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斜読三国志  作者: amino
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揚荊騒乱

 203年、曹操が袁家を討伐している間、揚州と荊州の間では戦乱が巻き起こっていた。呉の孫権は、黄祖の首と夏口郡の攻略の為に荊州に戦争を仕掛けていた。この頃の呉は文官に周瑜、魯粛、張昭、張絋、鳳統、さらに土豪から、汝陽の呂蒙、呉郡の陸遜、瑯琊の徐盛、武将に程普、黄蓋、陳武、呂範らがそろっていた。兵士を乗せた船団と、それを護衛する艦隊、総兵力2万の大軍が長江をさかのぼる。敵将は長年に渡って呉軍を翻弄し続け、生き延び、夏口を守り抜いてきた男、黄祖である。緒戦の舟戦は呉軍の圧勝に終わった。夏口まで黄祖を追撃するが、黄祖は夏口を一時的に放棄する。呉軍はいったん夏口を占拠したものの、場内の物資は他所に移されており、襄陽からの荊州陸・水軍が救援に来たので、占領を断念し、引き上げていった。

208年、夏口から降ってきた甘寧が呉軍に加わった。呉に亡命し、周瑜と呂蒙の推挙により抜擢された甘寧は孫権にこう献策した。

「いまや漢の命運は尽きかけ、曹操の簒奪は確実ですが、河北も押さえた曹操は容易に打ち破れません。西に目を御向け下さい。西の荊州は交通の要衝であり、国力を消耗しておらず豊かです。その荊州の主劉表は優柔不断で天下を狙う能力が不足しております。急いで攻略しなくては曹操に先を越されます。荊州を手に入れられれば、曹操の南下に対して水の利を得る事が出来ます。さらには西の巴蜀の地を狙う事が出来るでしょう」

張昭は反対したが、周瑜も甘寧に賛成したため、孫権はこの献策を採用した。208年、荊州江夏侵攻の為の情報も地盤も将も十全であった。孫権軍の船団は呂蒙を先鋒に立て、秣陵より大挙して夏口に押し寄せる。先頭を突撃用の艨衝と先登が進み、楼船と呼ばれる四角い大型船を中心に、中型船の露橈ろとうが周囲を固め、小型の艇や数人乗りの赤馬がその間や周りを行き来している。これら艦船のまとまりが、偵察用の船である斥候に続いて続々と長江をさかのぼっていく。斥候が旗を振り、荊州水軍が迎撃に出てくるのを報告する。艨衝は速度を上げ、迎撃に出てきた荊州水軍の左脇から突撃し、先登がその後に続く。荊州水軍の船艇がひっくり返ったり、船艇に穴をあけられて傾いたりしている。荊州水軍が混乱したのを見た孫権軍は全軍で突撃する。露橈の兵士が干戈を交え、楼船からは矢が放たれてバタバタと兵士が倒れる。荊州水軍は一度の戦闘で大きな打撃を受け、制河権は孫権軍が握った。初めの水上戦でこそ勝利したが、それが油断を招いたのか、次の陸戦では物資の揚陸に手間取り、矢が不足したために上陸時の矢戦で橋頭堡を築けずに上陸に失敗した。しかし、父孫堅の仇で、呉の侵攻をことごとく退けてきた将、黄祖の首を取る事に成功した。また、江夏を押さえられなかったとはいえ、これまで孫家の謀略と攻撃をことごとくしのいでいた黄祖を打ち取った呉軍は、西進する為の障害を一つ取り除いた。周瑜の勧める、長江の北と南で勢力を2分して天下を狙う天下2分の計が一歩進んだのである。

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