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冷めきった勇者補欠おじさん、サラマンダー娘に熱せられる。

作者: 氷炭
掲載日:2026/05/01


 白樺が林立する雪山。

 フォグは白い息を吐き、厚い雪を踏みしめていく。雪上に点々と続く足跡。獣のものではない。足跡の周りの雪が溶け、のぞけた土の表面が焦げている。情報通り、熱を持つ存在らしい。


 冒険者ギルドからの依頼。近頃、雪山のふもとで魔物らしき影が目撃されている。全身に炎を帯び、すばしっこく動く。見つけて始末してくれと。

 雪原の真ん中に、いた。

 小さな影が寝転がっている。その周囲の雪がごっそり溶け、湯気が立ちのぼっている。


 フォグが背に負った刀に手をかけ、近づいていく。

 それはフード付きのコートを着た、小柄な少女だった。安らかな寝顔。年の頃は十かそこら。行き倒れ、ではないだろう。


 赤茶色の髪。桜色の唇。とがった八重歯がのぞく。手指の爪は硬質で、光沢を帯びた黒曜石めいている。

 透き通るような白い肌。露出した首元から頬、両手の甲にまで、真紅に燃え輝く紋様が浮かび上がっている。それは、人ならざる魔族や魔物が魔力を発する際に現れる――〝火脈かみゃく〟。


 フォグが刀を抜く。少女に向け、一閃。

 剣波が駆ける。軌道に金色の微粒子がきらめき、少女の肌の下の〝火脈かみゃく〟がかき消えた。

 少女がぱちっと目を開ける。まぶたをこすりながら、フォグを見上げてくる。

 

「なあに?」


「起きろ。こんなとこで寝てちゃ風邪を引く」


「引かないよ。あたし、別に寒くなんか……あれ?」


 少女が〝火脈かみゃく〟の消えた白い肌を見やる。手のひらを開け閉じする。真紅の輝きがわずかに発しかけるが、すぐまた消える。


「おじさん、なんかした? あたしに?」


 少女ははじめて寒さに気づいたように身震いする。


「お前さんの魔力を斬った。全身に炎の気をまとってて、危なっかしかったんでな」


「えぇー? 魔力を斬るとか、なにそれ?」


「心配するな。半刻もすればちゃんと元に戻る」


 正確には、少女の体内を流れる魔粒子――魔力の素となる微粒子の流れを斬り、周囲の空中に含まれる魔粒子も斬り、いわば魔力の酸欠状態にしたのだが、いちいち説明するほどフォグは親切ではない。


 少女がじっとにらんでくる。その瞳の色が左右で異なっている。

 左が薄茶色、右が濃い琥珀色。一方が人間の瞳で、もう一方はおそらく幻獣の瞳だった。


「お前さん、サラマンダーの血を引いてるな?」


「だったら、なに?」


 炎を司る希少幻獣――サラマンダー。フォグがまだ若く、剣の修行がてら迷宮に入り浸っていたころ、サラマンダーを狩ったこともある。少女の特徴的な外見や発する魔力の色具合から連想は容易だった。

 少女は人間と幻獣の〝間の子(あいのこ)〟――半人半獣なのだ。


「さ、行くぞ」 


「行くって?」 


「冒険者ギルドにだ。炎を帯びた魔物を始末しろ、って依頼でな。で、正体はお前さんだった」


「あたし、昼寝してただけだよ?」


「証拠としてお前さんを連れて帰らないと、報酬の金がもらえん」


「……おじさん、悪い人なの?」


「恥ずかしながら、俺の今月の生活費はかつかつでね。世知辛い世の中だよな」


 フォグが雪原を歩き出す。

 少女が少し後ろからついてくる。魔力を発する身振りを繰り返しながら。だが、発しない。

 

 前方に、浮遊する人影が三つ四つ現れた。

 近づいても人影のまま。細かな雪の破片で輪郭が形作られているだけで、実体はない。眼球に当たる部分が真紅に輝いている。

 〝雪亡霊〟――さまよう死者の魂が、雪の精と融合して魔物化したもの。人間の魂を喰らって新たな肉体を得ようとする。

   

 フォグが抜刀し、振る。雪亡霊の数だけ剣波を飛ばす。

 すぱ、すぱ、すぱ、すぱ。

 影が斬れると、目の真紅の輝きが消える。雪の破片が散っていく。

 

