機械
二十分ほどたっただろうか。乾パンが入っていた袋は、ものの見事に空になっていて、よくここまでの食欲があったなと、自分で自分をほめそうである。
満腹に膨れた腹をなでながら、赤茶けた扉を見る。
ためらいもせず。開ける。
先輩は、フェンスに座っていた。夕焼けは完全に落ちて、星明りが薄く先輩を照らしている。
風は寒々と僕たちを襲って、先輩の何も加工していないスカートを、ひらひらと揺らした。
先輩は、扉が開いた音に気づいたのか、こちらを見ていた。
「危な……」
僕の注意喚起は、最後まで行かなかった。
先輩は、高所での恐怖心など微塵もないように、にっこりと笑っていた。
僕は、半年前を思い出す。
黒髪が、揺れていた。揺れている。
今は、染めきらなかった茶色い髪の毛がうっすらとのぞいている。
乾パンの袋が、パタパタとはためいた。
先輩は、フェンスにかけた両手の内、右手を上にあげて、まるでバイバイとでもいうかのごとく振った。
「あ……」
僕の漏れた声は、まだ低い月夜にかき消される。
初めに消えたのは、頭だった。
フェンスの向こう側に、スルリと落ちていく。
僕はそれを見て、思わず駆けだしていた。
次に消えたのは、胴体。
もう、肌色の足と、黒い靴、それに下半身しか見えていなくて。はためくスカートは、僕をあざ笑うか如く揺れていて。
僕は手を目いっぱい伸ばすけど。先輩の足をつかめるはずもなく、ただ空を切るだけだった。
「じゃぁね……」
足も、僕の視界から消えた。
直後、衝撃音。
僕は足から崩れて、倒れこむようにその場にへたり込む。
半年前と、何も変わらない。
僕のこぶしはアスファルトを延々と叩くけど、ただ手を朱く染めるだけで。
ただ、泣き崩れた。
何分泣き崩れたかなんて記憶の中では意味のないことであって、僕が立ち上がったころには月も空高くに掲げられていた。
僕は薄い明かりにしか照らされない屋上の上に、座っているのか寝ているのかよくわからない体勢でいる。眼下は涙で水たまりが出来ていて、僕はどれほど泣いたのかと、自嘲するように苦笑した。
「ん……」
僕は、少しだけうめき声を漏らして、後ろを向いた。
赤茶けて、さび付いた鉄の扉は、僕を待ち構えるように堂々と立っていた。
僕は、その挑戦を受けて立とうとして、走り出す。
酸化鉄の扉は、僕が開けると、あっけなく開いた。鍵がかかっていないのだから、或る意味当然である。
あたりが、より一層暗くなる。
怪談話に学校が出てくるのはある種の常識であって、それには、依然とした理由が存在するであろう。
あまりにも、この場所は、薄暗い。真っ暗闇には程遠く、幽かな灯りが存在していることが、逆に不気味さを助長している。
そこすらも、恐れずに走る。
階段は一段降りるごとに、鉄の音は喧しく、僕の耳ははちきれんばかりの絶叫を伴った。
「はは、はは」
うめくように、声は口から洩れる。
精神は崩壊の兆しを見せていた。
階段は、鉄から、上靴に薄汚されたウレタン樹脂に変わる。
煌びやかに光る月は、窓から僕を見ていた。
ネックレスとピアスが、月光に反射し、光っていた。それをつけていた青年は、驚くべきスピードで階段を飛び下りていく少年に面喰っていたようだが、無関心を決め込んだようで、階段を上っていった。
最後に一つ大きな音を立てて、一階に降り立った。が、減速をする意志は微塵もなく、すぐさまターンして、外へと出る。
アスファルトを蹴って、石畳の上を跳ね。月明かりは、まだ燦々と輝いていて、虎の威を借りる狐のようだった。
屋上の、真下。
僕は、そこに立った。
下を見ると、人型が一つ、ごろんと上を向いていた。
僕は屈んで、その頬に手を置く。が、温かさはかけらもなく、今吹いた風のような冷たさだけが感じられた。
僕は、無表情に人型を見下ろす。
黒髪は傷んでいて、その無残な姿は石畳の上、放射状に広がっている。さすがに靴のあとはなかったが、誰からも関心を向けられず、ここで寝転がっていた。
僕は、言葉を失った。
何も、感情が湧いてこない。これは、何故だろうか。
僕は、すぐそばに見えた、校門に向かって、走り出した。アスファルトに染められた血が靴につくことを、僕は否定しなかった。
そのまま、校門を抜ける。
車の通りは異様なほど少なく、静かな町が広がっていた。ヒューマノイドの姿も、どこにも見えなかった。
僕はどこに進んでいるかもわからず、無我夢中で駆ける。轢かれる心配など、端からしていなかった。轢かれても、いいのかもしれない。
ただ、走る。電燈がついていないコンビニを何件も抜け、明かりを消した民家を抜け、光など、ほとんど見当たらず、他人頼りの月が、細々と僕を照らすだけだった。
点いていない信号を、幾つ抜けただろうか、そんなこと、いちいち覚えていなかった。
ただ、いつの間にか、僕は山間部を走っていた。たぶん、昼の影響だろう。ここは蟷螂山であるはずだ。
上り坂になっても、僕は変わらず走った、泣き黒子が印象的な少女を、通り越え、ついたのは、山の中でも深く、暗いところだった。
「オトウサマ……」
印象的な機械の声。目の前には、木々に遮られて少ししか届かない月明かりで、機械たちが照らされていた。
多くの機械が、体育大学の新体操のように整然と整列している。数えるのもおっくなほどの数で、近くの杉林の多くは倒されていた。ヒューマノイドたちは、僕に何かを期待するような目で見ている。
これは、子供だ。俺と、茜の子供なのだ。
ヒューマノイドたちは、僕が創ったプログラムが埋め込まれている。それが、多少の改変を伴っているだけだ。そうだ、新作のAIも、もとをただせば、きっと、僕のものなのだ。ちょっと、流出しただけさ。
直感だけかもしれない。いや、これはまぎれもない直感なのだろう。だが、僕にはそれ以外に縋るものがなかった。
「なんだ……」
僕は、放心状態になりながら、言った。
僕は、世界の真理に、近づいたのである。食人主義も、自殺も、何も意味はなさないのだ。ただ、そこには結果が残るだけなのだ。
「ヤスンデ、クダサイ」
ヒューマノイドの内一体が言った。僕は、涙を流した。そのヒューマノイドは、紅い、真紅の身体であった。
「ああ……」
僕は、彼女の方へ、倒れこむようにして崩れ落ちた。その、貧弱な僕の頭を、彼女はその硬い腕で、優しく受け止めてくれた。
機械の腕は、温かかったのである。
僕は、その暖かさを感じながら、目を閉じた。




