前編
こちらは作品の都合上、不愉快な表現がございます。
あらかじめご注意ください。
ざまぁありのハッピーエンドです。
かつて天才子役として日本中を震撼させた子どもがいた。
周防かえで、11歳。
小学5年生にして出演したドラマのベテラン俳優・トップ女優すべてを飲み込むほどの演技力を持った子どもであった。
プロデューサー含め多くの視聴者が彼女の虜になり、主演であるはずのアイドルヒロインはもはやオマケ扱い。
彼女の出演シーンは回を追うごとに増えていき、ついには脚本までもが見直され、最終的には彼女が真のヒロインにまで昇華するほどだった。
彼女の名前はたちまち有名になり、ワイドショーやバラエティ番組では「周防かえで」の話題で持ちきり状態。
周防かえでは何者なのか。
どこの事務所に所属しているのか。
出身は?
学校は?
交友関係は?
様々な憶測が飛び交う中、肝心の「周防かえで」はメディアには一切顔を出さず、その素性は関係者以外誰一人知る者はいなかった。
その謎めいた神秘性がさらに話題を呼んだ。
まさに俳優界の金の卵。
彼女の突出した演技力は、やがて芸能界に旋風を巻き起こすだろう。
そう思われていた矢先。
周防かえでは撮影中の火事で顔の半分を失った───。
不幸な事故だった。
撮影スタッフの火の不始末が原因とされたが、真相は定かではない。
当然ドラマの撮影は中止となり、放送はお蔵入り。
これ以降、「周防かえで」の名前はメディアでは一切出されることはなくなり、彼女はそれ以降、テレビから姿を消した。
周防かえではいったい何者なのか。
その謎に迫る者もやがていなくなり、彼女の名前は伝説として残るだけとなった。
そして5年の月日が流れた。
※
「キモい」
「やけどブス」
「死ね」
一条佐和は、(今日もか)と深いため息を吐いた。
朝、登校してくると目の前の机に水性のマジックでそう書かれていたのだ。
よく見ると「死ね」のあとに「焼死でw」と書かれている。佐和はさらにため息を吐いた。
くだらない。
くだらなすぎる。
ポケットからハンカチを取り出すと、机に書かれた落書きをごしごしとこすり始める。
誰が書いたかは知っている。
クラスのリーダー格の女子、横峯安寿だ。
彼女は佐和の何が気に入らないのか、ことあるごとに嫌がらせをし続けた。
ある時は上履きを花壇に投げ入れたり。
ある時は教科書をビリビリに破いたり。
ある時はバケツいっぱいの水を佐和にぶっかけたこともある。
あまりに幼稚な嫌がらせに、佐和は怒るどころか呆れるばかりだった。
今も、机に書かれた落書きをごしごしとこすりながら、「なんでこんな無駄なことに時間を費やしてるんだろう」と半ば憐みのようなものを感じていた。
そんな佐和に、当の安寿が笑いながら近づいていく。
「あらあら佐和さん、どうなさいましたの?」
笑ってしまうほどの大根口調で佐和の机を覗き見た安寿は、さらに大根口調でビックリした声をあげた。
「まあ大変! やけどブスですって!」
あまりの大根ぶりに、笑いそうになる。
しかしここで笑ったら余計に火に油なので佐和は黙っていた。
「ひどいですわねー、誰かしら。本当のことでも言っていいことと悪いことがございますわよね」
その言葉にクラス中がクスクスと笑う。
そう、佐和の顔は左半分が火傷の傷でただれているのである。
そしてその傷を隠すように左半分の前髪をおろしていた。
しかしそれでも広い範囲で負った火傷の傷は隠しようもなく、多くの人がすれ違うたびにギョッとするのだった。
それが原因というわけではないが、そんな佐和にクラスで話しかける者は誰もおらず、常に彼女は一人ぼっちで浮いていた。
そのため、佐和は安寿の格好のターゲットにされてしまったのである。
「ああ、でもただのブスと書かれなかっただけでもマシかしら」
手の甲を頬に当てて意地汚く笑う安寿。
佐和は怒る気にもなれず無視を決め込んだ。
(この人は、自分で言ってて虚しいと思わないのかしら)
しかし我慢ならないのは安寿のほうである。
これだけ徹底した嫌がらせをしているのに、当の本人は気にも止めてない。
それが気に食わなかった。
「ちょっと! なんとか言いなさいよ!」
