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学校

 とりあえず訳も分からず走っていたわけだが、あろうことかついた場所は学校だった。人は多数居て、避難所として機能しているようだ。

 僕はポケットに携帯電話があるか探したか、家を出たのが何分急だったもので、入っていなかった。仕方なく、僕は学校の敷地内に入る。

 特に奇異の目も見受けられない。矢張り、このご時世なのだから学校は避難所として機能しているようだ。校舎の中に入ってしまえば、まずヒューマノイドは来ない。

 僕は迷わず中央の校舎、僕たち学生が「A棟」と呼ぶところに入って行った。すると、すぐ右に中央階段があって、僕は迷わずそこを上りだす。

 あちらこちらでさまざまな年齢の人たちが雑談を繰り返している。高校生は多く見受けられるけど、だからと言って中年や老人がいないわけではなかった。

 僕はその人たちを横目に、少し急ぎながら階段を上りだした。ここは朱色に侵食されていない、人間の社会がまだ残っていると実感できる階段であった。

 そして。ついたのは屋上の前の扉。古ぼけて錆びていて、何処か近寄りがたい雰囲気を醸し出している扉であった。

「兄ちゃん、そこは開かねぇよ?」

 その付近にいた青年らしき男から声をかけられる。首にはネックレス、耳にはピアス。現代の若者を地で行っているような人間であった。金髪に染めてある髪の毛がそれを強調している。

「あぁ、たぶん大丈夫です」

 僕は丁寧語で答える。態々乱暴な言葉を使って、相手を挑発することもあるまい。

「ん?」

 男は怪訝な目で僕を見ている。でも、冷静に考えれば赤の他人が近くにいる状態で中にいる先輩に声をかけるのもいかがなものだと思った。この扉が開かないということは、先輩が開けていないということだ。そうすると、先輩はここを開けていない可能性が高い。

 そして、先輩がここを開けていないということは、入念な準備の下で、この屋上にこもっていることがうかがえる。職員室にある屋上へと通じる鍵がとられているのはもちろんのこと、中でも一か月以上生活ができるような工夫が凝らされているのだろう。

 そんな状態の中、僕が外から先輩を呼んだところで、先輩は僕を中に入れるだろうか。

 無理だな。

「どうした?」

 意外と人を気に掛ける性格らしい。扉の前で無言になりながら思索に耽っている僕を、心配してくれている。

「あぁ、大丈夫です」

 その男がいないに越したことはない。でも、どうするかは悩むわけである。

 幸い、ここにいるのは男が一人。それ以外の人間がここに来るかはわからないが、男がここに居なくなる理由なんて如何様にでもできるはずだ。

 ここに人がいない状態で先輩を呼べば、たぶん、答えてくれるだろう。それか、携帯電話を持ってくるという手もある。

 どちらにしようか一瞬だけ迷ったが、家まで戻るのは面倒くさいし、戻らなくてもいいだろう。

 とりあえず、トイレの近くで張ることにしよう。いや、階段の死角のほうがいいな。トイレ周辺でうろうろするなんて、変人以外の何物でもないだろう。

「すいません。急用を思い出したんで」

 いきなり突飛なことを言い出す僕に、男は多少面喰っているようだったが、まぁ、こんなご時世である。余計な詮索はせずに、

「じゃぁな」

 と、言っただけであった。

「では」

 僕は礼儀正しいお抱え執事もびっくりの丁寧さでお辞儀をして、その場を去った。


 階段で人々を観察すると、いろいろなものが見えてくる。それと同時に、激動な展開が皆無なので、ゆっくりと自分を省みられた。

 案外学校に避難している人間は多い。群れると安心するんだろう。人が増えると、さらに増える。家から学校に来る人も増えているのだろう。

 問題は、車である。徒歩や自転車だとヒューマノイドに襲われやすいため、車で来る人たちが多い。そのため、学校のグラウンドがほとんど車に埋め尽くされてしまっていて、これから来る人は入るまでに多少の危険を伴う。来る途中に窓ガラスを鉛玉で撃ち抜かれていた車もあったが。完全に安全な乗り物などこの世の中には存在しないらしい。交通事故の確率も上がっていそうだ。

 まぁ、僕に危険はないのだが。

 そんなたわいもないことを考えているうちに、先ほど会った男が見えた。どうやら、トイレに行くようだ。

 彼がトイレに入ったその瞬間、僕は階段付近の死角から身を出した。周りはいきなり出てきた高校生に驚いているようだったが、どうせいたずらだろうと日本人特有の倦怠感を絶賛発揮して、僕には何も声をかけてこなかった。

