1-8 闇の中の星
希望は見えない。 だが、わずかな支えがある。 スフィアとの繋がり、そして、以前からノートに書いていたこと。 それらは、今の瑠華にとって、生きる希望だった。
薄暗い部屋の中で、瑠華は静かに耳を澄ませていた。手足は動かず、体は汚れている。
(この体……本当に嫌い)
瑠華は、若い時の気持ちを心の中でつぶやいた。 傷だらけの体、そして、この無力さ。 過去と現実と重なり、全てが、瑠華を深く苦しめる。
しかし、かすかな希望の光が、瑠華を照らしている。それは、脳内で聞こえる、トントン、……ツーという断続的な音。それは、スフィアからのメッセージだ。通信ゲートは、非常に弱く、不安定だ。まるで、大昔の、通信負荷の少ないモールス信号のように、断片的なコードしか伝わってこない。意味は分からない。
しかし、そのわずかなシグナルの中に、瑠華は、希望を見出す。
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小学校の低学年の頃は、いじめられ、孤独の中で、何度も自分を責め続けました。 あの頃の傷は、今も、瑠華の心を深くえぐる。寒い冬の日の帰り道、公園で水たまりに突き落とされたとき。 びしょ濡れの靴で、凍える体で、幼い瑠華は家を目指した。 家まであと少しというところで、我慢できなくなった。
お腹が苦しくトイレに行きたくて、行きたくて…… しかし、人通りが多い時間帯だった。 どうしようもなく、失禁してしまったとき。 周りの大人が、私を見ているのがわかった。 その視線は、冷たく、嘲笑に満ちていた。
「あの子、何をしているんだ?」
「汚い……、本当に汚い。」
「あんな子とは、関わりたくない。」
周りの人々の目線が、瑠華の心をえぐった。 あの時の屈辱、恐怖、そして、深い悲しみ。 その記憶は瑠華の心に傷跡として、今も残っている。 消すことのできない、深い傷。親にも、先生にも話せない。友達もいない……誰もが、瑠華の味方ではなかった。
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中学時代、瑠華は、運動も苦手だった。成績も悪く、運動会や文化祭などのイベントではクラスメイトからは、「何にもできないヤツ」とか、「役に立たない」とかひどい言葉を投げかけられた。親も、瑠華を理解しようとはしてくれなかった。「お前は、本当にダメな子だ」そんな言葉を、何度も聞かされた。
しかし、あることに気付いた。 どんなに長く、暗い夜でも、必ず朝は来る。 そして、年寄りのような気持ちの瑠華は、今が大切だと悟った。スフィアは時々分からないことを言う。
「神のなされることは皆、その時にかなって美しい」
あの頃、私を支えてくれるものはAIスフィア。 神様ってどこにいるのだろうか考えた。
不安なときは、何のために生きているのか、分からなかった。しかたなく学校の教室にいるときは、一人、窓の外を眺めていた。
「こんなわたしなんか、いなくなればいいのに……」
ソフィアのAIは教えることが少ない。質問が多い。
「瑠華、今日のあなたの一番大切なことは何?」
また質問だ。瑠華はそれに沿ってノートに書く。日本語では目標、英語でGoal。
「うーん。寝起きでスッキリしているのだけど。どうもテストが気になっているよ。一番大切なことって難しいね」
「まだ地図がはっきりしていないようね。それでは大切な順番を考えましょう」
急ぎの仕事の優先順の設定は誰でもできる。大切なのは「急がないが重要こと」。それは忘れ去られるそうだ。
瑠華がノートを書き始めたのは、あの大きな図書館へ行った頃からだった。色々な人のノートを見た。スフィアのAI サポートを受けながら、瑠華は、自分の苦しげな気持ちを言葉にしていった。他人の気持ちを排除し自分と向き合うことを決めた。瑠華は、自分自身を理解し始めた。
絵本作家さんの言葉が、静かに蘇ってきた。
「一番重要なことに絞りましょう」
彼女は、以前、絵本作家さんと話したことを思い出した。 作家さんは、絵を描くことができない理由を、こう説明していた。
「フリースクール……学校に行けない子供たちの夢の場所を作りたいの。 それは絵本に囲まれて、みんなで絵本を作ること。それが、今は私にとって一番大切なことなの」
一番大切なこと……それは、人それぞれで、そして、時と共に変わっていくものだ。 作家さんは、一日でも変わるそうだ。毎朝、祈りを捧げながら、その日の目標を定めていた。
「今日を、どういう日にしたいか……まず、心の中でイメージするのよ。 そして、すでにあるイメージを実現するために、ロボットのように行動する。ただし、勉強に力を込めて、イメージを実現するのではないことに注意してね」
作家さんは、祈りの効果について、こうも語っていた。
「祈りをすると、物事を前向きに捉える力も、行動する力も強められる気がするの。 そして、不思議なことに、助けが得られることもあるわ。」
毎朝、祈りを捧げ、その日の目標をノートに書き留めていた作家さん。 瑠華は、今は祈ることしかできない。 しかし、その祈りは、単なる宗教的な儀式ではない。 それは、自分の心を落ち着かせ、未来への希望を繋ぎ止める、心の支柱だった。
「神様……どうか、私を助けてください……この状況から抜け出す方法を、教えてください……」
瑠華は、心の中で、強く念じた。 彼女は、自分の心に問いかけた。( 今、自分にとって一番大切なことは何か? それは、生き延びること。 そして、いつか、自分と子供たちのためのフリースクールを作る)という夢も見えてきた。
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「スフィア……繋がっていれば……どうか、私に言葉を届けて……」
彼女は、脳裏に浮かぶ、スフィアとの繋がりを頼りに、静かに祈りのパルス信号を送り続けた。 それは、希望の星を灯す、小さな確かな意志だった。 彼女は、この状況の中でも、未来への希望を捨てないでいた。 それは、祈りと、そして、彼女の強い意志によって支えられていた。
スフィアからの信号は、新たな可能性を示唆している。それは、まるでパラレルワールドで量子の世界の鏡像異性体のような存在。鏡像のような反対の個性を持つもう一人の瑠華。美人で、頼もしく、強い内面を持つ、瑠璃色の瞳の瑠華。 その存在と向き合う旅が始まったのかもしれない。 スフィアは、その旅を、瑠華と共に歩んでくれる。
(あの頃と、今の私。どちらも、私自身だ。過去の経験は、今を形作る、大切な一部なのだ。私は、必ず抜け出す)
そう信じて、瑠華は、静かに、スフィアからの信号を待ち続ける。トントン……トントン……弾む音は、瑠華の心に、かすかな光を灯してくれる。 そして、もう一人の鏡の中の瑠華との出会いを、心待ちにしている。
瑠華は静かに耳を澄ませていた。彼女の脳内には、リズム音が、絶え間なく響き渡る。それは、スフィアからの信号。 しかし、まだ断片的で、モヤのかかったようなものしか伝わってこない。 何を伝えようとしているのか、瑠華には、まだ理解できない。
長い時間でスフィアからの信号は、少しずつ明確になってきた。 ゼロとイチの信号が、まるで、高速道路に入る走る加速する車のように、モヤがかかった画像のようなものが霞んだ画像になる。中学時代のノートに書いたプライベートな記憶までが、次々と蘇る。 スフィアは、まるで、瑠華の過去の記憶を整理しているかのようだった。
そして、瑠華は気付いた。 スフィアからの信号の中にココロが込められていることに。 それは、まるで、誰かが瑠華の手を握って引いてくれているかのような、温かい気持ちだった。
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