「……なんとかって?」
「なんとかはなんとかよ!」
プッと佐和は笑った。
なんとか言えと言っておきながら、その言葉すら見つけられない。
なんと語彙力の乏しい女なのか。
そんな佐和の見下した笑みに、安寿は思わずカッとなって頬を引っ叩いた。
パシン、という乾いた音が教室内に響き渡る。
「なに笑ってるのよ、気持ち悪い!」
さすがにクラスメイトたちもやりすぎではないかと思った。
しかし怒り心頭の安寿は気にも止めてなかった。
「あんたの焼けただれた醜い顔を見てると虫唾が走るのよ!」
「………」
佐和は何も言わず席に着いた。
安寿も手をおさえながら「フン!」と言って席に戻る。
佐和は殴られた頬を手で押さえながら考えていた。
(どうして火事で火傷を負っただけなのに毛嫌いされなければならないんだろう)
確かに顔の好き嫌いは誰にでもある。
けれども、この顔でクラスに迷惑をかけたことはない。
迷惑をかけてもいないのに叩かれるのは釈然としなかった。
そんなモヤモヤした空気の中、学年主任でこのクラスの担任でもある秋田浩二が教室に入ってきた。
身体も大きく、声も大きい体育教師である。
「よーし、みんな席に着けー」
そんな秋田の後ろには、見慣れぬ男子生徒がついていた。
「今日からこのクラスの仲間になる大西ヒカルくんだ。みんな仲良くな」
ざっくりとした紹介。
しかしクラスの壇上に立ったその男子生徒に、女子たちは黄色い声でざわついた。
「え? え? なになに?」
「転校生?」
「やっば、超イケメン」
大西ヒカルと紹介された男子生徒は礼儀正しく頭を下げて挨拶をした。
「今日からこのクラスの一員となります大西ヒカルです。どうぞよろしくお願いします」
ハキハキとした綺麗な声だった。
瞬時に多くの女子が胸をときめかせる。
「ヒカルくんはご両親の仕事の関係でたまに学校を休むが、よろしくな。勉強の遅れはみんなでカバーしてやって欲しい」
はーい、という女子たちの返事が飛び交う。
「ヒカルくん、わからないところは何でも聞いてね!」
「国語と数学と社会以外だったらなんでも教えるよ!」
「ちょっと美幸、あんたに教わったら赤点じゃんよ」
ハハハ、とクラス中が沸く。
しかし佐和はヒカルの姿をまともに見れなかった。
こんな顔面に火傷を負った陰キャの顔など誰が見たいものか。
見ればきっと引かれる。
今までたくさんのそういった反応を見てきた。
できれば顔を合わせたくはない。
佐和はコソコソと顔を隠すように下を向いた。
するとそんなことはお構いなしに学年主任の秋田は名簿を見ながら言った。
「それじゃあ席は……一条の隣でいいな」
「は?」
思わず声を出したのは佐和のほうだった。
クラスの女子たちが一斉に彼女を見る。
そしてヒソヒソとささやくような声が佐和の耳に届いた。
(えー? どういうこと?)
(なにもあんなやけどブスの隣にさせなくてもいいじゃんねー)
(一条の隣って、先生なに考えてんだろ)
(あんな奴がいるってわかったら絶対このクラスやばいって思われるじゃん)
ざわつく教室内。
ヒカルはゆっくりと秋田に目を向けると言った。
「それじゃあ先生。もう席についていいですか?」
「ああ。あの後ろの空いてる席だ」
壇上を降りてゆっくりと歩くヒカル。
その目は一人一人に向けられ、時には値踏みしているかのように佐和には見えた。
やがて佐和の隣に来ると、ヒカルは満面の笑みで声をかけた。
「よろしく、一条さん」
にっこりほほ笑むヒカルに、佐和は「よ、よろしく」と顔を抑えながら答えたのだった。
※
それからというもの、休み時間になるとヒカルの周りに人だかりができるようになった。
主に女子がほとんどだが、人当たりのいいヒカルは男子にも好かれ、結果的に明るい面子が佐和の周りにあふれるようになった。
時には他のクラスからも美青年・ヒカルの噂を聞きつけて見に来る生徒もいた。
「ねーねー、ヒカルくんってどこから来たの?」
「得意な科目は?」
「どんな音楽聴くの?」
最初は質問攻めの毎日だったものの、数日経つとそれもなくなり、普通に陽キャラ同士の会話に様変わりしていた。
特に安寿は佐和とヒカルとの間にわざと立ち、牽制の意味も込めて仲の良さをアピールしていた。
