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斜読三国志  作者: amino
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霊帝の悩み

この作品は史実を元にしたフィクションであり、現実の人物、集団、国家、その他とは全く関係が有りません。また、読者の方が既に幾らか三国志の知識を有している前提で書いています。作中では史実の時系列をいじり、事実を歪曲している場合が有ります。嘘、大げさ、紛らわしい表現があります。

 三国時代の話に入る前に、後漢と呼ばれる国の話をしておきたい。この国は前漢と呼ばれる時代から、儒教と呼ばれる思想を国教の様に国学として採用していた。秦と同様に統治法式は法治主義を採用していたが、儒教は中国全土に広がり、各地の中~上流階級の価値観を統一していった。その後一度国は新に乗っ取られたが、漢帝国は豪族の力を利用して再興した。これによって豪族たちの発言力や権限は増大した。豪族たちは力をつけ、各地で独立した動きを見せ始めていた。漢による中央集権体制は崩れ始め、地方分権がその芽を開き始めていた。これが話の最初の舞台となる漢である。

 時は流れ、漢朝の皇帝が霊帝となった時代、漢は衰退していた。時と共に豪族の権限や力は次第に強大化し、中央の権限や権威は失われつつあった。中央政府が持つ影響力は地方から衰退していき、次第に地方の反乱が起こる様になった。中央の法治による統制が減退したことは、天災への対処能力を減退させ、法治が機能しなくなり、官吏の汚職が広まっていった。こうして漢帝国が衰えていく中、時の皇帝は儒教の理想と現実の乖離とに悩んでいた。成立時より、漢は儒学を国学としていた。この教えによると、天災や人災が広がるのは皇帝に仁徳が無いからだと言う。儒教の大家、孔子の理想は、厳格に主君への忠義と親への孝行を教えていた。儒教に従った国づくりをすれば自然と国は治まるのではなかったか。これまで徳を積んできたつもりだったが、現実はどうか。巷を歩けば豪華な服装をした人物の隣で貧民が倒れている。何かしたくとも自分では何もできない。周囲の能臣顔している者たちも自己の利益をめぐって政治的闘争をし、皇帝の手足となるはずの宦官すらも政治派閥化して機能していない。それらを変えようにも、周りに居るのは自己の派閥を富ませ、権限を増大させようとする人物ばかりで、彼らの妨害によって法治を機能させられない。場合によっては、いつできたかも分からない雑多な法や礼の方が邪魔になる事もあった。この国は、法治主義を採用し、中央集権体制だった漢王朝ではなくなり、最高権力者たるはずの皇帝すら何もできない状態に陥っていたのだ。皇帝はよく磨かれた石畳を踏みしめ、無力感に苛まれながら張良の肖像の前で佇んでいた。暫くの後、無駄に華美で豪華な一室に、質素な礼服を着た大儒盧植が入ってきた。皇帝は平伏しようとする盧植を抱き起こし、逆に礼を施す。慌て、恐縮する盧植に師礼を取る。霊帝はこう言った。「教えを請わせていただきたい」と。なぜ近くにいる宦官では無く、在野の人間である盧植の知識を借りようと思ったのか。元々宦官は皇帝の能力を補佐する側近で有るはずだった。それが一つの派閥となり、政治勢力となったのはいつ頃からなのだろうか。彼らと各儒教派閥、学閥の対立のおかげで出るべき人材は地に潜り、問題は皇帝の手に届かず、下の者たちが勝手に処理していた。頼りにならない漢朝に幻滅し、その統制の楔から解き放たれた地方の者たちは、豪族と結託して反乱をおこし、近頃では黄巾・白波・黒山ら大規模な賊徒まで現れる始末であった。霊帝は尋ねる。

「朕が不徳である故、人材集まらず、国家は滅亡に向かって進んでいます。朕の民も苦しんでおる。どうしたらよいのでしょうか」

盧植はこう答えた。

「此度の乱は陛下の不徳が原因ではございません。人材が集まらないのは賞罰が不公正であるからです。国家が滅ぶのは、いくつもの失策を同時に起こしているからです。もはや陛下おひとり、いや、誰の協力を仰いだとしてもどうにもなりませぬ」

さらに皇帝は問いかけた。

「ではどうすればいいのでしょうか」

「我々自身には何も出来ませんが、我々の後の世代に期待する事は出来ましょう。ここまで明らかに腐敗していることはむしろ好機と捉えるべきでしょう」

それは暗に漢の余が再び滅びると言うことを示していた。盧植はこの問答の後退出するが、問答の後、皇帝がまるで独り言のように言った言葉を記録していない。「この国家は本当に腐りきってしまったのか? もはや滅びるしかないのか? 責任は誰にある? 皇帝である私か? この国の歯車である官僚か? 地方で好き勝手をする土豪か? 税を逃れ遊興にふける民衆か? 他人の汗で自己を富ませる商人か? 首都で安穏として暮らす官僚を、この大地で自己のみのことを考える民どもを、明日の世を考えぬ愚者どもをどうすべきか。すべてが漢朝につながっているではないか。ならば、朕がこの漢朝を叩き壊せばよい」皇帝は漢朝という、腐った器を叩き割る覚悟を決めた。政体など幾ら替わってもよいのだ。腐った社会体制などいくら滅びても構わない。前代皇帝たちにもなんの義理も無い。ようやく盧植という信頼のおける人物を得た皇帝は、その日より朝政の妨害を始めた。金で官位を得る事が出来る売官制度を行ってまで人を集め始めた。人材たちが石か、玉かを見分け、明日を作れぬ不要な人材を漢朝に集中させ、道連れにするために。

腐敗しきった漢朝を打倒しようとしていたのは、霊帝だけでは無い。黄巾党と呼ばれる半宗教勢力は無知純粋な農民の飢えや、役人の不正や、商業の発達により生じた不平等を原動力にして大規模な反乱を起こしていた。賊と呼ばれる勢力は土豪や朝廷内の派閥の一部と結託しており、漢朝にとって脅威となる勢力と化していた。それにも拘らず皇帝の所まで上がってくる報告は天下太平を謳う文句ばかりであった。それでも霊帝は盧植の進言通り、無能を装いながら、当面の問題である黄巾党に対処する事にした。反乱を抑え込むために、「州牧」「州刺史」という各地の実力者に半独立の政治組織を作らせ、軍事的に朝廷の支配からの脱却を図らせた。さらに、宦官が策定した党錮の禁と呼ばれる公職追放令を解き、野に居た儒学者盧植を正式に官人として迎え、清流派を自称する知識人が黄巾党に合流する政治的大義名分を失わせた。そして、外戚の何進を大将軍に任じて各地の要衝を押さえさせ、黄巾主力の居る冀州方面へ盧植を、豫州潁川方面へ皇甫嵩と朱儁を派遣した。物語は、潁川方面の戦いより始めたいと思う。

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