのである。この状態の董卓を打ち取れる人は、呂布しかいなかった。その呂布に裏切られた董卓は、呂布の振るった刃に貫かれ、意外なほどあっさりと暗殺された。192年の事であった。王允と呂布はそれぞれ別の観点から安堵したが、強固な独裁制を敷いていた董卓の暗殺は予想以上の政情不安と社会不安を同時に引き起こし、それは全国へと広がった。とくにその中心となった長安は、重しの無い凧のごとく、くるくると踊り狂う事になる。
天下をさらなる混乱に陥れた原因となった侍女の名を、貂蟬と言う。