「ねえ、ヒカルくん。この前は私たちと一緒に食事をしたじゃない? 今度はカラオケなんてどうかしら」
「カラオケかぁ。僕歌下手だからなー」
「大勢で歌えばわからないわ」
安寿の言葉に、取り巻きの女子が「あはは」と笑う。
「何よ安寿。そんなのヒカルくんの歌が下手って言ってるようなもんじゃない」
「あらそうね。嫌だわ、私ったら」
ほほほ、と口に手を当ててひとしきり笑ったあと、安寿は佐和に顔を向けてニヤケながら言った。
「でも大勢で歌ってても誰かさんようなダミ声は丸わかりですから、まったくわからないってわけじゃないですわね」
クスクスと他の女子も意地悪く笑う。
実際、佐和の声は透き通るような美声なのだが、普段ほとんど声に出して歌うことがないため、クラスでの認識は「佐和はダミ声で音痴」とされていた。
クスクス笑う彼女たちを見て、ヒカルは佐和に声をかけた。
「ねえ、一条さんも一緒に行かない?」
「は?」
安寿が困惑した顔でヒカルを見る。
まさか彼が佐和を誘うとは思わなかったのだ。
「いや、ヒカルくん。なに?」
「なにって、一条さんも誘おうって言ってるんだよ」
「えーと、一条さんは……ちょっと……」
「ちょっと、なに?」
「私たちと遊びたくはないと思うんだけど……」
「そんなことないよ。ねえ、一条さん」
真剣な眼差しで見つめてくるヒカルに、佐和は「はあ」とため息をついた。
なんなんだ、この男は。
空気が読めないのか。
普段の彼女たちの態度を見れば、自分が嫌がらせを受けているのはわかるはずだ。
にも関わらず、一緒に遊ぼうとはどういう神経をしているのか。
「ヒカルくん」
「うん、なに?」
「二度と話しかけないで!」
そう言って佐和は教室を飛び出した。
背後から「一条さん!」というヒカルの声と「あーあ、フラれちゃった」という安寿たちの声が聞こえてきた。
その声には「ざまあみろ」という嘲笑も混ざっているかのように感じられた。
佐和は走った。
全力で。
廊下を駆け抜け、屋上に続く階段を上る。
そして最上段の扉をバン! と開けると、一気に屋上に転がり出た。
「ハア、ハア、ハア」
肩で大きく息をする。
なんだかムシャクシャした。
大西ヒカル。
初めて自分の顔をまともに見て驚かなかった男の子。
顔が良くて性格もいい。
自分とは真逆のタイプ。
きっとたくさんの良い友人に恵まれたのだろう。
だからこそ、佐和の立場をまるでわかっていなかった。
「一緒に行かない?」
佐和が受けてきた数々の仕打ちを知れば、そんな誘い文句は出ないはずだ。
誰が好き好んであんな連中と遊びに行くものか。
一通り息を整えると、佐和はその場であおむけになった。
空が青い。
季節は夏から秋へと変わろうとしている。
夏のうだるような暑さは消え、爽やかな秋の風が屋上を吹きすさぶ。
お昼休み終了のチャイムが鳴り、午後の授業が始まろうとしていた。
(サボるの、初めてだな)
流れる雲を見ながらそんなことを思っていると、ふいに男子生徒が佐和の顔を覗き込んできた。
「ひあっ!」
思わず声をあげて飛び起きた。
そこにいたのはヒカルだった。
あははと笑いながら佐和を見つめている。
「ヒ、ヒカルくん!?」
「ごめんごめん、驚かして。ようやく見つけたよ」
「ど、どうしてここに?」
「一言謝りたくて」
「え?」
「普通に考えて嫌だよね。あいつらと遊ぶのなんて」
「あいつらって……」
佐和は耳を疑った。
人当たりも良く性格もいいヒカルが、クラスメイトのことを「あいつら」呼ばわりするなんて。
「本当はさ、一条さんと二人でどこかに行きたかったんだ」
「わ、私と?」
急にドキッとするようなことを言ってきた。
佐和は思わず顔を赤くする。
「い、や、私なんか……」
ドギマギしながらなんと答えればいいかわからない。
「二度と話しかけないで」と言っておきながら、今は彼の言葉に胸をときめかせている。
なんて情けないんだろう。
「そ、その、なんて言っていいか……」
慌てふためく佐和に、ヒカルは真剣な表情で切り出した。
「周防かえで」
「へ?」
「一条さんがそうなんでしょ?」
ヒカルの言葉に、佐和はゴクッと息を飲んだ。