死体
外に出ると、妹が走り始めていた。血塗られた道路はうまくよけ、地面に倒れた人を飛び越えながら進んでいる。速度はなかなか速い。家から出るのがもう少し遅かったら、僕の視界から外れていただろう。少々胸をなでおろし、僕も走り始める。部活を半年前に止めてしまった僕には結構きついが、何とか追いつく。精神力のたまものだろうか。わからない。だが、通常時なら妹に駆け放されていたことだろう。妹は現役の陸上部なのである。追いつけるほうがおかしい。やはり、妹は情緒不安定な状態になっていて、全力を出せていないのだろう。
駆け、跳び、走り、何分経っただろうか。足についた血の量は数知れず、今では肩で息をしている。足に血がついているのは妹も同じことで、一部の跳ねた朱は足首までにも侵食している。
妹は、立ち止まった。そして、気が抜けたようにその場にへたり込んだ。その前には、今まで何人も見てきた死体と同じように、胸のど真ん中から吃驚するほどの量の出血をしている男の死体であった。年齢は、中学生くらい、要するに妹と同年齢くらいである。凄惨に血が広がっている。
「村田……君……」
妹は村田君の顔を手で包んだ。その姿はまるで聖母のようで、僕は血の海に一人たたずむ妹の姿に絶句するしかなかった。
「兄さ……
妹は僕を振り返り、蒼白の表情から、色がなくなった。言葉は最後まで続かなかった。
僕は、後ろを、振り返、る。
ヒューマノイドが、鉄の銃口を、僕、に、向かって、発砲、
「やめろ!!!!」
僕はとっさに叫んだ。撃たれる。ヒューマノイドの指が銃のトリガーにかかり……
止まった。
ヒューマノイドの動きは、あきれるほど簡単に、止まったのである。
撃つ、直前。トリガーに鋼色の指をかけた状態での停止。そのあまりに異常な光景に、一瞬時が止まったかと錯覚する。が、雲は空の上を流麗に動いていて、そんな浅はかな知恵をあざ笑うかのようだった。
「何が、起こった?」
僕が妹のほうへ向くと、妹は彫刻のように固定された頭を抱えたまま、呆然と時が止まったヒューマノイドの方を向いていた。
「さ……あ?」
わからないようだ。当然だろう。僕にもわからない。
ただ、一つ分かったのは助かったということだ。金属の筒から鉛の弾が僕の眉間を貫くことはなく、それは妹も同じだった。血塗られた村田君のさらに朱くならなくて、天国と地獄の境をさまよっている彼はさぞかし喜んでいることだろう。
金属が金属にぶつかるような音がした。所謂、ガコンという音だ。
ヒューマノイドが動いた。地面に銃が落ちた。ヒューマノイドは方向を転換した。
そのまま、歩いて行った。
何が起こったか、さっぱりである。誰か教えてほしい。
「で、どうするんだ?」
このまま呆けていても仕方がない。新たなヒューマノイドがこの方法で沈黙すると決まったわけではないのだ。むざむざと撃たれることはあるまい。早めにこの場を離れることが重要なのだ。たぶん。
「持って帰っていい?」
上目遣いで、軽く首をかしげて、きれいなショートカットが揺れて。
まるで森羅万象の雄という性別を掌握するかのごとく仕草に、実の妹ということも少し忘れた。何か、胸に来るものがあった。
だが、そのモノが問題なのである。
彼女が持ち帰ろうとしているのは、ほかならぬ彼女が抱えているモノであり者だろう。
要するに、死体である。死体を家に持ち帰るなど、通常の倫理感で考えるとすると言語道断であり、腐敗臭に蛆虫。よいことなど一つもない。
「本気か?」
「もちろん」
彼女は音符がつきそうな調子で言う。血で塗られたこの場にそぐうと言う人間あれば、精神異常者か狂人の類であろう。いや、それすらも生ぬるいかもしれない。
「持って帰って、どうするんだ?」
「愛でる」
たぶん、この時点で妹の精神に異常があるということは抗いがたい事実として現実に存在してしまった。一般的平穏では考えられないような非生産的なことを口走っているというのに、その目は純粋の塊としか形容できない。猫を飼っていいか聞く小学生のような目なのである。しかも、それが中々の美少女がやっているのだ。僕以外の雄なら簡単に陥落されてるであろう。
「やめとけ。頼むから」
「なんで?」
「におい、とか?」
「毎日消臭剤かけるよ」
「お前はそれでいいのか!? 消臭剤に彩られたモノで満足ができるのか!?」
