一章→二章 行間
「チッ! 逃がしたか」
銀髪、碧眼の女性がもはや廃墟と化した部屋に足を踏み入れながらつぶやく。
「……その言葉とその殺気ですっごく悪役に見えますよ、華鍵さん」
その部屋の中で一部始終を見ていた小さな少女は、やれやれという表情で女性の独り言に返した。
小柄な少女は、姫桜今宵。
あくまで傍観者として、彼らの逃亡を見送った彼女は新たな客に問う。
「『特異防衛』の支部長会議は終わったんですかー?」
「ん? あぁ。まぁ、これと言ってでかい事件とかはなかったしな。とっくに終わっていた」
それに答えた女性は、華鍵凍亜。
スラリとした長身と、肌を多く露出するその服と、体の一部(上半身の)がとんでもなく強調されている、などのことがありえない妖艶さを纏わせる美女である。鋭い緑の眼光はある程度なりを潜めたが、気の強さがビシバシ伝わってくる。
その見た目と、簡単には得られないだろう妖艶さから、よく二十代前半の大人の女性に間違えられるが、彼女はまだ十七歳であり、月波たちの一つ上、姫桜にとっては二つ上の先輩である。
今この部屋にいるもう一人の少女と比べると、もうあらゆる意味で逆の存在なのである。
「そうですかー」
その逆の存在である姫桜が安堵した表情をつくる。
華鍵が不思議そうな顔をすると、
「あ、いやっ! あれですよ。私のせいで大事な会議を抜け出したりしなくてよかったなー、みたいなことですよ」
とあわてて補足説明した。
それに対して華鍵は、
「別に大事でも何でもないがな。とくに事件があったわけでもない、というよりこんなにも何もない時というのはとても珍しい。この機密事項だらけの都市『特異研究独立自治区』は犯罪者の宝庫だからな。産業スパイ、テロリスト、反『特異者』組合、願わくばこのすべてが潜んでる平和な時間が続いてほしいものだ」
絶対に叶わないとわかっていながら、そんな願いを口にする。
「『特異防衛』支部長がなにいってるんですかー? いつもの喧嘩狂はどこいったんですか?」
「……余計なお世話だ」
さっきの発言が自分の弱気を見せたものだと気付き、恥ずかしさを紛らすために軽く拳を振り下ろす。
「いったーー!! 『特異防衛』支部長が副支部長を殴るなんて!」
「まぁ、気にするな。……ところで気になってたんだが、お前『特異防衛』ってはっきり言うんだな。私たち『特異者』……これもだが、とにかく私たちは『特異』という言葉を嫌うだろ? 最近では『防衛』で通っているが」
小柄な少女は頭をかかえながら、
「情報管理職っていうのは中立の立場が必要なんですよ。私情をいれると見逃すものも出てきますからねー」
と答える。その間に華鍵は荒れた部屋を抜け、ベランダに出て、空を見上げる。今日は嫌な曇り空だ、と思う。
じゃあ、と前置きして彼女は問う。その瞳に、その声に、その纏う空気に今までになかった真剣さが宿る。
「私情を抜いたら『特異防衛』のことをどう思う?」
「なんですかー? いきなり」
姫桜はそれに気付きながらもその平和的で間延びした口調はやめない。
しかしその雰囲気だけは変化する。
「……今日の会議でそういう話になってな」
「そうですかー」
ここで一拍の間があく。逆にいえば、思考の時間もたったそれだけということ。
それは口に出すことが適当なもの、ということではなく、その考えが当たり前のように浸透しているということ。
「嫌いですよ」
感情の消えた冷めた声がたった一言を紡ぐ。それは平和をイメージさせるその少女の声を一度でも聞いたことがあるものなら、疑いを持たずにはいられないほど感情を無に変貌させた声。
しかし、華鍵は振り返ることもしない。彼女がそのように言葉を発せる原因を知っているからだ。
「そもそもですねぇー」
次の言葉には、感情が戻っていた。それでも真剣味を崩さない程度に薄いものだったが、少女は続ける。
「『特異者』っていうのも『特別に異端を許可された者』の略称なんですよー。明らかに上から目線じゃないですか」
