薄汚い
「ああ……」
誰かの無責任な呻きが聞こえる。街の人間は一様に暗い、青ざめた顔でぼんやりと突っ立っている。
今しがた胸を刺し貫かれた魔剣ウェルナコールが、糸が切れた人形のように地に伏した。両腕が切り落とされており、傷口から出るはずの血潮は無く、赤黒い断面がグロテスク。
「魔剣、ウェルナコール」
無機質な目で、ぴくりとも動かないウェルナコールを見下ろすセツナ。地面に突き刺した二本の剣はいつの間にか人の姿をとっている。
「あなたの死を、無駄にはしない。どうか、安らかに……」
セツナは祈る。それは生まれた時から人に疎まれる魔剣を想ってか。それとも罪を重ね続ける自分を想ってか。長く、セツナは目を閉じている。
「お母、さま」
悲痛な少女の、小さな叫びだった。胸を裂く思いがして、でもそれに向き合わなければならなくて、そちらに目をやる。アンは声もなく泣いていた。
「……我々はこれから、どうすれば……」
絶望の底にいる男が言った。両膝をついて、両手で顔を覆っている。セツナは、そちらへ静かに歩いていく。
「……ヴァンさん」
「お前たちは、なんということを……」
「街の食糧と、野営具一式、それと衣服を少々頂きます」
それは残酷な、野盗のまがい物だった。セツナは自分をこの世の誰よりも罪深い人間だと思っている。だがそうせねば大義が果たせぬのだ。そう言い聞かせ、セツナはじっとヴァンを見る。
「好きにしろ。断ったところで、無理やり奪っていくつもりなんだろう」
「……ありがとうございます」
物資の補給にクレーヌたちを連れて行こうとセツナが踵を返した時、クレーヌは何事か、ウェルナコールの死体に向けて喋っていた。それはこんなことだった。
「あの子の心は優しいものでできていますから、きっとあの子自身も意識していないのでしょう。無意識とは怖いものです。いつどこで悪さをしているのか、自分自身把握することができない。それはまるであなたの支配下にある意思であるかのような顔をして、貶し、盗み、殺し――時に、誰かの命を見過ごしてしまう。そういう点で言えば、無意識下を共有する魔剣と調伏師はとても健全な関係と言えますね」
独り言にしては大きい。誰もが怪訝な目でクレーヌを見ていた。
そんな視線をものともせず、クレーヌは爽やかな笑みを浮かべたままぐるりと聴衆を見渡した。
「皆さん知っていましたか? 魔剣には鼓動がありません。血が流れていないのですから当然です。呼吸もしません。食べ物は食べることはできますが吸収しません。彼女はまだ生きていますよ。知らなかったでしょう? ウェルナコールを慕い、寄り添うふりをして、あなた方は彼女を都合の良い兵器としてしか見ていなかったのですから」
「可哀そうなウェルナコール。私が今楽にしてあげますからね」
そう言って、クレーヌは寝そべったままのウェルナコールの胸に両腕を突き立て、左右に引き裂いた。
たちまち、苦悶の表情のままウェルナコールは白く輝き、あとにはばらばらに砕けた紫紺の剣が残った。
* * *
「薄汚い人間共でしたね」
「うん、そうだねえ」
陽光が青々とした風景を切り取る中、セツナたちは森を歩いている。三人とも背に荷物を背負い、セツナに至っては両手に謎の食べ物を持っている。
「結局、魔剣の扱いなんてそんなもんだろ。凶暴で暴力的で、おっかないから消えてほしい」
「でも手駒にできるならそうしたい」
クレーヌはやけに饒舌で、こういう時は苛立っているのだとセツナは理解している。魔剣には仲間意識というか、他の魔剣を擁護するような態度がしばしば見受けられる。それはおそらく先の大戦で共に散っていった仲間同士であることが起因しているのだろうと思う。
「ヴァンさんも優しいのは外面だけですね。ウェルナコールのことも妻としては見ていなかったんでしょう」
「人と魔剣のカップルなんて上手くいくはずねえ。きっとぎこちなかっただろうな」
魔剣は人の心を解さない。それは調伏師によって心の深奥を分け与えられてなお変わることのない事実である。
ふと、思う。魔剣ウェルナコールは真実アンのことを想っていたのだろうか。魔剣の性質からするととうてい愛情などというものは想像できないが、セツナはあの二人に限っては少し違うとも思う。少なくとも、アンはウェルナコールのことを慕っていた。もしかすると、半調伏が起因しているのかもしれない。
「セツナ」
考え事をしていると、クレーヌの固い声に呼び止められた。さっきまでの饒舌は鳴りを潜め、不気味な重たさが含まれている。
「今回、最終的には丸く収まりましたが、魔剣に情を抱いてはいけませんよ。刃が鈍れば、必ず足元を掬われます」
クレーヌはべっとりと、頬と頬を密着させてくる。肩をがんじがらめにされて、身動きができなくなる。
「私、心配です。このままだとセツナは、中途半端な破滅で終ってしまうのではないかと」
「いいですか? 私たちはいつでもあなたとの調伏をやめて、あなたを適当に始末することができます。あなたがいつか迎える破滅が見たいから、力を貸してあげてるだけなんです。そのこと、忘れないでくださいね」
吐息がかかる。クレーヌは少女のように、熱に浮かされた顔をして言う。
魔剣は恋をする。
人間を滅ぼす使命を帯びた彼らは、調伏師の人生の破滅に、恋をしている。
魔剣の調伏には六つの盟約がある。人はそれらを覚悟のうえ、調伏を行わなればならない。
一つ。魔剣は例外なく負の感情を持ち人類に危害を加える忌むべき生命体である。
一つ。魔剣は人を強く憎んでおり、調伏師の人生の破滅を見届けるために調伏はなされる。
一つ。調伏はお互いの心の深層を接続し、憎悪や殺意など負の感情が互いに作用するようになる。
一つ。調伏関係にある人と魔剣は物理的に離れることができない。離れすぎると、五感の有意識下と無意識下の認識の不一致により精神を崩壊させる。
一つ。調伏された魔剣はアウェイクの呼び声と真名を告げることで調伏師に力を与える。正しくは、本来持つヒトの力のリミッターを魔剣が媒介し無理やり解除している。
一つ。全ての調伏師は必ず凄惨な死を遂げ、誰にも見届けられることなく、人生を大いに後悔しながら、塵のように朽ち果てる。
一旦完結です。