一話・現状確認
見ていただき有り難う御座います。
のんびり週一で投稿できればと思います。
続くかなぁ…
ふと、駅の広告が目に入る。
そこには剣を構える男が映っていた。
大仰に剣を構えた姿は、どこか現実感がない。
しかし写実的な絵ではなく、実際の写真だ。
まぁ、背景をボカしているので、ファンタジーさを全面に押し出しているのかもしれん。
まったく、これではまるで秋葉原の様相である。
あれだ、オンラインRPGの広告に似たようなのがあった。ただ、この世界ではないが…
隣を見れば、高校生らしき青年がこれまた大きな荷物を背に背負っている。青年の身長位はあるぞ…
あの制服はどこの学校か。まぁ、他の要素を見る限り想像はつくがな。
そして、一般的な高校生の格好に不釣り合いなゴツイ籠手が、ひときわ異彩を放っていた。
周りの人は見慣れた光景なのか、特に気にした素振りはない。
各言う私も、外に目を向けるようになってからはちょくちょく見る光景であった。
電車がもうすぐ到着しますとアナウンスが入ることで私は現実に回帰する。
どこか現実感のない現実。
見慣れた、見慣れぬ光景。
生まれ変わり、とは仏教の思想であるが。
私も昔はそうあれば良いな、と言う程度には信じていた。
死んだらそれで終わり、と言うのはいささかもったいないと言うか、寂しく思っていたから。
だからと言って、生まれ変わる前の人格を保ったまま新たな人生を歩むと言うのは、ソレソレで詰まらんのではないか、とも思っていた。
もはや思い出すのも昔のことではあるが、物心ついてから過ごした日々は覚えている限り、とても幼く愚かで、そして新鮮であった。
新たな体験、新たな出会い、そしてそれらから学び得る新たな発想。下らなく、今となっては気にすることもない小さなことに一喜一憂する狭窄めいた思考回路は、修験道の如く自らの未熟な内面との対談を強制させてくる。
それは思春期のきらめきであった。
年を経て、様々な経験をして、さも経験した事柄から効率的に学び取ったのだと嘯く頃には見えなくなる、そんな『きらめき』だ。
愚かで、未熟で、未完成と言う可能性。
若いとは、そう言うものだろう。
私が何が言いたいのかと言うと。
生まれ変わったとしても、かつての記憶、かつての人格を保持したままでのそれは、片手落ちではないかと思うのだ。
神ならぬ身ではどうしようもなく。人の身には過ぎた恩恵だと感謝も半分に。
老獪というか、若年寄と言うか。
思春期のきらめきと言う本来今世の私が得るものだった至極は、高々人一人の人生経験なる毒にも薬にもなる劇薬になってしまったのだ。
自らの異質さを韜晦する私の名は【楠木亮平】。
前世の記憶とやらを持つ以外は特出するもののない中学二年のクソガキだ。
前世の私は日本人であった。
今世の私も日本人である。
では今世の日本と前世の日本は同じかと言うと、そうではない。
今世の日本は現代ファンタジーなのだ。
詳しく言えば、剣と魔法とダンジョンがある。
まるでネット小説か在り来たりな少年漫画の設定のようである。
物心を思い出した頃には『そう来たか』と妙な感慨を覚えたものだ。
まぁ、前世の私は、それなりにサブカルチャーを嗜んでいたので理解は早かった。
だが納得できるかは別問題である。
なんと言うか、私の知らない某かの物語の中に生まれ変わったのではないか、と心配になったのだ。
少し考えれば、知らぬ物語は無いも同じと気にしなくなったではあるが。
それに、世間を知れば知るほど、主人公が世界を救う様な事態が現実味の無いことだと理解できる様になったのも大きい。
世間は想像していたよりも、より地に足のついた世間様をしていたと言うことだ。
つまりだ。
ギルドに登録して学生冒険者で動画配信やったら大物倒してバズったやったー人気者だぜ!なんてことは出来ないのである。
ダンジョンとは言われているが、そう表しているのはマスコミと民間人の一部であり、公的には【領域】と定義されている。
ギルドにあたる組織は特別行政法人で存在し、領域探索資格と言う国家資格を持つ探索士が、領域の資源回収と未開地域の解放を担っていた。
もちろん探索士には民間探索士や行政探索士、企業探索士に個人事業探索士と多岐にわたり、夢と希望をコンクリートとアスファルトで舗装した様な有り様ではある。
一攫千金も可能で、先の駅の広告を見る限りでも分かるように、子供の憧れの職業のひとつとなっていた。
自衛隊や警察官よりは夢があり、パイロットや芸能人よりは身近に思える。
そんな難易度の気安い職種であるようで。
私か?
私は探索士になるつもりはない。
普通に考えて危ないからだ。
功名心と好奇心を鼻をかんだちり紙のごとき扱いで投げ捨てた私であるが、これも思春期のきらめきを失った証左なのかもしれん。
だが仕方があるまい?
自ら危険に飛び込めるほど、根拠の無い自信を持ち合わせて居るものは早々に早死にするからな。
しかし生まれ変わったのだ。
せめて魔法には触れたい。
なので、進路としては開発系に進もうと思っている。
生まれ変わって一番の恩恵は、計画性を理解できることである。
将来何が必要になるか、どの様な経験をした方がいいのかと、闇雲ではなくある程度の指標を持って思索出来ることのなんと重畳な事か。
実感がなければ意識を割くのは難しい。
行動の一歩目は限りなく重いのだ。
人は思うことの容易く、行動することの難い生き物であるから仕方ないことではあるのだが。
話が逸れたが。
詰まるところ、中学二年から進路を魔法技術開発の方面に進め、必要なものを教師に相談するなり親に相談するなりすることとなるわけだ。
なにせ、中学二年の夏休みには、希望者を集めて適性検査が実施されるのだから。
適性検査。
それはどの様な適正があるのか、被験者の進路を左右する才能の明文化である。
無論、魔法の才能が乏しくとも魔法研究者になることは出来るし、身体的素養が乏しくとも探索士の道へ進むことは自己責任以外問われることはない。
しかし有った方がいいのも事実。
前世を持つ、と言う才能がどう影響してくるか。
実に楽しみである。
お粗末様でした。




