お墓参り 其の1
4歳の秋から『見えるように成ってから』
私にとって、お墓参りはちょっと大変になりました。
それは、建ち並ぶお墓の横に立ってたり、腰掛けてたりする、そのお墓に納めれてる霊達がポツリ、ポツリと、居るからでした。
楽しそうにして、親族や知り合いが来るのを待ってる霊も時々居ますが。
寂しげに佇んでる霊も居ます。
それは、長い間、お墓参りをして貰えて無い方々の霊である事が多かったようです。
兵隊さんの霊と出会って以来。私は度々、霊を見掛けるようになってたのですが。それは見掛けるだけで、私が霊に何かを頼まれたり、何かをしてあげる事もありませんでした。
しかし、私が5歳の時の8月のお盆でした。
我が家の家族は、父と母と私の三人暮らしでした。
父方の祖父母の家は、我が家から徒歩で10分ぐらいの所に有りましたが、母方の実家である祖父母の家は、車で1時間以上かかる田舎の方でした。
それと関連して、父方の家系のお墓は、家から車で10分ぐらいの所にありましたが。母方の家系のお墓は、その田舎の方だったので、母方の実家と同じぐらい遠かったのです。
そんな訳で、母方のお墓参りは、お盆の帰省の時に2日ほどお参りするだけでしたが、父方の家系のお墓参りには、数日は連続で連れられて行ってました。
そして私は、この頃にお墓参りに連れられた事が切っ掛けで、水筒を持つようになったのです。
それは先の話のとおり、お墓に居る霊が見えるからでしたが。それまで、見えててもあまり関わらないようにしてた霊との距離が、お墓参りでは全然とれなかったので、時にはずっと見られたり、話し掛けられたりするようになったからでした。
私が自分の家のお墓に手を合わせてる時でも、他人のお墓に居る霊からの視線を感じる事も、数多くありました。
お墓参りで墓石に水を掛けたり、コップに水を入れて上げたりする事も多いかと思いますが、確かにお墓に居る霊達は、それをとても喜んでました。
水は生命の基礎の一つのように、霊にとっても、特別な力や意味をもたらすようなのです。
『見えるようになった』お陰と言うか、その影響で、私は合った事も無い先祖の霊も見えましたし、時には、私たち家族の事を心配され、色々な話を聞いたりする事もできました・・・。
しかし、これも先の話のとおりなのですが、お墓参りは墓場でするのが一般的ですから、我が家のお墓の回りにも、沢山のお墓があるわけで、そこには、楽しげな霊の他に、寂しげな霊も居たりするのです・・・。
私は、両親に連れられ、実家のお墓を両親がお墓の掃除や生花をお供えしてる時に「ちょっと、あそこのお墓をお参りしても良い?」って聞いては、少し怪訝な顔をする両親や祖父母を尻目に、そんな霊達に「お水はいりますか?」と、小声で声を掛けるようになりました。
私に声を掛けられた霊は、少し驚いた顔をしたりするのですが、その殆どが、コクリとうなずいたり、「お願いします」と言ってお辞儀をしてくれたりします。
初めの頃は、我が家の御先祖様の為に汲んで来た桶の水を柄杓に掬って、その霊の居るお墓に掛けてあげたりしたのですが、それだと、5歳の私がお水を持って行けるのは、我が家のお墓から近い所しか無理でした。
それで、そうした事が続いた3日目に、私は水筒を肩に掛けて持って行く事を思い付いたのです。
つ づ く