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1-6 沈黙の裏通り

 あかつき闇の王国の王城前の目抜き通り。 両側には、威風堂々とした石造りの建物が立ち並び、華やかな装飾が施された商店の軒を連ねていた。 しかしその脇道には、表通りの賑やかな雰囲気とは裏腹に、兵士と業者が出入りする裏門には、異様な光景が広がっていた。


 王城裏門の検問前。人間が、粗末な布切れ一枚で身体を覆われ、まるで大型動物の死体のように荷場所の荷台に荒縄で固定されていた。 息をしているだけの顔は、埃まみれで、恐怖と絶望が入り混じった表情をしていた。

 異世界人は戦うために召喚されていたが、転移が失敗した不要な異世界人は以前から奴隷として流通し、傷物は「商品」として、畜産業の動物のように扱われていた。この女はこれから移植業者に売られるのだ。


 王国の騎士アグニは汚れた異世界女へ釘付けになっていた。異世界人の瞳は深い緑色。汚れた体の中で際立っていた。アグニは、弓の名手として名を馳せ、多くの戦いを生き抜いてきた。 殺すことも厭わない戦場。しかし、目の前の容認できない情景は異質だった。アグニは、これまで経験したことのない、怒り、悲しみ、そして深い無力感といった複雑な感情の渦に巻き込まれた。


 「こんな。こんなこと、あの召喚士がやったのか。生きた体の移植なんて許されるのか……」

 アグニは、低い声で呟いた。 彼女の言葉には、怒りが込められていた。 彼女は弓の騎士として騎士団の中で際立っていた。 しかし、忠誠を誓ったはずのこの国の腐敗した召喚システムに激しい怒りを覚えた。


 王国の門番の兵士たちは、荷台の瑠華を無言で見つめていた。 彼らの表情は、冷淡で、まるで、瑠華の存在を無視しているかのようだった。「おい、買取り業者。 早く持っていけ! ここには汚いものは置けないぞ!」

 兵士の一人が、荷車の主に笑いながら命令した。 彼は、兵士の声に戸惑いながら、ゆっくりと足を動かす。 男の足取りは重く、虚ろな足取りだった。


 アグニの家系は精霊の巫女でもあった。その心は今でも根付いている。生と死は尊厳されるもので、この女への陵辱も許されないものである。彼女の指は震えて、度重なる怒りで弓を構えようとしたが、弓に触ることはなかった。 彼女は、王国の立場上これを助けることはできない。 アグニの心は、激しい葛藤に揺れていた。

「この王国、この腐敗した召喚部はよくない」

 アグニの瞳は、ルビーのように輝いて断を下す時を待っていた。 それは、瑠華の運命をも変える決断だった。


 アグニは、荷台の女を見つめていた。 彼女の傷ついた手脚、そして、その傷から滲む絶望。 異世界人に、個人的な感情を挟む必要はない。それなのに痛い。


 アグニと精霊の関係は科学的だった。祖父は、この世界で有名な精霊学者だった。 世界の成り立ち、量子力学、特に量子的な重ね合わせ状態の研究に生涯を捧げ、その精霊のパラレルワールド理論は世界中に知れ渡っていた。 アグニの幼少期には、祖父の研究室で多くの時間を過ごした。 そこには、複雑な数式が書かれた黒板と、謎めいた装置が置かれていた。


「ねえ、じいじ。 この装置は何をするの?」

 幼いアグニは、祖父に質問した。 祖父は、優しく微笑みながら答えた。

「これはね、量子の重ね合わせ状態を観測する装置だよ。 1つの粒子が精霊で、同時に複数の状態を存在できるんだ。」


 祖父は、アグニに、量子の重ね合わせの概念を、パラレルワールドとして分かりやすく説明してくれた。 それは、アグニの心に、深い感銘を与えた。 精霊の世界は、私たちが見ているものだけではない。 目に見えない、無限の可能性が、そこには存在するのだ。


「でも、じいじ。 重ね合わせの状態って、いつまで続くの?」

「それはね、アグニが観測するまで続くんだ。 観測する瞬間に、1つの状態に精霊が確定する。」


 祖父の言葉は、アグニの心に深く刻まれた。 世界は、観測によって形作られる。 そして、観測する者の意志によって、未来の精霊は変わる。弓を射る場面と重なる。


 アグニは、瑠華を見つめながら、祖父の言葉を思い出していた。 これを日常として見捨てるか……。 その選択は、観測者として見るアグニ自身によって決まる。 それは、量子の重ね合わせ状態のようなものだ。 複数の精霊の可能性が同時に存在し、アグニが見たものから選択する瞬間に、1つの未来が確定する。


「……う~ん、悩むなぁ。 助ける? それとも……放置?」

 隣のセリナが、お茶目な顔で呟いた。 セリナは、アグニの迷いを察知し、冗談を言って、緊張を和らげようとしていた。 アグニの心は、揺れ動いていた。


「でもさ、アグニ。 あの女の瑠璃色の瞳……何か、すごく悲しいんだよね。 放っておいたら、きっと後悔すると思うよ。今日はもう休み。公務を忘れて、プライベートで動く手もあるよ」

 セリナの言葉が、アグニの心を揺さぶった。 それは、論理的な判断ではなく、精霊に通じる感情的な訴えだった。 彼女は、その感情を無視することができなかった。 それは、アグニ自身の心の声だった。

「……わかった。 あとで助ける」


 アグニは出入りしている移植業者を調べることにした。 それは、アグニ自身の意志によって、確定した未来だった。 そして、その私的な選択が、関わる人の人生を変えることになる。 それが、冒険の序章だった。


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