第23話 時空の海へと流れ落ち
俺は時空の渦の中でもがき苦しんでいた。
ここではないどこかの時空。そこで苦しみが蔓延っていたのだ。
これではどうにもならない。俺はダメージの多さにびっくりした。
だが、いずれはよくなるのだろう。それが俺なのだ。
「苦しそうですね」
「誰だ」
「私は時空王マリネス」
「なんのようだ」
「おや、刃向かわないのですか」
「そんな力は残っていない」
時空のスパゲティは俺から何もかもを奪っていた。闘う力さえも。
疲弊し、困窮し、恨みつらみしか残っていないこの俺にマリネスは微笑みかけてきた。
「安心しなさい。私は味方です」
「味方?」
「ええ。あなたのくるしみを癒すために私は時空の渦の底から這い上がってきたのです」
「それはどうも。さっさとやってくれ」
「いいですが、そのかわりに記憶をいただきますよ」
「なんだって」
「あなたの苦しみは記憶から発生しているのです。辛かった記憶、苦しかった記憶。それがあなたを苦しめています。もうおやめなさい。抗うことは。闘うことは。もうやめていいのです。あなたは充分頑張りました。もういいのです。もう結構です。おやめなさい、お忘れなさい」
「そんなこと、できない」
「いいえ、するのです。疲れているときに頑張っていいことなどありません。一度自分を癒して、それからまた再出発すればいいのです」
「うるせえ」
「これ以上は負担でしかありません! あなたは創造神グリニディケイドに憎まれています。すべて、あなたの才能をねたんだもの。ゆえにあなたはいつもピンチの渦中にあります。それを軽々しく考えてはいけません。もう、何も考えてはいけないのです」
「そんな……」
「何も考えなくてよいところへおいきなさい。疲れを癒し、ノルマを無くし、永遠の自由へと旅立つのです。それでようやくあなたは救われる。解放されるのです」
マリネスは両手を広げた。
「そのキッカケこそが、あなたの記憶の消去。さあ、お忘れなさい、すべてを。無垢な魂の一片となって、楽園の土をその穢れなきおみ足で踏むのです」
「でもそんなことしたら、邪神も、グリニディケイドも倒せない」
「倒せなくていいのです。彼らと争うことこそ彼らの思う壺。彼らはどうしようもないクズですが、そのせいで、あなたまで破滅することなどありません。彼らは存在自体がすでに破滅者。何も出来ない蛆虫なのです。創造神が聞いて呆れます、偉そうにしておきながら、自身では何も作り出せない。作り出すためのエネルギーを所有しているというだけのこと。本物にはかないません」
「本物って」
「あなたのことです、ミッドハルト。あなたこそ真の英雄」
「俺が……」
「そうです。その通りです。あなたは宇宙が創世された瞬間から選びぬかれた始まりの皇帝なのです。そのあなたが失われていいことなどあるわけがありません。さ、剣を捨てなさい。鎧も捨てなさい」
「や、やめろ」
だが、俺の装備は時空の海に分解されて散らばっていってしまった。
「ああ」
「あなたのステータスも消去しましょう」
「そ、それは駄目だ。駄目なんだあああああああああああ」
だが、マリネスはそれをやった。
すべてを失った俺は、レベル1のただの村人になってしまった。
「なんてことをするんだ。なんてことを」
「いいのです。これでいいのです。あなたは充分によくやりました。レベルなどなくても、私がそれを知っています。さあ、おやめなさい。すべてを」
「そうすれば幸せになれるのか」
「ええ、間違いなく」
「分かった……」
俺は記憶の消去をマリネスにお願いした。マリネスは俺の額に手をかざし、呪文を唱えた。
俺が、
俺が消えていく……
「あああああああ」
スポイルされてつぶれていく記憶のカケラたち。
何者でもなかった時代まで俺自身のステイツが遡る。
これでよかったのだ。もう何も考えたくない。
もういやなんだ。闘いたくないんだ。ラクにしてくれ。
お金が欲しい。権力が欲しい。女が欲しい。
そのすべてを叶えてくれる世界へ俺を連れて行ってくれ。小賢しいこと一切なし。即金即断の楽園へと。
「分かっていますとも」
もはや口も利けなくなった俺を浮遊させて、マリネスは微笑を湛えた。
「お疲れさま、ミッドハルト様。いいえ、もはや名も無き王よ。とこしえの安息のなかで、その傷を癒したまえ……」
その言葉の通りに、俺は、何もかもが思い通りになる世界で、無限の時間を過ごした。
が、
俺というヤツはつくづく諦めの悪い男である。ステータスが削除されていく途中で自分のコピーを時空の海へ飛ばしていたのだ。
おかげで、俺はいま、再びDESTINYの……いや、もはや現実世界をも侵蝕し、三度の世界再転生を遂げたこの世界は、純然たる異世界と呼んでいいだろう。
俺は、ようやく、異世界への転生を果たしたのだ。
それも、昔以上の能力を持って。
驚くべきことに、データを消されていたはずの俺のセーブデータは、運命に逆らい、逆にステータスを吸収していたのだ。マリネスの力をも得た俺は、すでに無敵。
あとは、三千世界の果てまでも邪神とグリニディケイドを追いかけて血祭りにあげてやるだけだ。
オリジナルの俺たちは、何も考えずに済む楽園へいってしまったが、まァそれも王の務めの一つと考えれば解せる。
残った仕事は、孫コピーの俺が完遂してやるとしよう。このチートパワーで。
俺は、いい風の吹く丘の上から、遠く見える町並みを眺望した。
待っていろ、運命よ。
地獄を見せてやる。
丘の上から背の短い草をするようにして斜面を滑り降りると、やはりというかなんというか、盗賊が若い女の子をいじめていた。俺は鮮やかな魔法を指先で唱えて、その悪党どもを焼き殺した。断末魔の中で少女の手を取る。
「大丈夫かい、お嬢さん」
「……はい」
「? どこかで会ったことがあるかな」
俺ははっと気づいた。
なんと、その子はかつての仲間、フェルにそっくりではないか。
何兆年も経ったというのに……これが、運命?
「あの、あたしの顔になにかついていますか」
赤毛の少女は小首を傾げて見せた。俺は笑って首を振った。
「いや、なんでもないよ。さあ、いこう。君の町へ送り届けてあげよう!」
人助けは気分がいい。
俺は町の住民に歓待され、おいしいご飯をたらふく食べさせてもらい、村娘三人に夜伽をさせて、朝を迎えた。
素晴らしい一日の始まりだった。
俺はくつくつと笑って剣を取る。
「おい、君たち、おきたまえ」
ううん、と一糸まとわぬ少女たちが寝ぼけ眼をこする。
「見たまえ、あそこに竜がいるだろう」
俺はその竜を魔法で殺した。
「きゃああああああああ」
「かっこいいいいいいい」
「さいこおおおおおおお」
女どもが喚き出す。ふ、それぐらいしか能がないからな、女というのは。
俺は寝起きでフラついたまま、宿の外へ出た。
気分がいい。鍛冶屋からタダでもらった剣を抜き、その青さと空のそれを比べる。
ああ、俺の剣のほうが上だ。




