呂布と皇帝袁術
孫策が江東一帯に勢力を伸ばしていた頃、袁術は徐州への侵攻を開始した。徐州へ軍を進めた袁術軍は、淮陰、盱眙で劉備軍と交戦したが、劉備軍は圧倒的劣勢にもかかわらず善戦し、一月以上も決着がつかなかった。そこで袁術は、劉備の客将となっていた呂布を、20万石の米を送るという約束で寝返らせた。呂布は劉備軍が袁術と対陣している隙に、手薄になっていた下邳城を攻め落とした。根拠地を失った劉備は海西へと逃走したが、前面に袁術軍の大軍、後方の呂布軍に挟まれた。追い詰められて呂布軍に降伏した。さっそく呂布は袁術に約束の米を送るように書を送った。しかし袁術はこれを無視する。袁術に不信感を抱いた呂布は、劉備の首を取ることを止めて小沛の城に入れ、劉備から印綬を受け取ると徐州刺史を称した。双方ともに約束に違背したことで、呂布と袁術の仲は険悪になった。袁術はこれを気にかけず、袁術軍の紀霊が3万の兵で劉備軍を攻撃しようとした。当然のごとく呂布は劉備軍の救援に駆けつける。しかし、兵力で負けている事、領地が疲弊して兵の士気が衰えていること、人望のあった劉備から刺史の地位を奪い取ったことで民心が離れている事などを理由とし、呂布の配下は皆交戦を避ける様に進言した。呂布は一計を案じた。宴席を設けて劉備と紀霊を呼び寄せると、陣営の門に一本の矛を立て掛けて「私があの矛の小枝を射抜いたら君らは戦いをやめたまえ」と宣言し、100歩の距離から見事に矛を射抜いた。両軍とも呂布の武技に恐怖して軍を引いた。何しろ、劉備軍は小勢で、小敵の堅きは大敵の擒になるというので大戦力を動員できる袁術との戦争は避けたく、紀霊は戦争の大義名分が無いせいで、指揮下の兵にまるで士気が無いのを憂慮していた。どちらも、戦闘を避ける切欠を欲していたのである。呂布とその指揮する軍隊の威圧感もすさまじかった。
こうして徐州を奪い、徐州における権力の地盤固めに奔走する呂布であったが、北の袁紹、西に曹操、南に袁術(東は海)と群雄に囲まれていた。西の曹操は不倶戴天の敵であり、北の袁紹は曹操と友好関係にあるので、必然的に南の袁術と結ぶ事となる。しかし、陳宮ら呂布配下の名士・謀士たちは同盟を渋っていた。全員一致で先がないという主張であった。その袁術は、豊かな淮南の地で帝位を僭称し、順風満帆に見えた。が、袁術の勢力は問題だらけであった。帝位を僭称した事で玉璽を質にしていた孫策や、漢室復興をうたっている諸勢力、名士たちとの関係は悪化した。さらに、皇帝用の儀礼に必要な物品をそろえるための増税で、領土は荒れ果てた。袁術の信用のなさから部下に同盟の話を反対された呂布は、同盟の話を蹴る。袁術は同盟とそれに伴う縁談を破談にされて怒り、勢力拡大の為にも地盤の弱い徐州の呂布を再び攻めた。4万の大軍を動員して攻め寄せる袁術に対して、呂布軍は1万2千程度であった。袁術配下の紀霊将軍は連携のとれる陣形をとり、緩やかに呂布軍を圧迫していく戦術を進言した。しかし袁術は進言による正攻法を取らずに、力攻めによる短期決戦を仕掛けた。呂布軍は強力な騎兵と、呂布の勇猛を主体とした戦術で袁術の武将たちを草でも刈り取るかのごとく次々と撃破し、劣勢の兵力ながら戦闘を有利に進めた。指揮官が陣頭に立てる武力があれば、前線で直接指揮を執ることができ、命令~実行までの時間を減らすことができる。まして当たるもののない呂布の武勇ならば、文字通りの前線指揮が可能であり、相手の陣頭指揮官を殺して指揮能力を失わせることができた。あっという間に指揮官の半数がバタバタと倒れる光景を目にした。こうした呂布軍のずば抜けた戦術能力を見た袁術軍首脳部は、恐怖に駆られて士気が瓦解し、味方を見捨てながらの無残な敗走をした。この大軍の動員と、天災による食糧難から、曹操の拠点である陳留を襲おうとするが、曹操が機先を制し、逆に攻められてしまった。曹操軍1万、袁術軍3万、袁術軍は地元で大軍であるが、曹操軍とは異なり、先の大敗から立ち直っておらず、指揮官級の武将が呂布とその部下によって倒されて不足しており、さらには食糧不足から兵たちの士気も低下していた。曹操軍は呂布軍ほどの武将の強さはなかったが、偽帝討伐という大義名分があり、兵の士気は高く、曹操の戦術指揮能力は高かった。両軍ぶつかり合った結果は火を見るより明らかで、袁術軍の惨敗であった。曹操から「古墳の髑髏」と評された身勝手で野心家は、その立地・名声・財力・軍事力にもかかわらず、無能と無謀ゆえに転落への坂道を転げ落ちていった。袁術は多くの敗北にもかかわらず、その後も皇帝気取りで贅沢三昧の生活を送ったために、四方を敵に囲まれ、心ある臣下は離れ、民心を失っていった。遂に食事にすら窮して、敵対していた袁紹の元へ玉璽を手土産に援助を乞いに行くが、その途中を劉備軍に襲われて流浪の身となり、途中で渇死した。亡国の玉璽を所有した者に相応しい、無残な最後であった。