一曲目 ドラゴンのラプソディ イ長調
『おおかみのソナタ ハ長調』の寄り道短編集。読んでなくても大丈夫なようにしてます(でもできれば呼んでください。わたしが嬉しいので)。
題名のノヴェレッテというのは、「短編小節」とも言われる、数曲の物語性のある曲を集めてつくる音楽のこと。普通にこれは短編集なので、この名前を選びました。響きが結構好きなんですけど、誰かわかってくれます?
ちなみに今回のエピソードの題名ラプソディは、英雄的なテーマを持ったファンタジックな曲のこと。主人公のドラゴンくんは自分の正義に従って動いていますし、魔獣も出てくるので今回のお話にぴったりかな、と。
え、どうしてそんなに音楽の言葉を使うのかって?
わたしが吹奏楽部員で音楽が大好きだからでーす。
◇◇◇
ここは、ヴェリア王国。魔物の国です。
この世界のどこかにあるこの国には、魔物、と呼ばれる生き物たちが住んでいました。
人間と肩を並べる、いや、人間を上回るほど頭がよく、そして言葉を話し社会をつくって暮らす。魔法だって使えるし、思いやりも遠慮もあって、それでも人間ではない。
そんな生き物たちを魔物と呼びます。
まあ、おおまかにまとめてそう呼ぶだけで、細かく分ければ星の数ほど種族があります。人間にも肌の色や住む地域にそれぞれ違いがあり話す言葉も異なるように、魔物たちにも違いが出てくるのです。
例えば、ドラゴンや獣人、ゴブリンなんかが魔物です。もちろんこれだけではなくて、人魚もネコマタもケンタウルスも全部魔物。
本当にたくさんの種類がいて、見た目も特性も全く違いますが、それでも魔法と言葉が使える人間ではないもの、という条件に当てはまっているのでみんな魔物とひとくくりにするのです。
ヴェリア王国はそんな魔物たちが町を営む、そんな国でした。
偉大なるティターンの王のもとで平和にのんびり魔物たちが暮らしているこの国。
その端っこにある、アリアス、という町に、魔物のための魔法学校がありました。
小高い丘の上に建てられ、小さな城のような姿かたちをした魔法学校。学校の前で対になって牙をむくグリフィンの像が特徴的なここは、ガルノア魔物学院といいます。
とってもかっこいい名前で、設備もしっかりしていて、王都の魔法学校にも匹敵するような高度な教育を生徒に施すガルシア。給食もあるところ、かなりいい学校だと言えるでしょう。
ただ、アリアスは相当な田舎町です。
面積は小さいしその80%は麦畑と牧場だし人口も少ない、もはや村と言ってもいいようなところ。当然生徒数も少なく、初等部一年生から中等部三年生まである九年制の学校でありながら、生徒は五百人いるのかいないのかみたいな小さな学校でした。
由緒正しい学校ではありますし、何より石造りでおどろおどろしい感じがとっても素敵なんですけどね。
さて、話が逸れすぎてしまいました。
そんなガルノアの初等部一年生に、一人のドラゴンの男の子がいました。
ギディオン、という黒龍の男の子です。夜空の中に溶け込んで消えていってしまいそうなどこまでも黒い鱗と大きな曲がった角、コウモリのような翼にルビーの瞳を持っていました。
ギディオンは、おおかみ男の小さな少年ルイと親友でした。一年生の中で一番の魔法の使い手であるルイは、好戦的な性格のギディオンのライバルにぴったりだったのです。
「ルイ!今日の昼休み、給食食ったら中庭な!今日習った魔法で勝負しようぜ!」
ギディオンは給食を食べながら、いつもこうルイに言いました。
「またぁ?昨日もやったじゃん……ぼく、今日は図書室に借りに行きたい本があるんだけど」
しかし今日のルイは乗り気ではないようす。
入学したての頃は「いいよ!負けないから!」と意気込んでいたルイですが、毎日やっていると飽きてしまったようで最近はなかなか相手になってくれないのです、ほら、今もなんだか嫌がっているみたい。
「えー……」
ギディオンは不満げに眉根を寄せました。