 ちょうどいいと思い、僕は一回下の階に降り、そこで三十秒程度うろうろしてから屋上に上った。

 幸いにも屋上には誰もいなかったので、鈍色に錆びた扉に手をかけた。赤茶けたモノが手に付着する感覚が何とも忌々しいが、気にせず、前に扉を開ける。

 屋上の扉を開けた先にあったのは、乾パンやビスケットの山であった。そのうちあけられているのは一つだけで、それでさえも半分程度しか減っていなかった。

「久しぶりだね」

 僕の方を向いた先輩がくつくつと笑っている。

「久しぶりですね」

 僕もつられたように苦笑する。

「突然で悪いんだけどさ……」

 先輩は少しだけ間をおいて、

「トイレに行っても、いいかな?」

 と、少しの恥じらいもなしに言った。

「別にいいですよ」

 断る理由は特にない。

「じゃぁ、」

 と先輩は言い残して、そそくさと屋上から出て行った。

 それにしても、この屋上は整っている。モノが増えたからこそ、そこに整合性が生じ、モノがない無機質的な感じから、整然と並べられた生活感あるきれいな場所として存在しているのだ。

 寝るための道具や食糧はもちろん、何に使うかわからない木材まできっちりと整頓されているのだ。家でも作るつもりだろうか。まぁ、先輩の華奢な腕でこれを運べたことのほうが驚きなのだが。

 僕はいつもの定位置と言って差し支えない場所に座り込んだ。そこは不思議なほど物がなくて、地球に開いた一つの穴のようだった。

 アスファルトに充満した熱が身体を焦がすようである。上からも太陽が照りつけていて、この場は灼熱地獄の様相を醸し出していた。

 こんな暑い日ならば、死体からする死臭もひどいことになるだろうと、半ば自然に思うのは、この狂った社会に適応しているのか、それとも人間としてのモラルが失われているのか。まぁ、どちらでも表に出さなければ問題にならないとヒートアップしそうになる思考を押さえつけて、気分転換に空を向いた。

 こんな世界になっても、空は真っ青だった。

 朱く血塗られることなどなく、爽快な色を僕たちの眼に映し出してくれている。

 彼女は、空の向こうに居る。非科学的なことを、僕は考え続けている。

 彼女は、この世界を見てどのように思うのだろうか。優しさの中に時折垣間見る芯の強さを、僕は知っている。ここぞとばかりにそれを発揮して、人々を先導し、自治組織でも作りそうな気がした。

 半年前ならば、僕と先輩は、それの発展に尽力していただろう。

 そうやって、堅実に命を守っていたと断定しても、間違いはないと言い切れる。

 まぁ、もしの話をしても仕方がないわけで、そんな話を延々と語っていたところで、彼女が空から降ってくるわけじゃないのだ。

 この世の理を覆すことはできない。

 そんな夢見がちな思考をしていたら、鈍色の扉が開いた。

「ただいま」

 と、先輩が入ってきて、鍵を閉めた。鍵には小さな熊のキーホルダーがついていて、良い意味で先輩らしくなかった。

「おかえりなさい」

 僕は愛する夫を待つ妻も吃驚するくらい感情をこめて、言葉を紡いだ。

「気持ち悪いから、やめた方がいいよ?」

 僕のガラスのハートが砕けるほどのダメージ。

「ひどいですね」

「事実だからね。しょうがない」

「……」

 まっとうに言われると反応に困る。

「さて、本題に移ろうか」

「本題?」

「これからどうするのか、とかね」

 確かにそれは悩むべき話題だ。

「ひきこもる」

「ニートも真っ青だね」

「いや、この場合下手に行動起こしても無駄でしょう。殺される人は、注意力が足りなか……」

「湊ちゃん、山籠もりしてるんだってね。メールで聞いたよ」

「…………」

 気づいていたさ、気づいていたとも。でも、どうやって探せばいいのかわからないのだ。具体案もないのに理想的な提案ができるわけもない。

「で、どうするの?」

「探しにいきたいです」

「まぁ、当然だね。で、どうやって探すの?」

「………。案は、ないですね」

「そういう素直なところ、僕は好きだよ。無茶な提案をするより幾分かマシだ。そして、案がないから目標を下げるのも、まぁ悪くはない」

「よくもないんですね」

「そりゃぁね。僕だって湊ちゃんを探したいし」

「それならそうと最初からいえばいいじゃないですか」

「君の気持ちも確かめたいんだよ」

「格好良いセリフですね」

「ま、脱線しすぎだ」

「同感です」

「どうやって探しに行くか、だけどさ」

「はい」

「虱潰し、とか?」

「どんだけ確率的に危険なんですか。先輩が撃たれたら、話になりませんよ」

「いっそ、車を借りる」

「止まっているところを、窓にぶち込まれる例は聞いたことがありますし、交通事故だって起こりやすくなっているでしょう。信号機なんて守られませんよ?」

「うーん、だよねぇ」

「だから、ひきこもるしかないんですよ」

「それはそれで一理あるけどねぇ……」

 結局、議論は方向性を見失って、終着点は百八十度傾く。

「まぁ、行きますか?」

「えっ?」

「死にはしないですよ。僕はロボットを従えられますからね」

「初耳だね」

 先輩はさして驚いていない様子だ。信じていないのかもしれない。

「山にこもるんでしょう? ここらへんの山は蟷螂山しかないですからね」

 僕は、その場でたって、鈍色の扉に向かって歩き始めた。


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