「変わった剣だね。すごい細くて、華奢な感じ」


「刀というんだ。東方から流れてきた骨董品でな。斬れ味はいい」


「魔力を斬るっていうの、本当みたいね。そんな物騒なやつであたしのこと斬ったんだ、へーえ」


「急ぐぞ。日が暮れると雪亡霊どもがうじゃうじゃ湧く」


「あたしも魔力が使えれば、全然大丈夫なんだけどなー。あー、足が冷たくてじんじんする。寒い、寒い、寒い。誰かさんのせいで……」


 フォグが振り向くと、少女は頬をふくらませている。


「……」


 フォグは何もいわない。頭をぼりぼりしてまた前を向く。湧いてくる雪亡霊を淡々と斬って進む。

 すぱ、すぱ、すぱ、すぱ。


「あたし、テナっていうの。おじさんは?」


「フォグ」


「そっか、やっぱり」


「ん?」


 一瞬不思議に思うが、フォグはこの雪山での暮らしが無駄に長い。かれこれ十年は居座っていて、雪山のふもとの街ではいくらか名前が知られている。少女もどこかで聞きかじったのだろう。


「ねえ、おじさんって、勇者さんだったんでしょ?」


「……いや」


 苦い笑みを浮かべるフォグ。


「勇者の、補欠だよ」




◇◇◇




 街の冒険者ギルドにテナを引き渡し、フォグはまた雪山に戻った。

 小さな山小屋。簡素な台所と寝室の二間。

 ぱちぱちとたきぎが爆ぜる音。暖炉兼用の石かまどに青白い炎。聖水の染み込んだたきぎ。魔物よけの効果があり、燃やしっぱなしにしている。


 新しいたきぎを二三本放り込む。背の刀を外す。コートを脱ぐ。腰に吊るしていた革袋を丸テーブルに放る。じゃらっと鳴る。

 金貨三枚と銀貨八枚。これで半月はしのげる。テナと引きかえにもらった報酬だった。

 

 ちくりと胸が痛んでいる感じはある。

 テナはおそらく孤児だ。ギルドの話では、(魔物と見なされていた)テナは雪山周りの民家に入り込み、軒先に吊った寒干しの川魚や、雪下野菜の黒大根や白人参などを盗んでいた。見つかると炎を発して威嚇して逃げていたのだとか。


 腹が減ってのことだろうが、周辺住民に迷惑をかけていたことは間違いない。

 ギルド経由で孤児院か救貧農場に放り込まれるか。悪くすると犯罪者扱いで流刑植民地送りになるか。

 テナは半人半獣。それだけで人間界では差別的な目で見られる。


(勇者さん、か)


 フォグは若いころ、勇者の有力候補の一人と見なされていた。勇者とは、王宮から魔王討伐の勅命を受ける唯一の冒険者。

 勇者選びは、一対一の御前試合、パーティー模擬戦、有力貴族からなる勇者選定会議によって行われた。


 フォグは御前試合では上々の成績を残したが、パーティー模擬戦では散々な結果に終わった。味方との連携がまるで駄目だった。それはフォグの不器用さだけでなく、フォグが愛用する刀のせいでもあったが……。

 選定会議の面接ではまずい受け答えに終始した。貴族たちにおべっかの一つもいえず、印象を最悪なものにした。


 結果、勇者になれず。勇者の補欠となった。

 正式には〝次席勇者〟。勇者に不測の事態が起こった場合、そのスペアを務める制度。ただし名ばかりの制度だった。次席勇者となった者は辺境に飛ばされ、薄給で魔物狩りに従事させられるだけ。

 次席勇者を打診された者は大半が辞退した。それでもフォグはひょっとしたらという思いから受け入れた。そして補欠のまま表舞台に立つことはなかった。


 月日が流れ、勇者パーティーが魔王を討った。

 勇者は王宮の姫君と婚約し、広大な屋敷を与えられ、次期王位継承の筆頭となった。

 フォグはお役御免となり、次席勇者の任を解かれた。最後に魔物狩りをしていた雪山に居着いたままになった。他に行き場所はなかった。

 

 フォグは小さな棚の上を見やる。

 鉄木アイアンウッドで造られた、王家の紋章入りの小箱。納まっているのは〝万能霊薬エリクサー〟。王家から次席勇者への支給品。万が一致命傷を負ったときのためにと。

 取っておいたまま使う機会がなかった。売ればまとまった金になる。金銭的に窮乏する中で何度もそうしようとして、できなかった。


 フォグは台所に立って、小瓶を取った。蓋を外し、肉叉にくさで中身をかき出す。

 きゅうりのさっぱり酢漬け。赤辛子を少し刻んでまぶしてある。輪切りのきゅうりを口に放り込む。しゃりしゃりと小気味いい音。うまいが心は浮き立たない。


 若いころは、魔王を討ち平和をもたらすことが使命だと考えていた。今は、きゅうりのいい感じな漬け具合にささやかな満足感を得ている。

 これじゃまずいと思い、尻に火がつくのを待っているのだが、すっかり冷えきっていた。尻だけでなく、自分のすべてが。


 扉がこんこんと叩かれる音。

 こんな山小屋を訪れる者なんていない。フォグがいぶかしみつつ扉を開けると。

 