しかし聞いてみればルイは、魔法薬学の宿題で必要な図鑑を借りに行くみたいです。その宿題というのはレポートで、ギディオンは面倒でさじを投げていたものでした。
レポートなんてこまごましたやつは嫌いなのです。できることなら一生羽ペンなんて持ちたくない、というのがギディオンでした。
しかし。しかしです。
ここで「いいぜ」と言って恩を売っとけば、あとあとルイに図鑑を……いや、レポートそのものを見せてもらえるかもしれません。それでルイのものを写せばまあ、ギディオンに損はないでしょう。別に先生に怒られるのは怖くないから全然いいんだけど、やっぱり宿題もサボりすぎると成績に響きます。ちりも積もれば川となる……みたいなやつです。たぶん。
そこまで考えて、ギディオンは頷きました。
「ふぅん……じゃあ、借りたら勝負な。な、いいだろ」
「ありがとう。……あ、レポートは見せてあげないからね。自分でやってよ」
にこ、とかわいらしく微笑んだ次の瞬間にぎろり、と向けられた鋭い青の瞳。
どうやら全てお見通しのようです。
「ええっ!けち!」
ギディオンはそう文句を言いましたが、ルイは答えてくれません。
ぷいっとそっぽを向いてパンをかじりました。
そして昼休み。二人は図書室にやってきました。
「あ、これこれ」
ルイは小さな背丈をぐんと伸ばして少し上のほうにあった分厚い図鑑を取りました。
魔法薬の作り方の図鑑です。虫のようにずらりと並んだ小さな文字たちに、ページを一目見たギディオンはうげ、とうめきました。
こんな気持ち悪い図鑑のページを一枚一枚繰ってレポートを書くなんて冗談じゃありません。ギディオンは頼みました。
「……なあ、レポート写させてくれよ。着いてきてやっただろ」
「だめ。ぼく着いてきてなんて言ってないし」
ルイは冷たく返します。あまりにも正論で、ぐ、とギディオンは黙り込みました。
やっぱ、宿題はすっぽかそう。でも成績落ちたらなあ。母ちゃん、怒ったら怖えんだよなあ。
席に座ってページをめくるルイの背中を追いかけながらつぶやいたその時。
ぺらり。
ページからするりと一枚の紙が抜け落ちて、ひらひらと地面に落ちました。
本のページは白い紙、この落ちているものは茶色い紙。どうやら別物のようです。
「ルイ、落ちたぞ」
ルイに声をかけて、軽く手招きします。
「……何それ」
ルイはおっくうそうに尻尾を振ってペンをペン置きに置くと、ぱたぱたとかけてきました。二人で茶色い紙を覗き込みます。
それは、ノートの切れ端に書かれた小さなメモでした。茶色いのは書かれてからずいぶん時間が経ってしまったからでしょう。ときおりインクがにじんだ字で、何かが書かれています。
『校舎の地下 キマイラの像の奥の隠し部屋 黒い石』
一体何のことでしょう。この校舎の地下に隠し部屋があるなんて聞いたことがありません。がぜん興味を引かれ、ギディオンは視線を走らせました。
下に小さく書かれた殴り書きをなぞります。
『石を触ると、触ったものを主とするマンティコアが現れる』
隣のルイがひゅっと息を飲みました。
「ま、マンティコア……⁉︎」
「何じゃそりゃ」
聞いたことのない名前に聞き返すと、ルイは目を丸くしました。
「知らないの。有名なのに」
「うるせえよ。おれぁ魔獣にゃ興味ねえ」
そう言うとルイは呆れた、というふうに肩をすくめました。しかしすぐに説明をしてくれます。
「マンティコアははね、魔獣の一種。頭が人で体がライオンで尻尾がサソリの、ものすごく強い怪物だよ」
「へえ、かっけえな。そんなのがこの下にいるのか。ちょっと見てみてえな」
「ばか言わないで。ぼくらが勝てる相手じゃない」
ばっさりと切り捨てたルイの瞳は真剣でした。
その瞳に気圧され、そうなのか、と納得してメモを戻そうとしたとき────ふと、悪魔のささやきが聞こえました。
そのマンティコアが封じられている石に触れさえすれば、こっちのもの。マンティコアは自分の味方となる。
そいつがもしおれの手下になったら?
この世界にはびこる人間たちを殺せるんじゃないか?
