山岳
山に来るまで、不思議とヒューマノイドと遭遇しなかった。運がいいのだろう。この運を空の上に感謝した。
「で、どうするんだい?」
先ほどの多少取り乱した様子とは打って変わって、先輩は不思議なほど落ち着いていた。
「どうしましょうか」
僕たちは山の入り口付近に立っている。近くには血痕が『ようこそ、蟷螂山へ』の看板に付着していて、何とも微妙な気分にさせる。
近くにある竹林の竹も、どことなく栄養が足りないようで、あまり良い色をしていなかった。
僕はその竹林を、なんとなく眺めていた。
「え?」
僕は素っ頓狂な声を出した。
「どうしたんだい?」
先輩はすかさず相槌をうってくる。
「いや、なんか炎が見えた気がするんですよ」
「ん、どこだい?」
僕は竹林の隅の方を指差した。そこは確か、休憩所があった気がする。竹を切り開いて広場をつくったと、掲示板に書いてあった。こんな時に、小学生時代にたくさん山に登っていたことが生きるとは思わなかった。人生、無駄なことがないといったのは誰であったのか。
「うーん。ホントだ。うっすらとだけど光っているね」
「でしょう。行ってみます?」
というか、行くという選択肢しかないだろう。ほかの当てなど何もないし、山で妹を探すといったって、虱潰しに探すしかないのだ。妹の携帯電話は家に放置されているから、連絡を取ることもできない。要するに、あの何者が点けているかわからない炎に頼るしかないのだ。妹は山籠もりをすると言っていたらしいし、山で火をつけている確率は十二分にある。
「行くしかないだろうねぇ。あても何もないわけだし」
「ですね」
あの広場は、竹林の真ん中に存在している道を歩いていけば到着するはずだ。獣道などという不親切なものではなく、しっかりとした道が存在している。
僕たちは、その道を歩き出した。
碧空はこの鬱々しく世知辛い世の中までも明るく照らしてしまっている。それを陰すかのように雲は空を悠々と泳いでいた。
竹林は風に凪いで、さざめく音色は幻想の世界へ誘うかのよう。
その真ん中、ぽっかりと空いたように広がる広場では、泥に汚れたセーラー服を纏っているツインテールの少女が一人。少女は目の前で炎を熾していた。その横にある、サーモンピンクと肌色を足して二で割ったかのような色を持つ肉は、焼かれるために其処にあるのだろうか。
その広場の隅には、木で急ごしらえをしたような設備があって、いくつかの死体がそこに干されていた。なんの死体かって? 無論、人間である。
少女は、死体のほうを見た。泣き黒子がチラリとのぞく。少女は、言うまでもなく僕の妹であった。が、元来あった雰囲気は何処にもなく、所謂狂人の風格を纏ってしまっている。実の妹を、こう評すのは兄としてとても心苦しい。何処で育て方を間違えたのか。
妹は、こちらに気づいた様だった。
死体を見ていた目を、そのまま僕たちの方向へ向けた。
「「「………………」」」
三者とも、無言。
妹はかわす言葉も無いと、断定するかのように熾された火へと目を戻した。僕たちがいるところから、泣き黒子は見えなくなっていた。
音を立てながら燃え上がる炎へ、傍らの肉が投入される。広場の隅の死体には、下半身しかかかってなくて。
その下には、丁重に頭蓋骨。腕の二本はバラバラに放置されている。
血はどくどくと広場の隅を塗らし、たらたらと垂れ、増え、流れる。
死体の数は、三体ほど。
一体だけが、つるされることもなく、まるで座っているかのように、竹林の内一つ、竹に背中を凭れさせていた。
僕は腹の中から吐しゃ物が一瞬で逆流しそうになったけれど、そういえばと昨日から何も食べてないことに気づいて。
不謹慎ながらも、焦げ焦げと焼きあがるサーモンピンクに肌色を足したような、肉が食べたくなってきて。
フラフラと前へ行きそうになるのを、自我と理性で何とか押しとどめて。
後ろを向いた。
「どう、したんだい?」
勿論先輩も、僕が気付いているようなことは、当然気づいていて。顔は青ざめていた。腕はふらりと垂れ下がっている。
僕は、前へ歩くことも、肉をむさぼるため後ろに歩くこともできなくて。
肉は、焦げ始めた。
それを見計らって、妹だったものは肉に骨をぶっさして、貪り食った。
「帰って、良いかな?」
先輩はもう、倒れそうなほどで。僕も人のことは言えなくて。
広場の中心部を見ることはできずに、ただ、妹だったものに残る最後の人間味にすがろうと、する。
バクバク、ムシャ、ゴリッ、ガギッ、ムシャムシャ。
音は炎にかき消されないで、嫌に耳に響く。
ガブリ。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ジロリ。
妹だったものの眼球が、僕を、向いた。
僕は悲鳴の残り香を排除するように息を大きく一つはいて。
目の向こうのツインテールが揺れて。
僕は走り出して。
先輩も、走り出して。
眼球はまとわりつくように僕の背中へ感触を残した。
先ほどの記憶を失くそうと、僕は懸命に頭を振るう。腕を振るう。足を振るう。
無理だった。
妹だったものの小さな口が、肉を、むさぼる。
それが頭の中で反芻する。
逃げ切った自分への称賛など、皆無である。
あれは、なんだったんだろうか?
カニバリズム。
その言葉も反芻する。
それに、いざなわれるようだった自分の本能を、否定する。
否定しないといけない。
僕は人間なんだ。
あんな非人道的な行為ができるわけないじゃないか。
ドサリ。
僕は、地に手をついた。そこに血がついていることなどお構いなしだった。口の中は嘔吐観を訴えるけど、吐き出すものなんて腹の中に何もなかった。
「大丈夫、かい?」
「先輩こそ」
「僕は、なんとか」
「僕も、なんとかです」
「そうかい」
会話はただ頭の上を通り過ぎるだけだった。
「どうする?」
「もう、ここには来たくないです」
僕に、妹はいない。
「同感だね」
「じゃぁ、屋上に行きましょう」
「あぁ」
僕たちは、逃げだした。




