一章 『日常』→『非日常』(『普通』→『特異』) 5
月波葬夜と白雛照日は九階から絶賛落下中である。
「死ね! このバカ! いますぐ死ね! というか私の命を助けて死ね!」
白雛は重力に従う中で月波に叫ぶ。
「えぇぇぇー! 師匠から救ってやったのに、なにこの理不尽!」
月波はつかんだままの手を引いて白雛の体を手繰り寄せる。
「まぁ、何とかするからつかまってろ。それができないなら知らん」
そう言い放つと、あわてて体に手が回され、背中にしがみつかれる。なんかいろいろと密着しているが緊急事態のため気にしない。
そうしているうちに高度は下がる。もう半分は超えただろう。
それを確認した彼の表情が真剣味を増す。
彼は思う。
自らに宿る『力』を。
完壁ではないその『力』を。
そしてそれを使う『技』を構築する。
その次の瞬間。高度はなくなり、周囲に亀裂が走った。
それはたった二人の人間が、たった九階の高さから落下しただけではできないだろう、広く、大きなもの。
それに対し、月波が受けた衝撃はそれによって受けるはずの衝撃よりも圧倒的に少ない。
これが『不死』のみが顕現できる『技』。
物理学と人体学を真髄まで極めた、ある学者が作り上げた『技』。
人間というものはとても便利だ。
人間というものは体を効率よく動かすことで衝撃を分散する、ということができる。たとえば高いところから飛び降りるときに設置箇所を増やし、衝撃を分散できる。足→膝の横→腰→背中→後頭部→頭頂という五点接地落下法などがその一つだ。
人間というものは体を効率よく動かすことで衝撃を受け流す、ということができる。たとえば物騒だが、大型のライフルなどを使用する軍人などはその反動を無理に抑え込むのではなく、受け流すことで照準のずれを防ぐのだ。
この『技』はそれを極限まで高めたもの。
人間はというものはただ体を効率よく動かすだけで衝撃を分散することができる。
人間はというものはただ体を効率よく動かすだけで衝撃を受け流すことができる。
ならば、
それをすべての骨、すべての筋繊維、それらすべての『細胞』で行えばどうなるか?
結果として、その『技』は衝撃を殺し、ダメージを九十%、防ぐことができるとされた。
そしてそれは間違っていなかった。
そのあとにおこる全身骨折、筋肉断裂、血流逆流、という『副作用』がすべてを上書きするということが発覚していなかったこと以外は。
結局、その『技』は原因も解明されぬまま廃止になった。衝撃は殺せても、それ以上の『傷』を負ってしまう。そんなものには意味などなかった。
しかしそんな副作用は『不死』には関係ない。
『傷』を負うこともできなくて死なないだけの『力』がここで意味をなし、その使い手はその『技』に名をつけた。
罪を減らす力、
『減罪』
と。
そして今その使い手である少年は、
その背中に抱えていた、茶髪の少女に押しつぶされて気絶していた。
「……はい!?」
そんな声を漏らしたのは、少女。少年には動きはない。
この状況を簡単に説明しよう。月波葬夜は白雛照日を背負ったまま『減罪』を発動した。月波の落下のエネルギーは、体を駆け巡ったがすべての『細胞』を駆使し、地面に放出しなおされていた。
実際、九階から人を一人抱えて飛び降りたにも関わらず、月波が受けた衝撃は一階の窓(約二メートル)から飛び降りたのとたいして変わらないものだった。
しかし、背負った少女の落下のエネルギーは別である。
月波は着地にのみ気を向けていた。『減罪』は強力だが、物理学と人体学の真髄だけあって、計算処理にかなりの集中力を要する。月波の学力はお世辞にも高いとは言えないが、これだけは訓練で徹底的に補強させている。が、それでも集中を途切らせることは即失敗につながるのだ。そしてそれは基本、月波葬夜、一人を基準にして計算される。
なので、月波は白雛の『減罪』への組み込みを間違えた。
結果として月波葬夜は白雛照日のクッションとして地面に転がっていた。
そんなことを全く理解していない少女は、とりあえず辺りに転がっていた鉄骨をボード状に変形させ、少年を放り込んで、『力』でそれを引っ張り、辺りに月波の元居住スペースの窓ガラスの破片やその他残骸が転がる建物の敷地をあわてて後にした。