「やあ」


 半人半獣の少女――テナが立っていた。

 にっと微笑んで、唇からとがった八重歯を突き出す。




◇◇◇




 テナは麻のシャツ姿だった。コートは脱いでいた。寒そうに見えるが、肌の下の〝火脈かみゃく〟が輝いているので体温調節済みなのだろう。 


「これ、おみやげ。途中の倒木で見つけたの」


 テナは、脱いだコートを風呂敷代わりにキノコをいっぱいに詰め込んでいた。それをフォグに押しつけつつ、小屋に入ってこようとする。


「ちょっと待て。どうやってここに来た?」


「おじさんの後をつけてきたの」


「冒険者ギルドは?」


「逃げてきた」


「はあ?」


「だって、職員の人がいきなり鎖で縛ろうとしてきて。ちょっと脅かして、その隙に。ほら魔力も戻ったし」


 テナが細い人差し指を立てる。ぼっと炎が生じ、テナ自身の身の丈以上に高く燃え上がる。

 サラマンダーの血を引いているだけある。質量ともに申し分ない上、よく制御された炎……などと感心している場合ではない。

 フォグはテナの背後に視線を走らせる。


「大丈夫。ちゃんと逃げきったから。で、こうなったのも元はといえば、おじさんのせいだよね? だからかくまってもらおうかなって」


「……」


 答えに窮しているフォグのわきを、テナがすり抜ける。


「へーえ、わりとこぎれいなお家。もっと汚いかと思ったけど。おじさん、きれい好き?」


 テナがキノコの山を台所にどさっと置く。あたりをごそごそあさりはじめる。


「あ、干し肉がある。兎肉かな? あたし、お腹減ってるんだよねー。今日おじさんに叩き起こされてからなんにも食べてなくて」


 フォグは腕組み。


(刀で脅して、追っ払っていいもんか? いや、仕返しに小屋に火でもつけられたら困るし……)


 フォグは対人関係というものが全面的に駄目だった。すぐ考えるのが嫌になり、弱腰になる。

 頭をぼりぼりして台所に立つ。傷だらけの鉄鍋を石かまどの上に置く。「おみやげ」のキノコの山を見やる。

 

「おい、このキノコやばくないか?」


 キノコは榎茸エノキタケ平茸ヒラタケが大半。その表面が黒ずみ、ぬめっている。冬山に食料になるものは少なく、まともに喰えるキノコならその辺に生えたままにはなってない。 

 

「平気、平気。そのくらいの傷みなら。あたしが元気にできるから」


 テナが手のひらに魔力を帯びる。金色の炎を燃え立たせる。

 キノコの山にかざす。たちまちにキノコの表面に張りが出てくる。色艶がはっきりとよくなる。しなびた兎肉も金色の炎であぶる。みずみずしい兎肉に一変する。


「こりゃ、炎で再生させたのか?」


 古来、サラマンダーが発する炎は〝再生の炎〟とも呼ばれる。単に対象を燃やすだけでなく、自分の生命力を炎に変えつつ分け与えることも可能なのだ。


「いい感じでしょ」


「たしかに……だな」


 フォグは鉄鍋に獣脂を塗る。新鮮になった兎肉とキノコを焼く。庭で育てた黒大根と蕪のざく切りを加える。水を注ぎ、塩と乾燥ハーブで味をととのえる。煮込んでポタージュに仕上げた。

 深皿は一つしかないのでそっちはテナに貸す。自分は大きめの平皿によそう。


 テナがポタージュを匙ですくって口に運びつつ、「うまいね」と薄茶色の左目と琥珀色の右目を輝かせる。

 

「あたしがお肉とキノコを元気にしたおかげだね?」


「いや俺の料理の腕の方が……」


 フォグは口走りながら、十そこらの小娘にいい年の中年男が対抗しているのはかなり恥ずかしいことだと気づく。もぐもぐといい直す。


「あー、お前さん、大したもんだよ」


「じゃ、明日も料理手伝ってあげるね」


 テナが唇をぺろっとして笑う。ここに居座るつもりらしい。

 さすがにそれはまずかろう、とフォグが一つせき払い。


「なあ、お前さんもさ。知らない大人についていっちゃ駄目とか、聞いたことあるだろ?」


「ないけど。おじさんのことは知ってる。前に会ったことあるから」


「ああん? 前に会った?」


「おじさんは覚えてないかもだけど……」


 テナの話。数年前、雪山のふもとの街に魔物の群れが押し寄せてきた。

 そのころ、テナは街の浮浪児だった。まともに避難できる場所はない。魔物に襲われかけたとき、フォグが駆けつけた。魔物を斬り捨てた。テナがしゃべる間もなく、フォグは別の魔物へと向かっていった。


