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◆月曜日◆ 私のどこが好きなの?

 人間はサイコロみたいなものだと思う。


 一の目が出ている時は、六の目は見えない。二の目が出ている時は、五の目は見えない。

 友達に見せる顔。恋人に見せる顔。家族に見せる顔。

 その全てが同じという人は、そうそういないだろう。そう、まるで全てのサイコロの目を一度に見ることはできないように。


 何が言いたいかと言えば、よく知っていると思い込んでいる人にも、『自分の知らない顔がある』ということだ。

 それは別に裏切りとかではなくて、生きていくために必要なことなのだろうなとおれは思う。見る角度が違ったら、違うものが見える。それだけのことだ。

 この夏、それを嫌というほど思い知らされることになった。


 事の始まりは、おそらく、ある八月の月曜日。

おれがフラれたところから。

 これは、おれとあいつと、そして“彼女達”の物語だ。



「佐藤くんは、私のどこが好きなの?」


 大学の冴えない食堂の向かいの席に座った美香子ちゃんは、おれの顔を見るなりそう言い放った。目の前に置いたカツ丼の味噌汁が冷めるのを防ぐべきか、それとも今にも泣き出しそうな美香子ちゃんをどうにかすべきかを三秒悩み、仕方なくおれは味噌汁を諦めることにした。


「どこってその、明るいところとか、優しいところとかさ、」


 バンッ。

 音とともに味噌汁が洪水のように波打ち、お盆に茶色い水たまりを作った。ああ、哀れなる味噌汁。カウンターからちゃんとこぼれないように運んだというのに。


 見上げると、美香子ちゃんが机に両手をついて立ち上がっていた。生憎こちらも洪水のようで、くどくない程度にマスカラとアイラインで彩られた大きな目から大粒の涙が流れて二本の筋を作っていた。


「ごめん、おれが悪かった。とりあえず座っ」

「そんな当たり前のことしか出て来ないの?!」

 きっ、と美香子ちゃんがおれを睨む。


「いや、そのでもなんていうかさ、」

「佐藤君のばかっ。もう知らないっ!」

 そのままかばんをむんずと掴むとすたすたと大股で歩いていってしまった。


 ――また、か。

 突き刺さるような視線(おそらく彼女のいない歴=年齢の男子学生のもの)が痛い。こういう時女の子はずるい。何をどうやっても悪いのはおれ達男の側になる。女の子の涙なるものは全ての形勢をひっくり返すのだ。まったく、泣きたいのはこっちだっていうのに。


 とりあえず、と思って手を伸ばした味噌汁はさっきまで湯気を立てていたというのに、もう随分とぬるくなっていた。どうせ電話で呼び出された時から切りだされるような気はしていた。それならやっぱり、味噌汁を優先しても良かったのかもしれない。


「あら、サトウ、どうしたの? 世界の終わりみたいな顔して。その様子じゃ、またフラれたのね」

「しかもフラれたのはきっかり三分前。どうだ」


 失恋直後のおれの負のオーラをもろともせずに、蔵良はさっきまで美香子ちゃんが座っていた席に悠然と腰掛けた。今日のランチはクリームコロッケですか、そうですか。


「いいじゃない、今回は三ヶ月保ったんだから。あなたにしたら長い方でしょう?」

「失敬な。今回は四ヶ月だ」

「あらそう。それはそれは失礼致しました」


 蔵良は最近アルバイトで始めた占い師の仕事がそこそこ軌道に乗っているらしい。それなりの料金でテストの山からあの子のスリーサイズ、果ては銀行口座の暗証番号まで占ってくれるとの噂。それってもう詐欺だろう。けれど、こいつに占ってもらえばおれの恋愛が続かないわけも分かるかもしれない。


「で、今度はどうしてフラれたの? また浮気したの?」

「それは前の前の彼女の時だろ。それに別に浮気したわけじゃなくてちょっと道を訊かれただけでだな」

「はいはい、そうだったわね。じゃあまたメッセージを既読スルーして電話も出なかったとか?」

「おれにだって猿ぐらいの学習能力はあるよ。今回はちゃんと返した」

「あら、それは人類にとっては些細な一歩だけど、サトウにとっては大きな一歩ね。えらいわ」


 蔵良は箸を置いてパチパチと手を叩いた。完全に馬鹿にされている。


「だったら一体何がいけなかったのかしらね」

「なあ、『私のどこが好き?』とか訊かれたらなんて答えるのが正解だ?」

 おれはほとほと困り果てて尋ねた。普段はこいつに何か聞く気なんか起きないのに。意外とおれも参っているらしい。


「サトウはなんて答えたの?」

「明るいところとか優しいところ」

 おれがさっき答えた通りに即答すると、蔵良は元々切れ長の目をさらに細めて、

「三十点。可もあげられないわ。再試決定ね」

 やれやれとばかりに首を振った。


「サトウはそこそこモテるくせに、いまいちオトメゴコロってものが分かってないのよね」

「お前にだって分からんだろう、蔵良(くらよし)

