まなみ
まなみは夫からDVを受けていた。
いずれ逃げるつもりで、毎日記録を残し、万一に備えていた。
彼の優しい部分も見て来ているまなみとしては、なんとか以前に戻って欲しいと願っていた。
しかし、戻るどころか最近になってますますエスカレートして来ていた。
夫が出張する度に一緒に連れて来られ、自由が利かない身ではあったが、昼は夫が会社の会食で拘束されるため、その時間だけは自由に外出出来たのだった。
ところが、ある日、暴力から逃げようとして、階段を踏み外し、意識を失ってしまう。
夫にはまだ優しさが残っていたらしく、救急車を呼び、病院へ付き添った。
幸い命に別状はないものの、腕や脚の打撲がひどく、頭を少し打っていた事もあり、暫く入院する事になってしまった。
まなみはこの入院がチャンスだと確信した。退院したら、家を出よう。
でもどこへ?
まなみが今までガマンしていたのは、行く場所がないからだ。でももうあそこの家には帰りたくない! とにかく、今はゆっくり休もう……。
まなみは眠りについた。
夫は医師から質問されていた。
「奥さんについてちょっと気になる事がありましてね」
夫はギクリとしながらも「……なんでしょう?」と平静を保った。
「身体中に古いアザが何ヵ所もあるんですよ」
「はあ……?」
「立ち入った事を伺って申し訳ないですが、最近暴行されたとか、それに近い何かされたとか、心当たりはありますか?」
「えっ! さ、さあ……。あいつは何も言ってなかったなぁ。妻は良く転んだり、あちこちぶつけたりして、しょっちゅうケガしてましたから……。気をつけるようには…言ってたんですが……。だからそのアザではないでしょうか?」
「そうですか……。だとしたら、かなり強く何かにぶつかったんでしょうかね……。ぶつけたくらいでは、あんなアザは出来ないはずですから……。内出血は危険な状態になる場合がありますからね、気をつけてください」
「わ、わかりました。良く言っておきます」
医師にはわかっていた。
鳩尾の内出血は打撲によるもの。あの夫の目の動き、手の震え。この夫は間違いなくやっている。
なんとか助けたい。
まずは本人から事実と意思を慎重に聞き出さなければなるまい。
――310号室――
「芝咲さん、気分はいかがですか?」担当医師が回診に来た。
「先生? わたしの身体……診ましたよね? 何か気付きましたか?」
「ええ。あなたの身体はアザだらけでした。階段から落ちたアザではないアザまで見つかりました。まるで暴行を受けたような痕跡です。暫くここで休まれた方がよろしいかと思いますよ」
「先生……。あの……。写真……、写真を撮ってもらえないでしょうか? 身体中のアザの写真を……。それから診断書も書いて欲しいんです!」
「……やはり……でしたか……」
「先生?」
「良かったら、そのアザの原因を話してくれませんか? 力になりますよ」
「先生……」
まなみはガマンしていた思いの涙が溢れ出した。そして、ゆっくりとすべて医師に話した。
「よくガマンしてこられましたね。辛かったでしょう……。わたしに話した事で、少しは気分が楽になったのではないですか?」
強気なまなみではあったが、涙が止まらなかった。
「彼の優しい部分はわかりました。しかしですね、それだけ暴行を繰り返されたら、あなたの身体は壊れてしまいます。暴力は愛情の裏返しではなく犯罪です。あなたはまだお若い。これからもっと幸せになっていただきたいのです」
まなみは言葉が出ない。
「誰か信用出来る人が身近にいますか?」
「信用出来る人? ……ですか……。わたし……頼る人が夫だけでしたから……」
まなみの母親は彼女が高校生の時に出て行ったきりだ。父親は産まれた時からいなかったし、誰なのかも知らない。
親戚なんか信用出来ない。
「誰も…………」
「そうですか……。それは困りましたね。入院している間にちょっと思い当たる方を探してみてください。どなたもいないようでしたら、またその時考えましょう」
「わ、わかりました。ありがとうございます」
「信用出来る人か……」
まなみは孤独感に苛まれていた。