「門衛のおじいさんが話してくれたよ。あのおじさん、見た目はぱっとしないけど、勇者さんなんだよって」


「……」


 フォグにもおぼろげな記憶があった。当時はまだ魔王が健在で、頻繁に魔物が出没していた。そのとき、ひたすら魔物どもを斬りまくったことは覚えている。ただ正直、一人の浮浪児――テナを助けたことは覚えていない。

 

 フォグは〝次席勇者〟だったので、人助けもしたが、それは二の次だった。たぶん、本当の勇者であれば、誰かを救うために魔物を倒すのだろう。フォグは逆だった。魔物を倒したついでに、誰かを救った。自分の腕を上げることばかりに熱心だった。

 そんなだから、あの勇者選定会議の面接で貴族どもに嘲笑されっぱなしだったのだ。考え方が幼稚だと。


「ベッドは一つだけかあ。おじさん、床でもいい?」


「泊めるとはいってねえ。喰い終わったら、お前さんをまた冒険者ギルドまで送る」


「でもそうなったら、あたし酷い目にあうよね?」


「そりゃ……わかんねえけど」


 いや、わかっている。冒険者ギルド内で暴力行為はご法度。にもかかわらず、テナは魔力の炎を発し、ギルド職員を威嚇して逃亡した。子供だからといって大目には見られない。即捕縛されて牢獄に放り込まれるだろう。


「おじさん、悪い人じゃないし、かくまってくれるよね?」


「……」


 フォグは良心のフリをした自分の弱気を呪いつつ、うなだれた。




◇◇◇




 翌朝。フォグが目覚めると腰が痛い。床で寝たせいだ。

 テナがベッドから下りる。さっそく台所をあさりはじめる。


「あー、最近野宿ばっかでひさびさの布団だったからよく寝れたー」


「そりゃよかった。俺も腰が痛くなった甲斐があった」


「痛いって、どのへん? 治したげる」


 テナがフォグの腰に手のひらをかざしてくる。金色に輝く再生の炎。痛みがぬぐったように消えていく。


「おぉー……治っちまった。お前さん、やるなあ」


「よかったあ。じゃ、今日もおじさんが床ね」


 どうもこのサラマンダー娘のペースに乗せられている。

 とはいえ、世間から隔絶した中年男の山小屋に年端もいかない少女が居着くとか、やはり外聞が悪すぎる。


 たまに薬草採りの冒険者が山小屋を通り過ぎる。なにかの拍子に目撃されたら。冒険者ギルドというのはただでさえ噂が広まりやすい場所だ。

 長年魔物狩りをこつこつやってきた真面目なおじさん、というフォグの人畜無害なイメージが崩壊してしまう……まあそんなしょうもないイメージはどうでもいいか。


(とにかく、テナはどこかに預けるべきだ。よさげな孤児院でも見つけて)


「おじさん、これから冒険者ギルドの仕事?」


「ああ。飯喰ったら出る」


「戻ってくるのは日暮れ前?」


「そのくらいだな」


「じゃ、あたしもそのくらいに戻ってくる」


 朝食は昨日のキノコの残りを使った山菜炒め。

 小屋を出る。フォグは雪山を下り、テナは雪山を上っていく。テナがなにしに行くのか気になったが、聞かなかった。


(孤児院に預けるまでの関係だ。細かいこといってもな)


 フォグはふもとの街の冒険者ギルドへ。

 顔なじみの受付嬢に仕事を探してもらう。一昔前なら魔物狩りの依頼がいくらでもあった。今は激減した。魔王が死んで平和になった影響だ。

 魔物狩りがなければ、街道の用心棒、剣の稽古役、それもないとなると雪下ろし、荷物運び、ドブさらいあたりになる。


 ついでに、手ごろな孤児院はないか聞く。この辺りは旧魔王領――魔大陸に近いせいで戦災孤児が多く、そこまで質問が不審がられることはない。

 孤児院だと王都の大聖堂付きの孤児院がいいらしい。大聖堂は国の慈善事業の中核を担っているし、どんな種族の孤児でも受け入れている。教育もしっかりしている。テナを連れていくならそこだろう。


