後編
「どうして?」
「え?」
「どうしてそう思うの?」
肯定も否定もしない。
佐和はヒカルの目を真っすぐに見つめてそう尋ねた。
「実は僕、武田宗因と鳳凰さゆりの息子なんだ」
「え!?」
佐和は目を見開いた。
武田宗因。
鳳凰さゆり。
日本を代表するトップスターの二人だ。
夫婦ともども今なお現役バリバリの第一線で活躍している大物俳優である。
「二人とも本名じゃないからわからないでしょ? 僕も若手俳優としてドラマのエキストラに出させてもらったりしてるんだよ。もちろんコネだけど」
担任の秋田が言っていた「両親の都合で学校を休む」理由はコレかと思った。
「5年前のドラマ、周防かえでっていう天才子役がいたって話題になったじゃない? 僕の両親もあのドラマに出てたから、撮影現場によく連れてってもらったんだ。もうビックリしたよ。僕と同い年の女の子が、大人顔負けの演技をしてるんだから。鳥肌が立ったなんてもんじゃなかった」
「………」
「一瞬でファンになったと同時に、この子にだけは負けたくないという思いも生まれてね。大きくなったら僕の演技力で見返してやるんだって思ってた矢先……」
佐和は目を閉じた。
「そうよ。あの火事が原因で、私は役者としての道を絶たれた」
絶たれただけではない、人として普通に生きることもできなくなった。
誰が悪いわけではない、しかしどうしようもない憤りを感じることも事実だった。
「そのことなんだけど……僕に案があるんだ」
「え?」
「うまくいくかどうかは天のみぞ知る、だけどね」
彼の紡ぎ出す次の言葉に、佐和は初めて希望を見出した気がしたのだった。
※
「今年の学園祭、クラスの出し物はロミオとジュリエットで行こうと思います」
佐和のクラスはなんの異論もなく、演劇に決まった。
もはや学校内外にファンのいるヒカルの存在が大きかった。
ヒカルがロミオ役をやれば大盛況間違いなしという安易な考えだった。
「それで、ジュリエット役は……」
「一条さんを希望します」
ヒカルはすかさず手をあげてそう答えた。
瞬時にクラス中がざわつく。
(え? 一条さん?)
(あのやけどブスの?)
(ヒカルくん、エグイ選択するなあ)
教室内がざわつく中、安寿が言った。
「ヒカルくんが希望してるんだからその通りにしてあげましょう? ロミオ役はヒカルくん、ジュリエット役はやけどブス……おっと、一条さんね」
もっと抵抗するかと思ったクラスメイトたちは、意外とすんなり引いた安寿を不思議に思った。
「ねえ、どういうつもり?」
「ロミオとジュリエットなら安寿がやりたいんじゃないの?」
そんな彼女たちの言葉に安寿は「うふふ」と意地悪く笑う。
「逆よ、逆。考えてもみてご覧なさい。今や学校中にファンがいるヒカルくんの相手役に選ばれたとしたら、目の敵にされてしまうでしょ? それにどうしたって見比べられてしまうわ。超絶イケメンの相手にふさわしいかどうかってね」
「ああ、なるほど」
「ヒカルくんを利用して一条さんをさらに貶めるってことね」
「そういうこと」
ニヤリと笑う彼女を尻目に、ヒカルは言った。
「もう一つお願いがあるんですが、一条さんのセリフ練習は劇本番まで個人レッスンにさせてもらってもいいですか? スポットライトとか配置関係とか、そういうところは協力してもらいますが」
ヒカルの提案には誰もNOとは言えず、佐和は劇本番までの練習を免除された。
もともとヒカルファン目当ての演劇なのだ。
ひどいやけどを負った佐和の棒読みのセリフなど誰も聞きたくはない。
それよりも、ヒカルの迫真の演技にクラスの女子たちはうっとりと聞き入っていた。
