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斜読三国志  作者: amino
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曹操孟徳の台頭

 戦乱が小康状態となった長安で、李イ隺と郭汜の2巨頭政治が始まっていたが、献帝とその取り巻きたちは、政治を理解しない2人を認めなかった。献帝は表向き従順さを装い、2人の派閥が勢力争いを起こした機を見て洛陽へと逃走した。献帝の逃走を知った董卓残党は洛陽まで献帝を追いかけた。しかしそこに待ち受けたのは曹操率いる精鋭3万人である。旧董卓派の軍勢は突然の大軍の出現に驚いた。献帝の追撃のため、騎兵中心の董卓軍残党1万と、逃げ来る献帝を迎える歩兵中心の曹操との決戦が行われようとしていた。旧董卓派の軍勢から1人が進み出て聞いた。

「そこなるは何者の軍勢か。われら禁軍と知っての妨害か」

鈍く光る甲冑の上に、赤い戦袍を着た曹操が自ら進み出て答えた。

「禁軍とは笑止な。陛下と大義は我らにあり。あの旗を見よっ」

曹操が指差すと、赤地に紋様と竜が刺繍された禁軍の旗や、皇帝の位置を示す龍旗などが一斉に掲げられた。「おのれ小癪な」と、旧董卓軍は太陽を背にする位置に移動し、見事な楔形隊形で突撃してきた。関西の騎兵は精強であったが、曹操の率いる諸兵科連合軍はそれ以上であった。突撃に対して、前に立っていた弩兵から一斉に矢が斉射されると、即座に矢を放った兵に矢をつがえた弩が渡され、次の矢が放たれる。およそ3斉射の後、彼我の距離が後10歩となった時点で、長方形にまとまった弩兵の集団は後退し、隙間から矛兵が槍を構えて前に出る。密集した矛兵は矛先を敵に向けて待機する。その槍衾に騎兵がぶつかると、騎兵の持つ衝撃力が失われた。騎兵の突撃を停滞させると、さらに後ろから戟を持った兵が進み出て騎兵を刈り取っていく。さらに、董卓軍の側面を突こうと戦線後方に配置していた曹操軍の騎兵隊が動き出す。戦術もなく突進をかけ、突撃の勢いを失い、側面を突かれた旧董卓軍は押しまくられ、西の方へ撤退していった。曹操軍は追撃しようとしたが、敵兵たちの多くは騎兵である。曹操軍は追いつけなかった。彼らは曹操に追われ、多くは山賊に身をやつし、いくらかは故郷に戻って独立した勢力を打ち立てた。こうして洛陽を取り戻した曹操は196年、建安初年と改元し、献帝を擁立し、同時に屯田制を施行した。国家の大権が曹操に帰したことを解らせ、同時に富国強兵を行うためである。曹操の勢力は屯田制によって飛躍的に国力を高めた。さらに、献帝とその取り巻きの反発を押さえつけ、洛陽の復旧より国家の立て直しを優先した曹操は、献帝の御所を許に移した。また、打ち捨てられた田地を国有化し、土地を失った農民や兵士に貸し与える屯田制は、非常に有効であった。『うち続く社会的混乱によって壊滅状態に陥った産業、特に農業をいかにして立ち直らせるか』とは当時最大の問題であり、屯田制は非常に有用な解決策であった。そして、屯田制や、後に施行する求賢令によって、他の群雄と武力闘争を繰り広げる間も、国力と社会秩序の再生を行えたのは、曹操の先見性と、彼が配下に収めた人材の有能さを表すものであろう。

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