表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

第1章「赤い門と黒い瞳」

 門が、血のように赤かった。


 朝の光が差していても、その色だけは妙に沈んで見える。

 目の前に広がるその学び舎は、ただの学校ではない。

 ここは“魔物”と戦う術を学ぶ場所――紅蓮学園。


 でも、いざその門を前にすると、足が止まった。


 


「……思ったより、重たい雰囲気」


 誰に聞かせるでもなく、私はつぶやいた。


 制服の胸元をぎゅっと握って、息を吸い込む。

 ここに来たのは、自分の意思だった。

 強くなりたかった。ちゃんと、人を守れるようになりたかった。


 


「緊張してるの?」


 突然、後ろから声がして、私は肩を跳ねさせた。


 振り返ると、同じ制服を着た少女が立っていた。

 黒髪のロング、細い輪郭、白い肌。どこか中性的で、目元が印象的だった。

 眠たげなその瞳は、不思議と人を拒まない。


「え……あ、うん。少しだけ」


「ふふ、やっぱり」


「バレてた?」


「わかるよ。あたしも同じたから」


 


 少女はそう言って、小さく手を差し出した。


「ミラ・ルイス。同じ一年。クラスも一緒だといいね」


「レイラ。えっと、レイラ・セルヴァ。よろしく」


 手を握ると、思っていたよりも冷たくて、指先が細かった。

 でも、すぐにその手の温度が伝わってくるのを感じた。


 


 二人で並んで歩くうち、少しずつ緊張がほどけていく。


 ミラは静かだけど、ちゃんと話を聞いてくれる。

 私が一言しゃべるたびに、うなずいたり、小さく笑ったり。

 無理に盛り上げようとしない優しさが、心地よかった。


 


 講堂に入ると、すでに式の準備が始まっていた。


 前方の壇上には、白髪の男性――ケンハン校長が立っていた。

 写真では何度か見たことがある。魔物との戦歴を持ち、今も第一線で教鞭を執っているという。


 


「――君たちはこれから、“魔性”と呼ばれるものと向き合う」


 開口一番、そう語られた声は、思っていたよりも静かだった。


「魔性。それは病だ。感染し、理性を蝕み、やがて人を魔物に変えてしまう。

 この学園は、それを討つ術を教える場所だ。だが、それだけではない」


 


 私は思わず顔を上げる。


 


「力を使うとはどういうことか。

 “救う”という行為に、どれだけの責任があるのか」


 ケンハン校長の言葉は、誰かを叱るでも、鼓舞するでもなかった。

 ただ、問いかけるように、静かに届いてきた。


「君たちがこれから選ぶ行動のすべてに、“誰かの命”が関わる。

 そのことを、忘れないでほしい」


 


 私はそのとき、ふと隣を見る。


 ミラは、ずっと目を伏せたままだった。

 姿勢は正しいのに、どこか――苦しそうにも見えた。


 


「……なんか、思ってたのと違ったかも」


 式が終わり、講堂を出るタイミングで私が言うと、ミラは小さく笑った。


「うん。でも、これがこの学園の“本音”なんだと思う」


「“魔性を倒せ”ってだけじゃないんだね」


「うん。ここは、“どう向き合うか”を教える場所だから」


 

 その言葉は、なぜかしっかりと心に残った。


 クラス分けが張り出された掲示板の前は、朝から混雑していた。


「C組……あった! あたし、C組!」


「奇遇ね。あたしも」


 私の肩越しに声がして、振り返ると、やっぱりミラがいた。

 表情はあいかわらず落ち着いていて、まるで最初から知っていたかのようだった。


「ほんとに一緒のクラスなんだね」


「うん、嬉しい」


「……レイラって、すぐ顔に出るタイプだね。顔が真っ赤」


「え、出てる? やだ、恥ずかしい……」


「ふふ、大丈夫。いいことだと思うよ」


 


 教室に入ると、私たちの席は本当に隣同士だった。

 窓際の後ろから2番目。日差しが差し込む、ちょっと居心地の良さそうな場所。


「この席、悪くないね」


「うん。外、よく見えるし」


 


 ミラは鞄の中から、丁寧に一枚の折り紙を取り出した。

 手の中でくるくると紙が動いて、あっという間に、白い鶴が姿を現す。


「器用だね」


「昔から折るのが好きで。

 無駄だって言われることもあるけど……なんとなく、心が落ち着くんだよね」


 


 彼女の手の動きは静かで、でもどこか切なさを含んでいるように見えた。


「それ、誰かにあげたりするの?」


「ううん、自分用。

 形のない紙に、ちゃんと意味を持たせられるって、いいなって思うから」


「……なんか、深いね」


「そう?」


 ミラは小さく笑った。

 その笑顔には刺がなかったけど、なぜか少しだけ、遠くに感じた。


 


「ねえ、レイラ」


「ん?」


「魔性ってさ、全部“殺すしかない”って……思ってる?」


 


 問いかけは、あまりにも自然だったのに、私の胸にずしんと重く響いた。


「え……えっと……」


「無理に答えなくてもいいよ。」


 


 私の言葉を待たずに、ミラは鶴を折り終えて、机の上にそっと置いた。


「教科書には、“魔性に感染したら最終的に理性を失い、魔物になる”ってあるでしょ?