感情は言葉を放つうちに徐々に戻り、今でははっきりと、怒っていますオーラが漂うまでに戻っている。
「『特異防衛』もネット上の公式サイトでは、特異者の生活保護のために仕事を与えてる、って書き込んであって、……まぁ実際、給料と生活スペースは与えてくれてますけど……、その仕事は『治安維持』ですよ。凶悪な犯罪者と戦う必要もあるし、ケガをする人もいっぱい出てきます。なにより『力』があるからといって中学生と高校生に危ない仕事を任せるのはどうかと思います。しかも中学生からは入隊することが義務になるんですよ。入らないと生活保護を打ち切るって脅しじゃないですか」
姫桜はこれでもかというほど不満を並べていく。
「実際はさらにひどいな。生活保護を打ち切るというよりは『人権』をもぎ取るという方が正しい。居場所、戸籍、仕事、財産、すべてを奪うからな。」
それに追い打ちをかけるように華鍵も問題点を糾弾していく。
「かといって『防衛』に入っていれば万事解決ということもない。ここ『特異研究独立自治区』は、日本の最先端の兵器開発都市だ。何しろ特異者が人口の半分を占めていて、その全員が政府の実験の被検体になることが義務付けられているからな。兵器だけじゃなくて科学全体が進んでるし、機密レベルも高い。だから寄ってくる犯罪者の質もおのずと上がる。そうするとそいつらが持っている武器のレベルも上がる。結果的に危険度は他の場所より跳ね上がる」
振りかえり、衝撃で少し曲がったベランダの手すりに背を預けて、まぁ、と一つの間を置き矛先を少し変える。
「警察もいるにはいるがなにせ人任せな奴らだ。迷子をあやしたり、落し物を探して、仕事しましたー。ということを平然と言うような無責任さだからな」
そのうえ、と前置きし、さらに続ける。
「それを防ぐために『特異研究独立自治区』、まぁめいどうだから略して『特研区』は、独立して日本海に作られたっていうのに、沖に一〇キロなんて微妙な位置に作るし、陸路と海底トンネルでつなぐし、海上にモノレールを走らせるし、空港、船着き場をバンバン作るから犯罪者も簡単に潜り込んでくる。一応、部外者は特別の場合を除いて立ち入りも不可能だし、入ってくるにしても許可書がいるようにしたのに、意味ないんだよ。上層部は馬鹿ばかりなのかと聞きたいくらいだ」
そこで彼女は一度話を切った。その緑の瞳に明確な意思が宿る。そして、
「だから嫌いなんだよ。私は、このふざけた世界が」
そう一言で締めくくった。
「…………はぁー。それが『特異防衛』の権限を使って、街の不良とストリートファイトしている華鍵さんのセリフですかー?」
それを小柄な少女の一声が元に戻す。こんな話はもう終わりだと暗に告げているような、のどかで平和な声で。
「……そうだな」
華鍵はその言葉にではなく、その思いに対して答えを出す。
「でも体術を試したいだろ。しかもあれは正当防衛と気晴らしだ」
「気晴らしってなんですかー!? 気晴らしで戦わないで下さいよ。しかもいっつもぼこぼこにするから、『路上の女王』なんて呼ばれて、恐れられるようになったんですよ」
姫桜はむぅー、とほほを膨らませて怒り顔をつくる。そんな仕草に、まだまだ子供っぽい、と思う銀髪の支部長。
それはさきほどとは違う平和な日常世界の会話。
「ところで……」
華鍵は何かを思い出したような顔をして、
「捕捉できているか?」
とだけ目の前の少女に聞いた。
「はい。とっくに」
そう答える少女の手には携帯電話。そしてその画面には、ある場所の地図と、その一角にまたたくちいさな点が二つ表示されていた。
「まずは茶でも飲んでいくか」
華鍵は背を預けていたベランダから体を離し、部屋を縦断して廊下に向かう。
その後ろに姫桜が続いた。
「そのあとは……」
彼女はこの部屋での会話をとても平和な一言で締めくくる。
「狩りに行こうか。私の自由な時間をつぶしてくれたバカな後輩たちを」