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 ⁂



 気が付くと、夕日に染まる小麦畑の中に立っていた。

 見渡す限り、小麦の畑が続いている。


「……聞きそびれた」


 無意識に呟いた。

 だが、何を聞きそびれたのか、わからない。妙なことを言うものだと、自分で首を傾げた。


 茜色だった空が、藍色に染まっていく。

 急に不安になって、舗装されていない小道に出る。続いていく轍に、泣きたいくらい安心した。

 ここは北海道あたりだろう。

 歩いていけば人里に出られるかもしれない。


 十分もしないうちに、辺りは闇に沈んだ。

 黄金色に輝いていた小麦畑の景色は、一気にうら寂しくなった。

 どうにも不安だ。車一台通らない。

 車といえば、この道、車が通るには狭い気もする。そう思うと、平行に続いている轍の溝は、タイヤよりも細かったような。

 馬車かな……どんだけ田舎なんだろ。

 肌寒くなって、腕を擦る。お一人様は全然平気だけど、人の手が入った環境で独りきりなのは、妙に怖かった。

 世界にたった一人だけしかいないような気持になった。

 道行きですれ違うだけでいい、人の温もりが恋しい。

 いつか人とすれ違いますようにと願いながら、とぼとぼ歩いていると。

 道を横切っていく黒い影を見つけた。

 目を凝らせば、猫よりも大きくて、犬よりも小さい……モフみだった。

 あれは狸だ。

 子供の頃、同じような影を見たことがある。怖くなって祖母に話したら、『そりゃ狸だよぉ』とけらけら笑っていた。


 狸がいるという事は、ここは日本だ!

 絶対的な確信を得て、小躍りしたくなる。

 暗くて気付かなかったが、狸が向かう方向に、小屋があった。畑の中にぽつんと建っていて、灯りは付いていない。

 狸は慣れた様子で、前足で小屋のドアを押し開け、入っていった。

 遠くで眺めていたヒカルは、あの小屋で一晩明かそうと決めたのだった。


 小屋のドアをそっと開けると、暗い室内でいびきのような声がヒカルを迎えた。

「ぐぅーーーーー、ぎゅぅぅぅぅ」

 何事かと思って目を凝らすと、狸がヒカルに向かって唸っているのだと気が付いた。

「ごめん、驚かせちゃったね」

 なるべく狸から離れて、壁際に腰を下ろす。

「何もしないよ、大丈夫」

 言ってみるものの、狸は唸りっぱなしだった。

 日向臭い部屋を見渡すと、大きなフォークが付いた道具や、死神が持っていそうな大きな鎌など、農作業用の道具が所狭しと並んでいる。

「お前ひとり?」

 唸る狸のほかに、仲間は見当たらない。自分と一緒かと思うと、放っておけなくなる。

「一緒に食べよう」

 買い物した袋をそのまま持っていたことに、今頃気が付いて。

 掲げて見せると、それは買い物袋ではなく、気に入りのバンダナで包んだ、弁当箱だった。

 買い物袋と勘違いをしていたようだ。その中には、小判型のおいしいものが入っていると思っていたが、いざ開けてみると、入っていたのは、手製の春巻きだった。

 あれ? と思った。

 何を買ったのか、どこで買い物したのか、曖昧になった。

 どうして買い物をしたと思っていたのか、自分の弁当箱に自分が作った春巻きが入っていて首を傾げたのか……

 すると、ヒカルの頭の中から関心が蒸発してしまった。

 つい数秒前に抱いた疑問を、すっかり忘れていた。


 春巻きのにおいが漂うと、狸は唸るのをやめた。現金なもので、あんなに唸っていたのに、とことこ歩いてきた。顎を上げて歩くさまが、気位が高そうで、微笑ましい。

 片足を上げて弁当箱を覗いた狸は、「フンッ」と鼻を鳴らして興味なさげに引き返していった。その後ろ姿も気品に満ちているように見えてしまうから、面白い狸である。

「狸にもウケないか……」

 おいしいのに。

「これね、春巻きって言うの。あたし、春巻きが大好きなんだ。この世の終わりに食べたいものを聞かれたら、真っ先に春巻きって答えるくらい」

 包んであった箸で、春巻きを挟む。

「このおいしさをみんなに知ってもらいたくて、お店を持つのが夢なんだ。……でも、未曽有の不景気でしょ、銀行もあたしの話なんか右から左。夢を実現するために就職しなかったから、貯金崩して暮らしてて。このままじゃ暮らしが立ち行かないって思ったんだよね。その時にさ、……えと、その時……なんだっけ、」

 一瞬、ヒカルの脳裏に、映像が映り込んだ。窓の向こうに満開の桜が見えたような――

「……緑の月を見たら、麦畑にいたわけ。アパートにいたはずなのに、麦畑っておかしくない? でも君がいるから、ここ日本じゃん。明日にでもここがどこなのか調べて、帰らなくちゃ」

 ひとしきり話した後。春巻きを食べようとしたヒカルが噛んだのは、空気だった。

 驚いて手元を見ると、挟んでいたはずの春巻きは無くなっていた。

 弁当の中の春巻きも、全部無くなっていた。

「……一本もない」

 すると、足元にモフっとした感触があった。覗いてみると、狸が気持ちよさそうに眠っていた。

「さては食べたな。興味無さそうなふりしてたくせに。ツンデレか」

 ぼやきつつも、完食してくれたことが、嬉しかった。

 着ていたカーディガンを狸にかけてやると、そのモフみを抱きしめて、眠りについた。


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