 受付嬢はテナのことも口にしてきた。

 案の定、テナの逃亡はギルド内では結構な大事となっていた。テナを見つけたら即連れてくるよう冒険者たちに指示しているらしい。

 フォグは「見つけたらな」と返事するだけで目が泳ぐ。


「いっとくけど、孤児院は絶対嫌だよ」


 山小屋に戻って話すと、テナの顔がこわばった。


「前、孤児院にいたの。ひどい目にあった」


 テナが元いた孤児院は、雪山の向こうの港町にあったという。

 野菜屑の薄いスープ。馬小屋の藁の布団。朝から晩まで手先を使う作業。職員の罵声、鞭打ち。分厚い灰色の壁。

 テナは両親を知らず、物心ついたころにはそこにいた。ある日、脱走した。


 孤児院とは名ばかりの、強制収容所めいた施設だったのだろう。捕虜にした魔族などの反乱分子を隔離する場所。人魔で戦争していた頃からの、人間界の影の部分だ。


「すまん。嫌なこと、思い出させちまって」

 

「あたし、邪魔?」


 テナの薄茶色と琥珀色の瞳がうるみがちに。赤茶色の髪が逆立ち、うっすら真紅の炎を帯びる。興奮して魔力の流れが不安定になっているのだ。


「あー、そういうわけじゃねえけどさ」


 フォグが頭をぼりぼりやる。二人で無口になりながら夕食を作った。冬野菜のピリ辛雑炊。喰っているうちにテナは少し機嫌を直した。




◇◇◇




 妙な同居生活がずるずると続く。

 起きて、二人で朝食を作って食べる。外に出て別れ、日暮れ前に帰ってくる。二人で夕食を作って食べる。


 料理については、はじめテナは再生の炎で食材を「元気にする」だけだったが、すぐに自分も料理をしたがったので教えた。焼く、煮る、和える。調味料の種類。鉄鍋、包丁の使い方。

 フォグ自身、雑な男料理しか知らない。テナはさっさと覚えていく。きゅうりのさっぱり酢漬けも教えた。酢の匂いに過敏に反応したか、テナは再生の炎の火加減を間違えて焼ききゅうりにしたりした。


 一方で、テナが白羽衣草しろはごろもそう銀苔桃ぎんこけももの実といった稀少な薬草や果実を持ち帰るようになった。


「盗んだとかじゃないよ、雪山で見つけたの。あたし鼻が利くから。で、おじさんが冒険者ギルドで売ってくれない? お金の半分はおじさんにあげる。それが宿賃」


 フォグに押しつけてくる。しょうがないので冒険者ギルドで買い取りしてもらう。ただ落ちぶれた中年男とはいえガキに恵んでもらうほどではない。「おじさんにあげる」という金は別に取って置き、後でまとめて返してやることにする。


 ある日、テナが奇怪なものを持ち帰ってきた。

 大根のような根菜。青白く凍り付いたような色。根の部分が異様にねじくれ、人面めいたものが浮かんでいる。


「こりゃ、マンドラゴラじゃねえか。どこで見つけた? お前さんが抜いたのか?」


「雪山で見つけたから、引っこ抜いたけど」


「大丈夫だったか? でかい悲鳴が響いただろ?」


「ううん、全然」


 マンドラゴラ――呪われた半植物で半精霊。

 非業の死を遂げた人間の魂と体液の残滓が種になる。負の魔力がただよう古戦場や墓地などで育つ。引き抜かれる際、鼓膜を破るほどの絶叫を放つ習性がある。


「薬草探してたら、声が聞こえて。なんか苦しそうな感じだったから、あっためてあげたの」


 テナが手のひらに橙色の炎を発する。再生の炎。


「で、引っ張ったらするっと抜けて。これ、高く売れる?」


「こんだけ太ってりゃな」


 マンドラゴラの根茎の表面。普通ならそこに苦悶の表情が浮かんでいるはずだが、このマンドラゴラは穏やかに眠っているような表情。


(テナが呪われた魂に安らぎを与えた、みたいな感じか? いやそんなことより)


「お前さん、雪山のてっぺんに行ってるのか?」


「ん、なんで?」


「マンドラゴラってのは、死体のそばに生えて魔力が濃い場所で育つ。そういう場所は、この付近じゃ雪山のてっぺんだけだ。そこには人間も魔物も寄りつかない。マンドラゴラも、白羽衣草しろはごろもそう銀苔桃ぎんこけももも、手つかずで生えてるだろ? だからお前さんがいくらでも持ち帰ってこれる」


 フォグの眉間にしわが寄る。

 

「あそこには、二度と行くな」


「でも、まだいっぱい……」


「いいから、行くな。あそこは危険なんだ。この雪山はやたら雪亡霊が多いだろ? なぜかっていうと、それだけ大量の人間が殺されてるからだ。殺したのは一匹の化物だ。そいつが雪山のてっぺんに封印されてる。そもそも俺がこの雪山にやってきたのは、そいつのせいみたいなもんだ」