この頃になると、大西ヒカルは若手俳優として芸能関係で名前が知られるようになっていた。
そして両親がトップスターの武田宗因、鳳凰さゆりということまで噂として広まりつつあった。
あの二人の息子が主役を演じる出し物。
それだけで宣伝効果は抜群だった。
そんな中、ようやく迎えた学園祭。
ヒカルのクラスは前売り券からして即完売状態。
学校側も気を利かせて、特例として大きめの教室を使わせることを許可したのだった。
「お、おい、あれ見ろよ」
「え? あれって武田宗因?」
「鳳凰さゆりまでいるぜ!」
「うおー! すげー!」
ヒカルが主演の演劇。
学園祭の出し物ではあるが、実の息子の晴れ舞台ということで彼の両親が付き人たちを引き連れて教室を訪れた。
サングラスに帽子。
ある程度、顔を隠しているとはいえ、その芸能人オーラは生徒たちを威圧するかのようにビンビンと伝わっている。
「ふふふ、あなた。なにその格好。バレバレじゃない」
「さゆりだって。ゴージャスなドレスで隠す気ゼロじゃないか」
「だって、せっかくのヒカルちゃんの主演舞台ですもの。それなりの服装で来なきゃ」
「そういうのを親バカって言うんだよ」
何気ない会話にすぎなくとも、芸能界とは縁遠い生徒たちには嬉しいご褒美だった。
武田宗因と鳳凰さゆりの生の声が聞ける、それが何より嬉しい。
そんな生徒たちを横目に、さゆりはパンフレットを開いた。
「えーと、ヒカルちゃんの演目は……ロミオとジュリエットね。あらやだ、古典的」
「だからいいんじゃないか。誰でも知ってる劇ってのは、演技力で良し悪しが変わるからな」
「でも可哀想ね、相手の子。ヒカルちゃんの相手なんて務まるのかしら」
「言うねえ。ま、それはオレも同意だわな。今やあいつの演技力は、オレの若手の時よりすげーからな」
「あなたの演技力なんて元からたいしたことないじゃない」
「くはは、言うねえ」
パイプ椅子に座って劇が始まるのを待っている二人に、安寿がそっと近寄って挨拶をした。
「こ、こんにちは。ヒカルくんのご両親ですか?」
「こんにちは。ヒカルのクラスメイト?」
「はい! 横峯安寿と言います!」
「そう。私は鳳凰さゆり、こっちは夫の武田宗因よ」
「知ってます! 私、おふたりの大ファンなんです! おふたりの演技力はもう目を見張るばかりで、いつ観ても胸が締め付けられるというか、心がギュッてなるっていうか……」
「ああ、そういうのいいから」
「へ?」
安寿の言葉に宗因がシッシと手を振った。
「オレァ、おべっか使う奴が大嫌いなんだよ」
「お、おべっかじゃありません! 私、本当におふたりのこと尊敬して……!」
「目を見りゃわかんだよ。あんた、本気でそう思ってねえだろ」
安寿はギクッとした。
確かに彼女にとっては彼らは古臭い役者にすぎず、顔と名前を知ってもらってあわよくば芸能界のイケメン俳優を紹介してもらおうという魂胆だった。
しかし長く役者をやってる宗因にはその浅ましい考えが丸見えだったのだ。
「わかったら帰んな」
安寿は歯ぎしりしながら教室の隅へと戻って行った。
「あなた、いいの? 仮にもヒカルちゃんのクラスメイトでしょ?」
「ああ、いいんだ。むしろああいう輩とは付き合って欲しくないからな。それに……」
「そうね。私たちの演技力を褒めてくれたけど、全然まだまだよね。あの子に比べたら」
「周防かえでか。どこに行っちまったんだか……」
二人して懐かしむように目を潤ましていると、教室の照明がフッと落とされた。
「おっ」と宗因が声をあげる。
いよいよ開幕だ。
気が付けば、教室内は立ち見も含めた満員状態。
広めの教室でありながらこの集客力はすごかった。