それは、とんでもなく名案に見えました。頭の中を稲妻がかけたんじゃないかと思うほど。
この世界を、魔物の世界にする。なんと素敵な響きでしょうか。
そうだ、どうせやるならルイも誘いましょう。
ルイだってきっと「いいね」と言ってくれます。だって正真正銘、ルイのおじいさんは人間との戦争で足を失っているのですから。ルイが人間を嫌っているのはギディオンもずっと前から知っていました。
だからこそ、ギディオンはこの計画を伝えませんでした。
ここは図書室ですし、ひとがたくさんいます。このひと混みの中でより、夏休みに入ってからの二人きりの時にこっそり話したほうがずっとわくわくするではないですか。
そして二人で学校に忍び込み、魔法の石を探すのです。なんとスリリングな冒険でしょうか。
そこまで考えてにやりと笑ったところでふと顔を上げると、
(あれ……)
ルイの青い瞳はもうこちらを見ていませんでした。もうメモに興味はないのでしょうか、レポートに戻っています。
まあいいや、これ幸いと、ギディオンはメモを制服のポケットにそっと忍ばせました。
今にも砕けてしまいそうな古い紙切れが、かさり、とかわいた音を立てました。
◇◇◇
それからすぐに灼熱の季節がやってきて、夏休みになりました。
ギディオンはこの偉大なる冒険の計画を頭の中で念入りに組み立てていました。
しかし。
「ルイは、いない?」
ルイの家を訪問したとき、ギディオンは思わずそう聞き返しました。
ルイの代わりに出てくれたルイのおじいさんは片方しかない足を引きずって、「ごめんね」と微笑みます。
「今ルイは家を空けてるんだ。遠くまで旅をしてる。この夏はここにはいないだろうね」
「旅……」
呆然とその言葉を反芻します。そんな。一緒に冒険に行けないなんて。
一人では少し心細くなってしまいます。それでは代わりに誰を誘いましょう?
学級委員長の狐の獣人、カリスタは?
『はあ?学校に忍びこむ?だめに決まってるでしょ!先生に怒られて退学になっても知らないわよ!』
つんけんしたそんな声が頭にキーンと響きました。ああ、いやだ。この超音波みたいな声、どうも好かないのです。
それなら小さな背丈のゴブリンの少女、ティニーは?
『うーん、わたしはやめとくよ。なんか危なそうだし……それより公園とかで遊んだ方が楽しくない?』
いいや、だめだだめだ。あの平和ボケ、連れてったってろくなことになりはしません。
他にも友達はいますが……こんな秘密、親友ではなく友達止まりのひとたちに話していいのでしょうか?もし自分が石に触れるより早く友達が手を伸ばし、マンティコアを手に入れてしまったら……?
仕方ない。
それなら一人で行く他ないでしょう。
覚悟を決めて顔を上げると、おじいさんはこちらを見下ろし微笑んでいました。ルイとは違う琥珀色の瞳が、いたずらに輝いています。獲物を見つけたおおかみみたいな目です。
おじいさんはつぶやきました。
「一体ルイを誘って何をする気だったのか知らないけど……悪いことはするんじゃないよ。変な道具で人間を滅ぼそうとたくらむ、とかね」
ギディオンは思わず目を瞠りました。
ルイといいおじいさんといい、そのおおかみの瞳は一体どこまで見透かしてしまうんでしょう。
◇◇◇
しかしそう言われたからといって、諦めるような性分ではありません。ある夏の夜、ギディオンはあのメモ片手に学校に忍び込みました。
いたずら好きの卒業生から、抜け道は教わっていました。中庭のウサギ穴から校舎の中に入ることができる、と。そこをくぐり抜け、ギディオンは校舎の中に入り込みます。
夜の校舎はしんとしていて暗くて、夜に生きる魔物のギディオンでも怖い、と思ってしまうほどでした。
でもここで怖じ気づくわけにはいかないのです。地下へと続く階段を目指し歩いていた、その時。
「誰かいるのか?」
声がして、ギディオンは飛び上がりました。
遠くに、揺れる明かりが見えました。あの青い光は、魔法の光。巡回をしているらしい、魔獣学のウィリアムズ先生です。
(やばい!)
ここで見つかってはゲームオーバー。ギディオンは習いたての透過魔法で姿を消し、近くにあった空飛ぶペンギンの像の後ろへ隠れます。
近づく青い光。まるで警察から隠れるスパイみたいだ、と思いながら息を息をひそめていると、やがてウィリアムズ先生は何もなかったと思ったようでした。引き返し、光が遠ざかっていきます。
(危なかったぁ……)
その姿が廊下の奥に消えたところでギディオンはそっと像の後ろから抜け出しました。助かったぞ友よ、とペンギンに敬礼をして、先に進みました。
そして、ついに見つけた地下への階段。
(よっしゃあ!)