 化物の名は〝氷霧ひょうむの巨人〟。

 かつて雪山を根城に、周辺の人間をさらっては喰い殺した。勇者パーティーが討伐に向かったが、巨人は強かった。仕留めきれず、封印することになった。

 その後、〝次席勇者〟だったフォグが差し向けられた。巨人が殺した人間の魂が大量の雪亡霊と化し、周辺一帯が不安定になったためだ。

 

 テナは「じゃ、行かない」といって、黙りこくった。テナは不機嫌になると無口になる。それくらいは鈍感な中年男にもわかった。


 翌日、テナは帰ってこなかった。

 フォグは窓の外を見やる。もう日が落ちていた。濃紫色の宵空。ちらほらと雪が降りはじめている。このぶんだとかなり積もるだろう。


 なぜ、帰ってこない?

 冒険者ギルドの手の者に捕まったから、ではないだろう。テナの足跡はいつも通り雪山の上へと続いている。

 おそらく雪山のてっぺんへ、マンドラゴラや薬草類を採りに行ったのだ。フォグの警告を無視して。そして帰ってこれない状態に陥った。


 馬鹿な小娘だな、と思う。

 山小屋の「宿賃」にできそうなものはそれくらいしか思い浮かばなかったからやっぱり行きたくなった、とかだろう。


 フォグが若いころなら、すぐにでも飛び出したかもしれない。

 今はすっかり冷めていた。別に助けに行く義務はない。今のフォグは〝次席勇者〟ではない。年喰った一冒険者だ。

 もともとテナが押しかけてきただけ。夜は魔物が日中よりも湧いて危険だ。テナを探しに行くにしても、夜が明けてからにするのがまともな判断というものだ。


(けど……馬鹿な中年男だしな、俺も)


 フォグは携帯食、火酒、包帯、薬草、治癒薬ポーションをかき集める。念のため、鉄木アイアンウッドの小箱から銀青色の液体入りの瓶――〝万能霊薬エリクサー〟を取り出す。まとめて背嚢はいのうに放り込む。コートを着て刀と背嚢はいのうを背負うと、山小屋を飛び出した。




◇◇◇




 雪山の頂上。

 巨大なすり鉢のようにえぐれている。噴火した火山が崩れ落ちてできた陥没盆地。その全体を半円球の青白い結界が覆っている。

 かつて勇者パーティーの一員だった聖女によって生成された結界だった。魔物ははじかれて侵入できない。人間の立ち入りはふもとの冒険者ギルドによって禁じられている。 


 フォグがすり鉢状の縁に立つ。テナの足跡は結界の内側へと続いていた。

 盆地の中央に縦穴。マグマが噴出した火口跡。その奥に溶岩洞が広がり、〝氷霧ひょうむの巨人〟が封印されている。

 今、その入口をふさいでいた巨岩が砕け散っていた。


 結界の内側に、雪片と濃紫色の微粒子が吹き荒れている。さなかにかすかな橙色の輝き。

 フォグが目を細める。テナだった。棒立ちになり、静止したように動かない。全身が氷漬けになっていた。


 手前に、大小の氷の破片が渦巻いている。その渦が痩せこけた巨人の輪郭をなしている。頭部に鹿の角めいた突起。眼と心臓の部分が真紅に燃え輝く。おそろしくでかい雪亡霊といったところ。

 〝氷霧ひょうむの巨人〟――災厄級の魔物。常に飢餓にさいなまれ、熱を求めてあらゆる生物を喰らうという。


 テナは気絶しながら、なお橙色の炎を身体に帯びていた。無意識のうちに炎を発しているのだ。氷漬けへの抵抗として。

 巨人がテナに屈み込む。テナが帯びる炎が、巨人の口元へと吸い込まれていく。その野太いのどを通って巨大な心臓へと流れ込む。そこが橙色に燃え輝く。テナの炎を自身の生命力へと変えているのだ。熱に飢えた〝氷霧ひょうむの巨人〟にとってサラマンダーのテナは格好の餌だ。


 フォグが背嚢はいのうを地面に放る。刀を抜き放つ。

 すり鉢状の縁から駆け下りつつ、一閃。剣波が飛ぶ。巨人ののど元に食い込む。巨人が吸っていた炎が逆流し、吐き出される。

 

 巨人が振り向く。真紅の目がフォグを捉える。渦巻く氷の破片で描かれる口を引き裂く。真っ白なブレスを吐き出す。

 フォグが刀を振るう。ブレスを真っ二つに分かつ。が、反応が一瞬遅れた。散ったブレスの一部が、フォグの右肩を直撃。右肩がたちまちに氷に覆われ、凍結。

 フォグは刀を左手に持ち、右肩に向けて軽く一振り。氷を砕き凍結を解除。


(評判通りやべえやつだな。いつもならさっさと逃げ出すところだが)


