2. 様子のおかしい婚約者
キャサリン・クリストフ公爵令嬢への転生は、何故かこれまでとは違っていた。
「……あれ? どうして……」
いつもの転生なら、目覚めた時にはとっくに“悪役令嬢”の役割をこなしていて、ざまぁ不可避! という所でこれまでの記憶を取り戻すのに。
「いつもより、年齢が若いじゃないの……」
ベッドから起き上がり、慌てて近くにあった鏡で姿を確認する。
今回の人生の私の名前は、キャサリン・クリストフ。
公爵家の令嬢で、16歳。
少なくとも今すぐに断罪の場の定番といえる卒業パーティーに引っ張り出されるような年齢では無い。何より、ヒロインらしき人物とも出会った記憶が無い!
(と、言ってもどうせ今回もどこかの世界の悪役令嬢なのは変わらないはずだけど……)
「でも、キャサリン? ……知らないわね。とりあえずプレイした事のあるゲームの世界では無さそう」
年齢がちょっとこれまでより若いのが気になるけれど、何も断罪パーティーは卒業パーティーだけでは無いから油断は出来ない。
「もうすぐ学園入学だったはず。そうなると学園物……?」
なんであれ、ゲーム開始前に転生なんて初めてだわ!
そんな事を思いながら、更に記憶を整理しようとしたら部屋の扉がノックされた。
「……どうぞ?」
「お嬢様! お目覚めだったんですね!」
「え、ええ……」
「あぁ、まだ、起き上がってはダメです! 寝ていて下さい。今、先生を呼んできますから!」
そう言って現れた私付きの侍女が無理やり私をベッドに寝かせようとする。
(こういう所はいつもと同じ……)
大抵、過去の記憶を取り戻す時は、高熱を出して寝込むか頭を打って寝込むかのどちらか。
今回の私は三日くらい前から高熱を出して寝込んでいた。
(どうしていつも苦しい思いをしないと思い出せないのかしら。本当にやってられないわ)
「本当に良かったです……殿下もすごく心配されていましたよ」
(───え!?)
「っ! で、殿下が? どうして!?」
「どうしてって婚約者だからですよね? 心配するのは普通の事かと思いますが」
「そ、それはそうだけ、ど」
「あちらに飾られている花は殿下から今朝、届いたものです」
「え?」
侍女が窓側に向かって指を指す。
その先には確かに花が飾られている。
「それから、そこの机の上の花は昨日届いたものですね」
「え?」
「まだまだありますよ、お嬢様が寝込んでからの三日間。殿下からのお花は毎日最低でも三回は届いておりましたから」
「え? 三回?」
(どういう事? 婚約者のエリック殿下っていつも私が話しかけても素っ気ない返事しかしてくれなくて……手紙だってまともに貰った事すら……え?)
どう振り返ってもこんな風に私を心配して花を贈って来るような人では無かった。
記憶を取り戻してから改めて考えてみても、これまでの婚約破棄してくる婚約者達と何一つ変わらない印象だったのに。
それに……
これまで目が覚めた時、私の事を心配してくれていた婚約者なんて一人もいなかったというのに。これはどういう事?
(今回の転生……どこか変かもしれない……)
この時の私は漠然とだけど、そう思った。
◆◇◆◇◆◇
「キャサリン? 何をぼうっとしているの?」
「はっ!」
(いけない、過去の記憶を取り戻した日の事を思い出していたわ)
早いもので、私が記憶を取り戻してからもう一年が経とうとしている。
私に声をかけて来たのは、もちろん婚約者であるエリック殿下。
今、私達は同じ馬車に乗って一緒に学園に向かって登校している最中。
(そう、何故か学園に入学してから私達は毎日一緒に登校しているのよ……)
エリック殿下は入学式の日から毎朝、欠かさず私を迎えに来る。
王子直々に迎えに来られてお断りなど出来るはずがない。
「な、何でもありませんわ」
「そう? 熱でもあるのかな?」
「なっ!!」
そう言って殿下の手が伸ばされ私の額に触れる。
(冷たくて気持ちいい……じゃなくて! な、な、何をするのーー!)