「ご来場の皆さま、長らくお待たせいたしました。2年A組、大西ヒカル、一条佐和によるロミオとジュリエット、どうぞ最後までご堪能くださいませ」
パチパチパチと盛大な拍手が巻き起こる。
ポッとステージに光が当たると、そこにはロミオの衣装を着たヒカルが立っていた。
キャー! という声援が飛び交う。
そしてよどみなく紡ぎ出されるセリフ。
ひとつひとつに感情が込められ、観ている者を一気に引きずり込むほどの魅力を放っていた。
宗因もさゆりも「うん」と頷く。
(当たり役だな、こいつは)
(さすがヒカルちゃんね)
しかしそうなってくると心配なのはジュリエット役の子だ。
ここまで完璧な演技をされると、ちょっとやそっと演技がうまいだけでは太刀打ちできない。
下手をするとアンバランスすぎて劇が破綻しかねない。
安寿も、クラスメイトたちもニヤっと笑った。
もしこれで劇が破綻したら、すべては佐和のせいだ。
今後、卒業まで彼女をこれで追い詰めることができる。
それにこんなに大勢の客の前であの醜い素顔をさらすのだ。
きっと一斉に引かれるに違いない。
佐和の無様な姿を想像するだけで笑いが止まらなかった。
(さあ、出てらっしゃい! やけどブスの醜い姿で!)
しかし、そこに現れたのは……。
「──ッ!!」
思わず。
いや、反射的にと言った方が正しいかもしれない。
パイプ椅子に座っていた宗因も、その隣に座っていたさゆりも、目の前に現れたヒロインに腰を浮かせた。
そこに立っていたのは、綺麗なドレスに身を包み、美しい顔をした佐和、いや「周防かえで」だったからだ。
「は?」
安寿は目を丸くする。
安寿だけではない、クラスの全員が信じられない者を見るかのように目を見開いていた。
佐和もとい周防かえでは、滔々とした声でジュリエットのセリフを読み上げた。
ロミオ役のヒカルの比ではなかった。
まるでそこに本物のジュリエットがいるかのような迫力。
言葉ひとつだけで、その世界観に一気に引きずり込まれる輝きを放っていた。
(ど、どういうこと? なんで?)
安寿は呆然と佐和を見つめている。
実は今日、この場面になるまではずっと包帯で顔を隠していた。
いや、ヒカルがジュリエット役に佐和を推したその日から、佐和は顔に包帯を巻いていた。
単純に自分の顔に嫌気がさして見られないように隠しているのかと思っていた。
しかし、本番直前になって顔に巻いていた包帯を取ったのだ。
そして今、目の前には美しい顔をした佐和がいる。
完璧な演技で、完璧な動作で、完璧にジュリエットを演じている。
ヒカルはヒカルで、鳥肌が立つほど歓喜に震えていた。
(やっぱり、周防かえではすごすぎる……)
自分が憧れ目標にしてきた人が、今、目の前で自分と演技をしている。
この最高の舞台をぶち壊すとしたら、自分が下手を打った時だけだ。
それだけは絶対にしまいと必死だった。
そして観客席にいる宗因もさゆりも口をおさえて周防かえでの演技に魅入っていた。
彼女の演技力は5年前とは比べ物にならないくらい進化している。
小学生の頃でさえプロ顔負けの迫力だったのに、高校生になった今はもう、一種のバケモノだった。
他の観客の中にもジュリエットの顔と演技を見て「あれ、周防かえでじゃないか?」といったざわめきが生じ始めていた。
しかしそんなざわめきも、彼女の演技力でいつしか消えてなくなり、観客はヒカルと佐和が演じるロミオとジュリエットに心酔していった。
やがて、曲とともに劇が終わると一斉にスタンディングオベーション。
ヒカルは佐和と手をつないで高々とあげると、深くお辞儀した。
まさに大盛況。
すぐさま宗因とさゆりがヒカルと佐和の元へと駆けつけた。
「周防! 周防かえでか!?」