声は出せないので心の中で歓声を上げ、嬉々としてそのらせん階段を降りると、目の前に部屋の扉と銅色の像が現れました。
頭はライオン、そしてヤギの角を生やし、尻尾はヘビになっているその姿。まさしく、キマイラです。
ここに間違いありません。
ギディオンはわくわくと胸を高鳴らせ中へ入りました。
そこはもう使わなくなった空き教室のようで、机や椅子が片付けられた寂しい空間が広がっていました。かつては数式や文が書かれていたのだろう少しチョークで白い黒板が、ぽつんと壁にかけられています。
そしてその真ん中、一つだけ置かれた机の上にその石はありました。
つやつやしていて黒い、大ぶりの石です。宝石と見紛うばかりの輝きを放つそれは、石を守るように張られた魔法の壁越しでも息を呑むほどに美しいものでした。
その石はときおりがたがたと震えています。その黒の中に閉じ込められた猛獣が、出せ、出せ、ともがくように。
どくん、と心臓が跳ねました。
あの中に、マンティコアがいる。
おれのかわいいしもべ。頭は人間、体はライオン、尻尾はサソリの、強く美しき獣が。
ギディオンは高鳴る胸を抑え、そっと手を伸ばしました。ダイヤモンドより硬いそのかぎ爪は、守りの魔法をしゃぼん玉のように壊します。
さあ、あと十センチもない。もうすぐ。もうすぐ。
もうすぐ、マンティコアが手に入る────
その時。
「危ないっ、ばか者!」
その声と同時に、石がひときわ大きく跳ねました。ぐい、と誰かに引き寄せられます。
さっきギディオンがいたところが何かの鋭い爪で抉れ、大きな傷がつきました。
そこにいたのは、大きな怪物でした。
頭は、髪の長い女性。本来なら美しいであろうその顔は、狂ったような笑みを浮かべています。
体は黄金色のライオン。何とたくましい体なのでしょう。
そして尻尾は節のあるつやめく黒。先には毒針があります。サソリの尻尾です。
そこにはルイが語った通りの魔獣────マンティコアがいました。
こちらに咬みつかんばかりの、獰猛な笑みを浮かべて。
その恐ろしい顔に息がつまった時、自分を引き寄せる誰かが大きく手を振るいました。稲妻のような青い魔法がひらめきます。
その稲妻は牙をむいた獣の形をとって、マンティコアに咬みつきました。そのどこかルイの魔法とも似たそれはマンティコアの動きをあっという間に絡めとります。マンティコアがおぞましい悲鳴を上げました。
苦しむ彼女に、後ろの人物は腕を振るいます。青い魔法はマンティコアを抑え込んで、石の中に閉じ込めました。最後に大きく広がって、はじめのような膜を作っておさまります。
もう、石は動きませんでした。青い膜の向こうで静まり返っています。
「……ここのことを、どうして知った」
いつの間にか息を止めていたギディオンは、低くうなるような声で我に返りました。おそるおそる後ろを振り向きます。
「ウィリアムズ、先生……」
そう、そこにいたのは、さっき巡回をしていた先生でした。彼がマンティコアを抑え込んでくれたのです。
彼がいなければきっと、ギディオンは生きてはいなかったでしょう。
「なんで夏休みに生徒が、と思って尾けたら、まさかマンティコアが目的だったとはな。とことん呆れた生徒だ」
先生は失望したような目でため息をつきました。いつも優しい先生が初めて見せる目でした。
その瞳に怯え、言いたいこともまとまらないまま震えた声をこぼします。
「ど、どうして……あの石に触れたら、マンティコアはおれに従ってくれるって」
「そんなのデマだ」
先生はばっさりと切って捨てました。
ここの石に封じられていたのは、かつてアリアスに現れ大暴れをしたマンティコアでした。あまりに危険ということで宝石に閉じ込め、魔法で守っていたのですが、魔法も年月が経てば弱くなっていきます。それでギディオンの爪で魔法の壁は壊れてしまい、マンティコアの封印が解けてしまったのでした。
あのメモを見せたところ、これはおそらく生徒が面白半分で書いたのだろう、と先生は言いました。あまりに昔のメモだったのでどういう意図で書いたのもわかりませんが、もしかしたら後々のひとを騙すためにいたずら好きの生徒が書いたのでは、とのことです。
「私は魔獣学の教師でそれなりに知識があるから封じられたが、次はない。もう二度と、こんなことはしないように」
そう厳しく言われ、ギディオンは大人しく「はい……」と頷きました。
◇◇◇
ギディオンは今回の件が親に知られたらどうしよう、と心配していたのですが、先生の根の優しさが出たのか伝わることはありませんでした。
ただ、この事件でギディオンは長い髪の女性が怖くなってしまったようです。
新学期になってから髪を伸ばしたカリスタに会って、
「ひぃっ!食われる!」
と叫んでしまい、怒れるライオンの形相で怒られたのはまた別の話。
Finn.