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◆火曜日◆ えっと、その……あっあああああ

 次の日、経営社会学の再試を終えたおれに、蔵良は一枚のメモを渡してきた。

 書かれてある待ち合わせの時間は十二時。それと、大学近くの場所の住所が記載してあった。にこやかにランチでも召し上がれってことだろうか。


 蔵良は何を尋ねてもまともに答えようとはしなかった。行けば分かるの一点張り。


「まさかおれの理想の絶世の美女が待ってるとか?」

「さあね。でも、あながち間違いではないかもよ?」

 しかしながら、魔女が話さないと決めたことをおれが聞き出せるわけもない。


 地図アプリに住所を入力して進むと、そこそこおしゃれなカフェが現れた。お昼時らしく店内は混みあっている。おれは蔵良に指定された窓際の席を探した。


 そこには、赤縁の眼鏡をかけた女の子がキョロキョロと辺りを見渡して、所在なげに座っていた。

 きれいに編み上げられた細めの三つ編みと薄紫地に小さい黄色の花柄のワンピースは清楚で可愛らしい。しかし蔵良が声をかけたところで、こんな女の子が「はいそうですか」とやってくるもんだろうか。どう考えても不自然だ。おかしすぎる。あれか、やっぱりなんかの詐欺か? おれは担がれたのか?


 あーでもないこうでもないと悩んでいると、彼女と目が合った。途端に、彼女は目を伏せる。しばらくするとレンズの向こうから怖々こちらを伺い見ているようだった。


 観念して、おれは彼女の向かいの席に座った。可哀想に、あの子も魔女に無理やり呼び出されたのかもしれない。


「あの、さとう……りゅういちさんですか?」

 両手を膝において、俯き加減におれにそう尋ねる。ロクに目も合わせてくれない。何も悪いことはしていないのに、何となく罪悪感のようなものが湧いてくる。


「そうだけど」

「あの、その、えっと……おはようございます」

「ああ、はい。おはようございます。今日はいいお天気ですね」


 つい調子を合わせて返してしまったが、おいおい、大丈夫か、おれ? というか蔵良に言われるがまま来てしまったが、おれは一体何をしに来たのだろう。失恋した次の日に他の女の子に会うってどうなんだ? それこそジゴロと言われかねない。


「えっと、君、名前は?」

 向こうはおれの名前を知っているのだ。おれも聞いても悪くないだろうと思って訊くと、元々困惑気味の顔色が更に曇った。


「……莉乃(りの)、です」

 きっかり一分間の沈黙の後に答えたのは、苗字なしの名前だけ。何か名乗れないわけでもあるんだろうか。そしてどことなく湧きあがる既視感。


「あのさ、」

「は、はいっ」

 話しかける度に肩がびくっと震える。警戒心の強い小動物のイメージ。美香子ちゃんとは正反対だな、と思ってしまって少し凹んだ。何というか、やりにくい。出来るだけ優しく聞こえるように、おれは言った。


「どこかで会ったこととか、あったっけ?」

「……ない、です」

「そっか」


 会話もそれ以上続かない。こういう時何を喋ればいいんだろう。オトメゴロロの理解できないおれには気の利いた話題なんか出て来ない。沈黙が辛い。


 仕方ないので、その辺りに置いてあるメニューをめくった。とりあえずなんか食べよう。昨日はカツ丼だったからそれ以外。イタリアンのようだったので、探してもカツ丼は見つからなかったけれど。


 どうやら小動物の彼女もとい莉乃も何か食べようと思ったらしく、メニューをめくっていた。ただしまるで読めない外国語を見るように眉間に皺を寄せて。書いてあるメニューはイタリアンだが、ちゃんとカタカナで書いてある。眼鏡の度が合ってないんだろうか。