 巨人の背後、氷漬けのテナ。

 テナを連れて逃げられるか? 否。テナを背負ってではすぐ追いつかれる。巨人を誘い出してテナだけでも逃がせるか? 否。巨人は餌のテナを優先する。


 巨人がまた凍結のブレス。

 フォグが刀を振るう。今度は完璧に斬った。ブレスが左右に分かたれる。後方の広範囲の地面が凍りつく。

 

(頼りは、こいつだけか)


 刀を上段に構える。光を反射しない、色あせた灰色の刀身。無骨な造りのつばと柄――〝無縁刀〟。

 振るった軌道、空間に含まれる魔粒子を消滅させる。凍結のブレスのように魔力を帯びた攻撃も、斬れば無効化できる。


 ただ欠点も大きい。振るうだけで一面の魔粒子を斬るので、周囲にいる人間の魔力まで断ち切ってしまう。味方に治癒士や魔法使いがいる場合、その魔法に干渉してまとめて無効化してしまう。

 文字通り、諸刃の剣。自分一人に特化した刀。フォグが一人で戦う場合にかぎり力を発揮する。当然戦場では敵からも味方からも忌避され、狂戦士バーサーカー同然の扱いを受けた。


(こいつのおかげで、勇者になりそこねちまったが……)


 〝無縁刀〟は若いころ、武者修行の道中で怪しい商人に売りつけられた。まともに扱えるなら無双の武器、という宣伝文句で。フォグにはこの呪われたような刀がしっくりきた。修行を重ね、我流に技を磨いた。

 刀のせいで孤立していったのか、孤立していたからこの刀に魅入られたのか。今となってはどっちだかもわからない。


 巨人が大きく息を吸い込む。胸部をふくらませる。が、吐き出してきたのは凍結のブレスではなく、煙のような氷霧。白銀のきらめきが一面に充満する。

 フォグの視界が白銀に染まる。方向感覚が狂う。霧の中に大きな泡が生まれ、その表面に幻影が映し出される。

 フォグの目元がぴくっと引きつれる。それはいつか見た光景だった。


――王宮の豪奢な一室。円状に並ぶ椅子に、王をはじめとした貴族たち。取り囲まれ、真ん中に突っ立っている自分。


「この選定会議で、そんな幼稚な答え方する者は初めてですね」「〝俺〟じゃなくて〝私〟。はぁー、最低限の礼儀も知らんのかね?」「君さ、なんでそんな下らないこと聞くの? 陛下の御前だよ」


 幻影を映す泡が増殖していく。


「え、次席勇者? なーんだ。補欠かあ」「てめえが死体の片付けと掃除もやるんだよ、補欠ってのはそんなに偉いのか?」「あんた、次席勇者に向いてないよ。血税で喰ってるくせに嫌々やってんならやめれば……」 


 ふとしたとき、脳裏をかすめる光景の数々。もう飽きた、といいたいところだが、ちらと思い出すだけで頭に血が上る。

 こんな連中のために、俺、刀振るいたくねえなあとか思いながら、徐々に冷めていった。ただ一番失望していたのは、そんな連中の顔色をうかがって次席勇者なんてものにしがみつき、いつか勇者になりさえすれば認められるだろうなんて思ってた、自分自身に対してだったが。


 これが氷霧ひょうむの巨人が得意とする幻惑魔法だろう。人間の奥底にある恐怖や恥辱の記憶を呼びさまし、絶え間ない精神攻撃で錯乱させる。

 かつて勇者パーティーもこの幻惑魔法には手を焼き、巨人を討つことを断念せざるをえなかったという。

 

「……下らね」


 フォグが刀を振るう。幻の光景が真っ二つになり、霧散。

 刀を機械的に振りまくる。湧き続ける幻の泡を片っぱしから斬り捨てる。そうしながら不思議に思う。この幻惑魔法のせいで、勇者パーティーはしばらく精神的な後遺症に苦しめられたほどだった、と聞く。


(なのに、なんで俺は平然としてんだ? 鈍感野郎だからか?)