「うん」
「なんと純粋な」
「ありがとう?」
らちが明かない。
「なんで、持って帰るんだよ」
「めでたいから」
「死体を?」
「村田君を」
僕には対処ができそうもない。
「蛆虫わかないか?」
「死体飼ったことないから、わかんない」
「なんと適当な」
「男なら何でもやってみるものだよ」
「論理感とか考えやがれ」
「常識は偏見の塊だし、仕方ないよ」
「仕方なくねぇよ。仕方ないと思った理由を子細にわたって聞きたいわ」
「そりゃぁ、愛の為す業かな」
「もうコメントのしようがない」
何とも奇妙な光景である。
一つの胸を撃ち抜かれた死体を中央に、何とも珍妙な応酬が繰り広げられている。
常人ならば青いサンダルを脱ぎ散らかして逃げていくことだろう。そのサンダルは三日後には朱くなっている。
「本当に、やめてくれよ」
「兄さんは新たな彼女を求めて、私は今の彼を求める。本質は変わらないと思わない?」
「断じて思わない」
「兄さんの彼女にかける愛に負けないと思うよ?」
「僕もそう思う」
「本心からじゃないね」
「当然だろう」
彼女の死体を持って帰りたいとわめいたことはなかったが。喪失感に苛まれている内に、彼女の身体はプラズマを生じさせた気体によって焼かれてしまった。その後、何日もいろいろな感情が襲ってきたことは、態々語るまででもない。
にしても、妹を説得する良い案が思いつかない。本当に、どうしようか。このままだと本当に家まで村田君だったものを持って帰りそうだ。
しかも、妹は村田君だったものを見て恍惚とした表情を浮かべている。
「頼むから、お願いだから、持って帰るのはやめてくれ」
「じゃぁ、たとえば兄さんが彼女の死体がロボットに踏みつぶされそうになっているのを、助けないで見殺しにするの?」
見殺しって、もう死んでいるだろう。
「つまんない話題そらしはしない」
心情を読むな。
「兄妹だし」
「いや、普通は無理だろ」
「私と兄さんが普通だと思える?」
「……思えないな」
「でしょう? で、いいよね、持って帰って」
「駄目……としか言えない。ごめん」
「なんで謝るのさ……」
妹は白くなった頬を撫でていた手をぶらりと地に下した。刺々しいアスファルトが傷をつけ、それと付着した朱色で何とも奇怪な手になった。
「なんでって……」
「悪いと思っているんでしょ! 兄さんが、この場で、村田君が、彼女な……」
「たらればの話をしても仕方がないだろう」
「でも、でも! 私の気持ちをわかって否定しているんだよね!」
「そうだけど……さ」
「なら、じゃぁ、持って帰らせてよ! 土に還したくないんだよ!」
「自然の摂理だろう……」
「村田君は彼女のように火葬されないんだよ! そこらへんで死んでいる野良犬と同じように、誰にも目を向けられない風景の一か所として死んでいくんだよ!? それを私が許容できると思う!?」
「撃つな……」
後ろから、ヒューマノイドが一体。
「撃ってよ、ねぇ! お願いだから、私を村田君と一緒に逝かせ……」
「それ以上は、言うなよ」
「なんでよ!」
「僕は、失いたくないんだよ」
「そうして、目の前から逃げているだけじゃん! 兄さんの本心はどこにいったの? 昔みたいにズカズカ言いたいことを言わないの!?」
「それは……もう、無理だ」
「なんでよぉ……」
妹の両手が地面に落ちた。ヒューマノイドはまたくるりとターンした。村田君の頭は血の海にダイブした。
「帰ろう」
僕は手を差し出した。
「うん」
妹は僕の手を振り払ってから、家と反対方向へと歩き出した。
「どこにいく?」
「どっか」
「ついていくぞ?」
「なんで?」
「失いたくない」
「そう……ついてこないで」
妹は走り出した。フォームは陸上を少しでも知っている人間なら惚れ惚れするほど完璧で、非の打ちどころがなかった。
ほぼ毎回妹の大会に行っていた僕からすると、妹が絶好調の時にしか出せないようなフォームだった。
僕は、立ち尽くした。
妹はこの世に存在する負の感情を一手に背負いうけた様な気分であったはずだ。
それを振り切って、走り出したというのか。村田君は忘れ去られたのであろうか。
なぜ、彼女は家に帰らなかったのだろうか。
僕は、空を見上げて、天を仰いだ。
雲は灰色で、雨は透明だった。
水たまりは、朱色だった。
身を翻して、朱い世界へと歩き出した。