「だから、クララって呼んでって言ってるじゃない、サトウ」


 時風蔵良。通称、魔女。

 中性的なアルトボイスに少し長めの黒髪。

 ミステリアスな顔立ちとどこかぶっとんだ口調で、いつの間にか相手を呑みこんでしまう。じいさんかばあさんかに海外の人がいるようで、珍しい深い青色の瞳をしている。


 すらっとした華奢な骨格はもやしな男に見えるし、女に見えないこともない。

 学生証を見れば明らかになることなのに、誰も蔵良の性別を知らない。実は好意を寄せている男も少なくないという話だ。おれには理解できないけど。ちなみに、文学部英文学科シェイクスピア専攻らしい。本人から聞いた。


「だったらなんて答えればよかったんだよ」

「まずそんなこと訊かせるまでほっといたのがよくないけど、そうね」

 蔵良は細く長い指を顎に当て、数秒考えて言った。


「そういう時は『全部』って答えるべきよ。それで『そんなこと訊かせてごめんな』って抱き締めれば完璧だわ」

「そうかそうか、よく分かった。お前は早く国に帰れ」


 そんなことを平然と言って、やってのけるような奴は少なくてもこの日本にはいない。液晶テレビの中か姉貴がよく読んでいた少女漫画の中ぐらいだろう。でなきゃイタリアかどこか。おれには到底できそうにもない。


「むしろ美香子にサトウなんかの何が良かったのか聞きたいわね、アタシは。やっぱり顔が好みだったのかしら?」

「あれだろ、必要なのは『空気を読む繊細さと、敢えて空気を読まない強引さ』だろ?」

 昔こいつが言ってたのを聞いたことがある、女の子にモテるための必須スキル。繊細さと強引さを同居させるとかどんな芸当だ。みんな大好きあまじょっぱスイーツか。


 今度の答えはいくらかお気に召したらしく、蔵良はにやりと微笑んだ。

「七十点。ぎりぎり良ってとこね。大切なのはそれをうまく使い分けることよ」

 理屈が分かったところで、自分に出来なければどうしようもない。付き合って四ヶ月の壁を越えられないおれは蔵良と一緒に食堂で途方に暮れた。






「じゃあサトウは一体どういう子と付き合いたいの? いつまでそんなつまみ食い人生を続けるつもり?」

「どこのジゴロだ、それは」

 念のために訂正しておくが、おれは別にあっちこっちに手を出して女の子を渡り歩いているわけじゃない。しかしながら、手を出そうとした先に向こうから逃げていくことは無きにしも非ず。


「告白されたからってホイホイ付き合って、別れ切りだされたからハイハイ別れて。あんたこのままじゃちっとも成長しないわよ」

「そりゃ、そうだけどさ……」


 別に美香子ちゃんに何か具体的な不満があったわけじゃなかった。飽きたわけでもない。最初の波が過ぎれば少しずつ落ち着いてくるのは当然のことじゃないのか? まあその頃になると「別れよう」と言われるわけだが。


 待ち合わせでおれを見つけたらぱっと顔が明るくなるところとか、おれがその辺で寝てたらそっと毛布をかけてくれる優しいところとか。そういうところは割と好きだったからそう答えたのに。


「……そりゃあ、おしとやかで元気いっぱいでセクシーでちょっといじわるで恥じらいがある、余計なこと言わない女の子がいいにこしたこたぁないけどさ」


 そんなの幻想だって、存在しないって分かっている。少女漫画が現実にあり得ないのと同じことだ。口で言うだけは自由。そのレベルの問題。


「そう、そういう子がいればいいのね」

 しかしながら、魔女はおれの言葉を真に受けたようで、意味ありげに随分と蠱惑的な笑みを浮かべた。


 その瞬間、おれの背筋がぞわっと粟立ったことは言うまでもない。

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