「かえでちゃん! 本物なの!?」
「ご無沙汰してます、宗因さん。さゆりさん」
「ほ、本物だ! 本物のかえでだ!」
思わずさゆりは佐和の身体に抱き着いた。
「かえでちゃん! かえでちゃん!」
「く、苦しいです、さゆりさん……」
「あの事故のあと、すぐに消えちゃったからすっごく心配してたのよ!」
「すいません」
久々の再会に涙を流している宗因とさゆりに、ヒカルが声をかける。
「あのー、さっきは息子の晴れ舞台でもあったんですけど……」
「あ、よく頑張ったな」
「それだけ!?」
でも確かに一緒に演じて見てわかった。
周防かえではすごすぎる。
すべてにおいて自分は負けていた。
でもだからこそ彼女は憧れの存在で、自分の目標でもあることがわかり、それが妙に嬉しかった。
「今までどうしてたの?」
さゆりの言葉にヒカルが説明した。
「実は周防かえで、本名は一条佐和さんって言うんだけど、一条さんは顔にやけどを負っていて、人前に出ることが出来なかったんだ」
「え? でもこんなに綺麗……ううん、すっごく可愛くなってる」
「父さんの所属する事務所の知り合いに腕のいいお医者さんがいてね。皮膚移植してもらったんだ。知ってる? 皮膚移植って今はすっごい進んでるんだって」
「ああ、背中とかからの皮膚を顔に移植するってやつか。本当に全然見分けがつかないなー」
「賭けだったんだけどね。無事に成功してよかった」
「ありがとうね、ヒカルくん」
佐和はそう言って泣きながらヒカルにお礼を言った。
「私も、包帯を取るまでは自信がなかったんだ。でもお化粧する時に取って、初めて元の顔に戻ってるってわかって……」
それからは言葉にならなかった。
さゆりももらい泣きしながら「おー、よしよし」と佐和を慰めた。
「あ、あの……」
そんな4人の前に安寿が歩み寄る。
「やけどブ……いえ、一条さんがあの周防かえでだったなんて……」
ぶるぶる震えているのは、恐れなのか後悔なのか、安寿自身にもわかっていないようだった。
「わ、私、ちっちゃい頃から周防かえでに憧れてて……。ファンレターを送ったこともあるんだけど……」
「そっか、君はとんでもないことをしちゃってたんだね」
ヒカルが冷たく言い放つ。
「憧れの人をいつも罵倒してたわけだ。やけどブスって」
「そ、そんな……、私……」
「これからは君が罵倒される番だね。あの周防かえでをいじめてた人って」
がっくりと膝を折る安寿に、佐和は深くため息を吐いたのだった。
「周防かえで、よみがえる!」
そのニュースはたちまち日本中に広まり、彼女は連日テレビに引っ張りだことなった。
宗因、さゆり、ヒカルとの共演も増え、彼女の出るドラマは高視聴率を常にキープした。
一条佐和として高校に通う彼女も、美しい容姿が学校中に広まり、連日お近づきになろうという男子が後を絶たない。
クラスで疎外されていた分、クラスメイトたちは恐る恐る声をかけることしか出来なかったが、唯一ヒカルだけは親し気に彼女と会話をしていた。
「ねえ、一条さん」
「なに?」
「今度のドラマ、僕ら恋人役なんだって」
「へえ」
「だからさ、その……試しに本物の恋人になってみない?」
「イヤ」
「え? なんで?」
「本物の恋人になったら、それ以外の役は出来ないじゃない」
「そ、その時はその時だよ」
「うん、じゃあ考えとく」
そう言って佐和は「出来た!」と叫んだ。
「なにが?」
「今日の宿題。明日提出だから」
「あ、そう」
僕の話は宿題以下か。
ヒカルはしゅんとうなだれた。
一条佐和もとい周防かえで。
大西ヒカル。
彼らが後にトップスター夫婦として日本中を沸かせるのはこれより10年後の話。