表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

超能力者

作者: 笹舟

 彼は目立たない生徒だった。むしろ凡庸過ぎるようにすら見えた。同級生にも下級生にも等しく軽んじられていた。嫌がらせも度々受けていたように思う。だが彼はいつも決して憤ること無く、ただわずかにその相貌を細めるのだった。

 彼はよく本を読んでいた。今思い返しても、文庫本を持っていない彼を想像することは出来ない。本を読んでいる彼はどんな呼びかけにも、或いは教師の注意にですら答えることはなかった。強引に本を閉じられて初めて、文字をまだ追っているかのようなその目を上げるのだった。

 その目。その目を私はこよなく愛した。絶望でも憎悪でも軽蔑でもない。ただ、その両眼は冷たく澄んでいた。

 無関心。それは、完璧な無関心だった。私は毎日のように、彼の持つその本を閉じさせ、その動かない瞳孔を観察して楽しんだ。 

 彼が読む本は、チェーホフだったり、太宰だったり、はたまた素粒子物理学だったり、まちまちだった。

「面白い?」

時折尋ねたが、いつも白痴のような口調で

「読めば」

という気の無い答えが返ってくるばかりだった。語尾が上がる訳でもない。

自分で読めばいい、を省略したものだと私は受け取り、なるほど全うな答えだと妙なところで納得したのを覚えている。

 あれは多分放課後の図書室だったろう。そこには私と彼しかいなかった。彼はゴーゴリを読んでいた。私はそれを閉じ、例によって彼は私の向うを見つめた。その死者のもののような両目。

私は急に怒りを覚えた。自分でも戸惑うほどの、それは激怒だった。

「死ね」

 私は言った。周りの好奇の視線が集まるのを感じた。私は手近の数人を睨みつけた。避けるように彼らは本に目を戻す。

 やはり、彼は無反応だった。

「死ーね」

 私は繰り返す。

 彼は急に笑い出した。可笑しくて可笑しくて堪らないような、爆発的な笑いだった。

狂人だ。胸の底が冷たくなる。顔に出さないのがやっとだった。

 それが彼の人間性だとは、その当時はまだ知らなかった。彼は、少なくとも彼の一部は、狂人そのものだった。


 私はその頃、学校帰りに父に会いに行っていた。母には無論内緒だったし、誰に知られるわけにもいかなかった。私は駅前の雑踏を何度も行き来し、スクランブル交差点を横切って、誰もが自分に無関心であることを確認するまでは、決して路地へは入らなかった。

 だがそんなある日、私は陸橋の上の彼に気付いた。彼は柵に両肘をもたれ、じっと何処か人込みを見ていた。私は自らの迂闊さを呪った。寒気がするほどだった。

 私は下から彼を睨んだ。そして全く自分を見ている様子がないことに、少しの安心を覚え、ようやく下唇を咬むのを止めた。

 確認しないわけにはいかない。私は長い陸橋の階段を上った。想像以上に広い通路の中程で歩みを止め、彼の後ろに立った。彼は身動ぎもせず、じっと雑踏を見ていた。振り返りもしなかった。

「宇都宮」

 私は彼の名を呼んだ。彼は無言で振り返った。気を付けて観察したが、少なくとも私を見るその目は、いつもと変わりなかった。夕方の光を浴びても決してその色を映すことはない。彼は黙したまま、その目をまた下へ投じた。

 私は彼の視線の先を追ってみたが、やはり彼が何を見ているのかは分からなかった。

「面白い?」

彼は目をわずかに細め、正面から私を見据えた。私は思わず背筋を伸ばした。

「目、悪いのか」

彼は言った。

「いえ」

私は答えた。

「コンタクト」

「いえ」

まあ、いいか、とでも言うように彼は一つ浅い吐息を漏らす。私は生まれて初めて、見透かされる恐怖を感じていた。

「あそこのキャップの男」

彼は足早に歩く一人の男を指差す。次いで彼は三十メートル先にそれを動かした。

「チェックの服のあの男の財布を掏る。銅像の下にいるのは仲間」

彼はそのまま歩いていく。

「何処へ行くの?」

「帰る」

眼下ではキャップの男が、チェックの服の男に不自然に近付いていた。同時に銅像の下の男がそろそろと歩き出す。

 程無くキャップの男は雑踏に紛れて見えなくなった。私はビルのこちら側が夜になるもで、何をするでも無くそこに呆けたように突っ立っていた。


回収されていない伏線があります。

これから、「私」のことも描かれるにつれ、「私」の目のことも描写される予定でした。

そもそも長編のつもりで書きはじめたものの、例によって挫折したパターンです。

こんな続きを書けよ!みたいなご感想を頂けるととても嬉しいですね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 文章うめぇ……。 前半の多い比重で彼の本好きで変わり者で、不思議と目が澄んでいる丁寧な描写に加え、彼女の不意のヴァイオレンスでアクセント。飽きさせません。 そして終盤、急角度で彼の目の鋭さ…
[良い点] はじめまして。 やはりなろうは怖いですね……。文章力のある作者様の小説が未評価のまま当たり前のように埋もれている。 2011年に投稿されてらっしゃる御作品ですが、是非続きを読みたく思います…
[一言] 続きが読みたい!
2012/02/22 01:50 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