 幻の泡が消え去った。きらめく銀の飛沫の向こうで、巨人が蜘蛛が糸吐くように氷霧を吐き続けている。背後にかすかな橙色の輝き――テナ。


(ああ、あいつのおかげかな)


 フォグが疾駆する。巨人が気づき、渦の両腕を振り回してくる。

 すり抜け、巨人の懐に飛び込む。刀の切っ先を突き出す。あやまたず、燃え輝く心臓の真ん中を貫く。


 巨人は悶えながら、右腕部分に氷の剣を生成。強引に振ってくる。フォグのわき腹が引き裂ける。血が噴き出す。かまわず、フォグは刀の柄に力を込める。斬り下ろす。無縁刀の効果が発動。心臓に燃えさかっていた魔力の炎をかき消す。


 巨人の輪郭が揺れ乱れる。その渦の勢いが一気に衰える。大量の氷の破片が四散していく。

 



◇◇◇




 石かまどで青白い炎が燃え、ぱちぱちと爆ぜる音。

 ベッドでテナが眠っている。呼吸は穏やかだった。テナは大丈夫だろう。

 フォグは薪を放り込みながら、床に崩れ落ちる。血反吐をぶちまける。


(こりゃ、駄目だな)


 あの後、テナを氷漬けから解放し、万能霊薬エリクサーの大半を飲ませた。テナの発する炎が弱々しく身体も冷えきっていたので、そうせざるをえなかった。それから自分の引き裂かれたわき腹に薬草をすり込み、包帯を巻き、火酒と治癒薬ポーション万能霊薬エリクサーの残りをちゃんぽんにしてがぶ飲みした。

 テナを背負い、寄ってくる雪亡霊どもを斬りながら山小屋まで帰った。


 限界だった。わき腹からも口からも血が止まらない。もう身動きできないし、したくない。

 

(案外、悪くない最後かもな)


 勇者パーティーでも仕留めきれなかった災厄級の魔物を、仕留めた。だがそれ以上に、少女一人を救えたことに安堵していた。昔の自分なら考えられないことだったが。

 テナだな、と思う。いっしょに過ごしているうち、知らず知らず心の扉とかいうやつがこじ開けられていたんだろう、たぶん。


「お前さんは、俺の腐った魂を救ってくれた。冷めた心を温めてくれた。最後に勇者になれた、気がした。ありがとうよ……」


 フォグは目を閉じた。意識が薄れ、闇に沈んでいく――かと思いきや。

 不意に、火に包まれているような感覚。

 全身が熱いが、痛みはなかった。身体を芯からほぐすような心地よい熱。泥のようにたまった疲労が抜けていくのを感じる。暗転していた視界に光が戻ってくる。


 目を開けると、間近にテナの顔。

 テナが両手をフォグの胸に当てていた。髪が真紅に染まって逆立っている。右の琥珀色の瞳が金色の光を放っている。肌の下の火脈かみゃくの紋様が燦々と輝く。

 サラマンダーの再生の炎がフォグに注ぎ込まれているのだ。


「勝手に死んじゃ駄目」


 フォグがぽかんとしつつ上体を起こす。わき腹の傷はすっかりふさがっていた。

 テナは炎と火脈かみゃくを収めると、しゃがみ込む。


「あー、力使いすぎちゃった。もうくたくた。あたし、しばらく休眠して動けなくなるから」


 テナが小首をかしげる。


「ねえ、おじさん、なんかぶつぶついってなかった? 腐った魂? がどうのこうの」


 血の気の戻ったフォグの顔が、かぁっと火照る。


「……さ、さあな?」


「ふーん。じゃ、いいや」


 テナがまぶたを閉じる。どさっと床に寝転がる。


「……」


 薪が爆ぜる音に、くーくーと小さな寝息が混ざりはじめる。

 フォグは一つせき払いすると、テナを抱え上げる。ベッドに寝かせて毛布をかける。そうしながら自分にいい聞かせる。


(ああ、うっかり開きかけてた俺の軟弱な心よ……やっぱり閉じろ! 俺の黒歴史の帳面はびっしり真っ黒で、これ以上書き加える余地はねえんだ……!)


 窓に光が差し込みはじめていた。夜明けが近かった。雪はもう止んでいて、透き通った薄紫の空が見通せた。

 フォグはながめながらふと思う。


(旅に出るってのも、ありかもな)


 雪山の向こう。海を越えた魔大陸の果てに、獣人の隠れ里があると聞いたことがある。魔族にも人族にも迫害される獣人たちが集まり、ひっそり暮らしていると。そこにサラマンダーの血筋の者もいるかもしれない。ひょっとしたらテナの家族や故郷についての手がかりを得られるかもしれない。

 突拍子もないこと考えてんなあ、とは思うが。


 どうせ、ろくでもない糞人生だ。行く末なんて野垂れ死に以外にない。

 でもそんな自分にも、自分の馬鹿さ加減とかしょうもなさとかみじめさとか何もかもがどうでもよくなって、底抜けに透明な気分になれるような瞬間が、たまにはやってくる。

 今がそんなときだ。一度死んだような身なもんで、なおさらに。

 ……ま、なんとかなるだろ!

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