「き、気安く、さ、触らないで下さいませっ!」
「あ、ごめん。心配だったからつい……」
私の剣幕に驚いた殿下が慌てて申し訳なさそうに手を引っこめる。
「っ!」
「でも、大丈夫そうだ。キャサリンに熱が無いのなら、良かったよ」
「うっ」
そう言ってエリック殿下は心から安心したような笑顔を見せる。
困った事にその笑顔を見て私はいつも負けた気持ちにさせられてしまう。
(な、何でこの方はいつもこうなの……?)
エリック・ディートルト殿下。
私が記憶を取り戻す前までは、婚約者である私に無関心で素っ気なかったはずのこの婚約者王子様は、まるで人が変わったかのように優しくなった。
(まさか……何か企んでいるのでは?)
そう思って探らせたけど。真っ白。
殿下はピュアのピュアだった。
(私が熱を出して倒れたと聞いた時に取り乱していた……と聞いた時は影武者を疑ったわよ)
あのお花の手配も殿下が自ら行ったものだと言うし、お医者様からの面会の許可が降りるなり、殿下は即、お見舞いにもやって来た。
(この方、本当にこれから悪役令嬢を断罪するのかしら?)
その姿が全く想像出来なくてこの一年、私はずっと自問自答を繰り返している。
───もしかして、初めて私は“悪役令嬢”以外に転生したのでは?
そんな期待までしたくなるほどに。
「そうだ、キャサリン」
「は、はい」
「今度、パーティーがあるんだけどキャサリンにドレスを贈ろうと思ってる。それから、一緒にダンスを踊ってくれる?」
「え?」
顔を上げると殿下の薄い青色の瞳と目が合った。
「ドレス……そ、それは……」
「もちろん、僕とお揃いで青を基調としたドレスだよ」
「ま、また!!」
「デザインには僕も口を出させて貰ったからね。キャサリンに似合う自信があるよ!」
「デ!?」
殿下は何かにつけて私に贈り物をしようとする。
購入前ならどうにか止められるのに、これは無理。ここまでされたら断れない。
「あ、ありがとうございます……それでダンスは何故?」
「キャサリンはこの一年ですごくダンスの腕が上達しただろう? だからぜひ、皆に見てもらいたいなと思ってね」
「!」
記憶を取り戻す前の私は、正直に言うとダンスは下手だった。
何度か殿下と踊ったけれど、足は踏むわ、ステップは外すわ……もう散々。
完全に笑い者だった。
(あなた、前に踊った時は無言でため息を吐いていたわよね!? 私は忘れてないわよ!?)
そんなダンスが下手くそだった私も、記憶を取り戻した事で人並み……いえ、それ以上に踊れるようになっていた。
「王子妃教育も吸収が早くて講師が次はもう何を教えれば? って困っているという話だし。キャサリンはこの一年で随分と変わったよね」
「そ、そうですか?」
(……いえ、それは私のセリフよ、殿下!)
殿下はとても嬉しそうな笑顔を浮かべながら続けて言った。
「キャサリンは僕の自慢の婚約者だよ。これはもう僕の方が色々頑張らないといけないよなぁ」
「……!」
(じ、自慢!?)
「ん? あ、キャサリン、照れた? もしかして……照れてる?」
「て……照れて、いません!!」
(こ、これは照れ……なんかじゃないわ! 動揺よ動揺!)
これまでの婚約者に一度も言われた事の無いセリフが殿下の口から飛び出して来たので、私は大いに戸惑った。
(ほ、本当に殿下はどうしてしまったの?)
改めて思う。
婚約者が婚約者らしい事をするなんて今回の転生は……本当におかしい。