 だから討伐対象だ、って」


「うん……そう教わってきた」


「でも、それだけで終わらせていいのかな、って思うこともある。」


 


 ミラの目は、まっすぐだった。

 どこか寂しげで、でも強くて、私の中にあった“常識”を静かに揺らした。


 


「レイラは、どう?」


「……正直に言っていい?」


「もちろん」


「わからない。

 だって、まだ魔性の人に会ったこともないし、教科書でしか知らないし……

 でも、なんか今、ミラの話聞いて……ちょっとだけ、違和感が出てきた」


「うん、それでいいと思う」


 


 ミラはそれ以上言わなかった。


 けれど、机の上に並んだ鶴が、何かを伝えようとしているように見えた。

 静かで、でも強く。


 


 そのとき、教室の扉が開いた。


 空気が、一瞬止まる。


 


「……あの人……」


 ざわっと、前の方で誰かが小さくささやいた。


 ゆっくりと、教室に入ってきたのは、一人の男子生徒。


 銀色の髪。鋭い目元。どこか無気力な雰囲気をまといながらも、背筋はぶれず、歩き方には揺るがない重みがあった。


「誰?」


「……三年の、シュレン・ユグドラス。主席。全科目トップ。

 それに――実戦経験もある、すごい人だって」


 


 彼がこちらに一瞥をくれた気がして、私は息をのんだ。


 まるで心の奥を見透かされたような、そんな錯覚。


 


「わかる。好きになるでしょ?」


「え、え、なにっ?!」


「今、完全に見惚れてた。わかりやすいなぁ、レイラって」


 


 顔が一気に熱くなるのが、自分でもわかった。



 午後の戦技演習。

 広い訓練場に並べられた模擬魔物体。実際に攻撃しても問題ないよう、魔物の形をした訓練用の対人標的だった。


 教官のヴィン先生が、手を叩いて笑う。


「お前ら、よく聞け。今日は特別講師付きの模範演習だ。

 三年主席、シュレン・ユグドラス先輩のお手並み、よく見とけ」


「マジで!? 本物!?」


「さっきの人だよね……」


 私のまわりで、小さなどよめきが走る。

 ただ一人、ミラだけは騒ぎに加わらず、静かにシュレンの姿を見ていた。


 


 訓練場の中心。

 シュレンは両手をポケットに突っ込んだまま、模擬魔性体と向き合う。


 教官が合図の札を振り下ろす。

 次の瞬間だった。


 


 ――音が、なかった。


 


 空気が、切れたように感じた。

 風が巻き、魔性体が一瞬で崩れ落ちた。


 誰も、その動きを見ていない。

 彼はただ、立ったまま、微かに体を戻しただけだった。


 


「……なに、今の……」


 隣の生徒がつぶやく。

 私は声すら出せず、ただ息を止めていた。


 


 強い。

 それはもう、どうしようもないほどに。


 あまりに違いすぎて、驚きよりも“現実感”がなかった。


 


 シュレンがこちらに目を向けた。


 ほんの一瞬。

 けれど、その目はまっすぐに私たちを貫いた気がした。


 


 何も言わずに歩き去る彼の背を、教官が満足げに見送った。


「お前ら、あれが一流ってやつだ。わかったか?

 迷いのない動きが、最終的には命を守る」


 


「……ほんとに、すごいね」


 私はポツリと呟いた。


 


「うん、すごいよ。……でもね」


 ミラが、静かに言った。


「“強い”からって、“正しい”とは限らない」


 


 その言葉は、どこかに引っかかった。

 まっすぐなようでいて、深く沈んでいるような声だった。


「……ミラは、シュレン先輩、嫌い?」


「嫌いじゃない。むしろ、尊敬してるよ。

 でも、“疑いなく斬れる人”って、ちょっと怖いでしょ」


 


 私は答えられなかった。

 彼の姿を見て、たしかに憧れもあった。

 でも、あれだけ何の迷いもなく“倒す”ことができる人って、どんな心をしてるんだろう――そんな怖さも、同時に感じていた。


 


 夕方。授業がすべて終わり、校舎の外に出ると、空は橙色に染まっていた。

 あの赤い門が、朝よりもさらに濃い色で沈んで見える。


 


「なんか、今日だけでいろいろあったな……」


 独りごとのように呟くと、ミラが少しだけ横を向いた。


「レイラは、なんでこの学園に来たの?」


 


 私は一瞬、返事に詰まった。


 ……強くなりたかった。

 でもそれだけじゃない。

 誰かを助けたかった。――でも、誰を?


「……わからない、かも。

 でも、たぶん“信じたくなかった”んだと思う。

 魔性にかかったら、もう終わりだって。

 “殺すしかない”って、全部決まってる世界が、本当に正しいのかなって……」


 


 ミラは何も言わなかった。

 ただ、静かにうなずいた。


 


「……変だね、私」


「ううん。そういうの、大切だと思うよ」


 


 沈む夕日が、校舎のガラスを赤く染める。

 あの赤い門と、同じ色。

 でも朝とは違って、それが少しだけ温かく見えた。


 


 明日になったら、また新しい“正しさ”が私の前に現れるのかもしれない。

 でも、今はまだ迷ってていい――そんな気がした。


 


 ここが、私の物語の始まり。

 そのことだけは、はっきりと感じていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