能力
さて、翌日である。昨日は放心状態のまま眠ってしまったことだけは覚えている。帰宅してからいかなる行動をとっていたのかについて、記憶が定かではない。朝は突然僕の下に訪れた。
劈くような音が、僕の耳に届く。普段聞きなれないその音に、僕は思わず意識を覚醒させた。
その元凶のほうを、半ば本能的な勢いで振り向く。
それは、玄関の窓であった。いや、窓だったものであった。
本来張り付いているガラスが真ん中にウニをでかくしたような穴が開いていて、その場所にあるはずだった二酸化ケイ素は床に散乱していた。その中に一つ、こぶし大の河原で拾えるような石が転がっていた。
何があったのかは明白である。誰かが石を投げて愛する我が家の窓はラスを割ったのである。
これについて、僕たちは何か考えなければならない。
ヒューマノイドが人間を殺し始めてまだ三日。それだけの時間で人間の心とは荒廃するものであろうか。
通常時に窓ガラスが割れることなんて、空き地での野球のホームラン又はファールくらいのものであろう。それですら昨今のつまらない社会情勢で空き地の数が減っているのである。窓ガラスが割れる機会なんてそうそうあるまい。
それが、意図的に行われたのだ。
「だれだぁ!?」
僕がそう叫ぶのも無理はないだろう。
だが、窓だったものの向こうに居た人間は、頓珍漢なことを言ったのである。
「ロボットに魂を明け渡した裏切り者め!」
……は?
と、僕が疑問に思うのも当然のことだろう。僕はヒューマノイドに魂を明け渡していない。というより、魂の存在を信じていないのだがそれを語ると長くなるのでここでは省略しておく。
そして、僕はヒューマノイドが嫌いである。こんな状況にした明らかな敵を誰が好きになるものか。妹を俺の手元から離れさせた元凶を恨みはすれど、好く謂れなどない。
だが、相手は又もやよくわからないことを言うのである。
「俺は見たんだ! お前がロボットを従わせるところを! どうせ、この大惨事だってお前が引き起こしたんだろう!」
わけがわからない。
十四歳くらいの若者が自分の勝手な盲信で悪者にされた気分である。
傍目に見る分には面白いかもしれないが、当事者にされてはたまったものではない。
しかも相手は大の大人なのである。こんな世界になった影響も否定できないが、それでも社会を動かしている歯車がこんな風な者だと少々心配になる。もしかしたら落ちた歯車、所謂ニートかもしれないが。
とりあえず、否定しておこう。
「僕はそんなことしてないですよー!」
「しらばっくれるなっ! お前が俺の家族を殺したんだろう!」
所帯を持つ人だった。いや、もしかしたら違うかもしれないが。
「違いますよ!」
さて、どうしようか。これはおそらくだが、僕に怒鳴っている彼は、僕が「撃つな」と言い、ヒューマノイドが撃たなかった所を見ていたのだろう。それで僕がヒューマノイドを従わせているというのは、いささか早計としか言いようがない。
でも、僕がヒューマノイドを従わせていない証拠を彼に見せるのは、難しい。裁判でもそうである。有罪を立証するのは簡単なのに、無罪を立証するのは針の穴を通すほど難しいのだ。そんなことを一介の高校生である僕ができると思うか。思うな。
「嘘をつけ!」
と彼は言って、またガラスが割れた。通常時なら警察にでも通報するんだけど、こんな状況で警察が今のような些細な出来事に赴くとは思えない。路上の死体でさえ放置されているのだ。
正直、逃げるが得策だろう。
母さんは家に帰ってきていない。もちろんどこかで悠々と暮らしていることを信じる。近所のおばさん風のあの人なら、きっと近所のおばさんと一緒にショッピングモールにでも住み始めたのだろう。いつもの癖で携帯電話は家に置いてあるし。携帯していない携帯電話にどんな意味があるのか。
まぁ、書置きでもすれば母さんは問題ない。
次に、父。
こんな状況で単身赴任から帰ってこれるとも思えない。ゆえに、とりあえずこの家に帰ってくる心配はない。これまた問題ないだろう。
次は、妹。
これがまた厄介なのである。あいつ自身が何処に行ったのかが分からないし、何時音をあげて家に戻るのかもわからない。とりあえず書置きを残しておこうか。それで本当にいいのだろうか。このさらに世知辛い世の中で、妹は暮らしていけるのだろうか。
こんな状況だからこそ、身を休める我が家が必要なんじゃないのか。
それは僕にも言えることだった。
僕だって、帰れる我が家がほしいのだ。こんな些細な問題で、愛する我が家を投げ出して、放蕩の生活を始めることはできないのだ。
ゆえに、あの彼をどうにかせねばならない。
逃げるなんて一時でも考えた自分を恥じる。そんなことできるはずがないだろう。
とりあえず、理詰めだ。
「あなた、そんなところ……」
僕はガラスで足が切れるのも躊躇わずに、窓の方へ乗り出した。
そこには、精悍な雰囲気を持つ屈強な男が居た。白いTシャツには名があるメーカーのロゴマークがプリントされている。彼は怒りに身を任せていて、憤怒の表情をしながら足元に転がった幾つもの石の内から一つを選別していた。
問題なのは、そこではない。
その、斜め後ろなのである。
そこには昨日の時点で見飽きるほど見ていた一つの形体が存在していた。金属で彩られたからだ、プラスチックのような材質で光っている眼、体つきはシャープで、肌色に塗ったら人間となんら変わらなそうに見える。
そう、ヒューマノイドだ。
ヒューマノイドが、銃を持っている。銃口の向かう先は、男の胸元。
僕は、
一瞬、
思慮して、
しまった。
彼は、殺されてしまっていいのではないか?
それは決定的な遅れとなって僕は圧倒的な後悔を得る。
僕は一瞬、そう、一瞬という永い永い時間がたった後、
「撃つ……」
といった。もちろん、この後には「な」という単語が続くはずだった。続けば、よかったのである。
それよりも早く、
銃口から、
金属が放たれた。
「な……」
間に合わないその言葉。
失われる一つの命。
朱い色が噴水のように彼の精悍な身体から噴き出した。
彼の心のように(それが正解か不正解かは定かではない)白かったTシャツが、朱く染まる。
黒いロゴマークは少しずつ形を失って、最後には朱と同化した。
彼は自らがつくった血の海に、屈強な戦士が負けたように倒れた。
彼の中では、僕がヒューマノイドを操ったことになっているかもしれない。
「なんでこんなことになるんだよ!」
僕は上に向かって叫んだ。上には空と天井の境界線が刺々しいガラスによって引かれていた。太陽の光がカラスの隅で反射して、僕の全身に拡散する。
ふと、横を見ると、銃口は、僕に、向けられていた。
「撃つ、な」
僕がなれた調子でそれを言うと、ヒューマノイドは電池が切れたように止まった。
「死んで、しまえ」
僕が慣れていない調子でそれを言うと、銃声があたりに鳴り響いた。
金属はひどく脆く割れ、血は流れず透明な液体が少々噴出するだけだった。人間を殺すことができる物体に見えない。そこら辺の中学生がお遊びで作ったような拙いものに思えてくる。
「なんで、なんだよ」
僕は、玄関にいることに気づいた。靴を履いて、扉を開ける。外に出ると、目に入ってきたのは朱い、血の海。
僕は駆けだした。
それが現実逃避にしか過ぎないことを気づいていながらも、家からは逃げたかった。
愛する我が家は、精神的に汚されていた。