 そこまで考えて、彼女の奇妙さのわけに気付いて笑ってしまった。


「あ、あの私何か……」

「いや、その、逆さ」

 おれは立ち上がって、莉乃のメニューの向きを正した。


「あ、」

 気付いて小さく開いた口から、声が漏れた。白い頬がみるみるうちに赤く染まっていく。せっかくだから、もう少し肩の力を抜けばいいのに。


「あのその、私、えっと……ごめんなさい」

「おれ、なんか適当にパスタ頼むけど、君どうする?」

 座りなおして、おれは訊く。


「私はえっと、その……あっあああああ」

 何よりも先に莉乃の絶叫が耳に飛び込んできた。さっきまで赤かった頬が今度は一瞬で真っ青になる。

 よっぽど焦っていたのか、急いでメニューをめくった莉乃がコップをひっくり返したらしい。倒れた向きが悪く、零れた水がおれの方に流れてきて少し冷たい。


「どうしよう、どうしよう……私」

 ほとんどパニック状態の莉乃は立ち上がったままおろおろしていた。これはまずい。このまま動かれるとおれのコップもひっくり返されかねない。


「大丈夫だから落ち着いて。座っててくれたらいいから」

 ほとんど押し込むように彼女を座らせて、おしぼりで机を拭いた。ごしごしふきふき。

 そして、ウェイターに代わりの水を持って来てもらう。はい、これで元通り。おれのシャツ以外は。

 その一部始終を莉乃は泣きそうな顔で見ていた。


「夏だからすぐ乾くから、大丈夫。な?」

 何となく、この子はおれより大分年下なんだろうなと思った。宥めるようにそう言っても、彼女は顔を上げてくれない。


「本当、ごめんなさい」


 差し出されたのは真っ白なレースのハンカチ。それもきちんとアイロンのかかった。こんなもの久しくお目にかかっていない。


「ありがとう」

 そっと手を伸ばして、莉乃の眼鏡を外した。


 驚いて顔を上げた、二重の意味でぼやけた彼女の目と見つめ合う。一つはおれが眼鏡を外したから。もう一つは、

「ほら、やっぱり泣いてた」

 ほっといたら乾くシャツの代わりに、おれはそのハンカチで莉乃の頬に流れた涙を拭う。


「とりあえず、何か食べようか」

「そう、ですね」

 そう言って笑ったら、やっと莉乃が笑ってくれた。初めて見た彼女の笑顔だった。



 グラタンを頼んだ莉乃はレンズを曇らせながらほふほふと奮闘して食べていた。あんまり微笑ましくてつい笑ってしまったら、また恥ずかしそうに俯いた。結構な人見知りのようだけど、少しは彼女も慣れてくれたらしく、途中からはまともに会話も通じるようになった。当初の計画通り、にこやかなランチというわけだ。


 もしかしたら蔵良は「たまには違うタイプの子と付き合え」と言いたかったのかと思った。おれが付き合ってきたのは、向こうから告白して来るような積極的な子だ。たまにはこういうおしとやかな子と清らかな男女交際をせよとの魔女のお告げなのかもしれない。


 ランチを終えてからは、話しながら二人でその辺りの公園を散歩した。少し高さのあるサンダルを履いた莉乃に合わせて、いつもより少し小さい歩幅で歩く。


「さとうさんは、その、大学生ですよね?」

「うん、今三年生」

 しばらく散歩してから、最寄りの駅へ向かって歩く。このままあとは連絡先でも聞けたら上出来だなとぼんやり思った。


「どういったことを勉強されてるんですか?」

 どういったことと言われましても。まさか今日も再試で滑り込みで単位を稼いでるとは言えない、それが紛うことなき現実だとしても。


 とりあえず何か適当に賢く聞こえそうな単語についてでも答える方法を考えながら地下鉄の駅へと向かう階段を下りていたら、またしても悲鳴が耳に飛び込んできた。


「きゃああああ」

「ん……莉乃?」


 振り返ったおれの目に映るのは宙に浮かぶ眼鏡少女。

 無重力に舞う三つ編み。スローモーションの世界。


 咄嗟に、手を掴んで引き寄せた。そしてほとんど抱きつくように飛んできた莉乃の体を受け止める。

 間一髪、一緒に転げ落ちるのだけは免れてほっと一安心。

 やれやれ、本当に油断も隙もないというか。これじゃあ心配で目が離せないじゃないか、まったく。階段は足元に注意。


 出来るだけ、平静を装っておれは言う。

「大丈夫?」

 莉乃はきつく目をつぶっていた。怖々、目を開ける。そして、おれを見上げた。


「……大丈夫です、はい。って、私ったらまた……あっ」

 顔を真っ赤にして、莉乃は飛びつくようにおれから離れた。本当に茹でだこのようだった。勿論、おれが若干残念に思ったことは言うまでもない。


「その、今日はとっても楽しかったですっ。えっと、すいませんでしたっ」

 それだけ言うと、莉乃は恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、改札口の方へ走っていった。そんなに急いで走ったらまた転ぶぞ、と言いたくなったけれど。


 小さな背中が消えた方向を見ていたら、自分が笑っていることに気が付いた。どう考えてもただの変態だ。気をつけなければ。今なら職務質問に引っかかる自信がある。


 自戒する一方で、莉乃といるのが楽しかったのだと気が付いた。照れたと思ったら落ち込んでみたり。落ち込んだと思ったら笑ってみたり。くるくると表情が変わる。それに、眼鏡を外した莉乃の瞳は本当に綺麗だった。


 あの子といるとこれからもきっと退屈しない。地味かもしれないけど、おれはおれだけの小さな幸せを見つけた気分だった。例えるならばそう、道端に咲いた小さなパンジーの花を見つけた時のような。これから先も悪くない、そう思えた。


 その時おれは上機嫌で、「まあ連絡先は蔵良に聞けばいいか」なんて考えていた。次会った時にハンカチは返そうと。


 しかしながら、その「次」が訪れるのは随分と先のことになる。

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