事件
ウェルナコールが殺人事件を起こしたという報せはレイフォンを震撼させた。まず第一にウェルナコールが街の議会に席を持つ立場であること。ウェルナコールを信頼していた者達からの失望は大きい。
そして第二に、ウェルナコールが魔剣という身体面・戦闘面において人類を遥かに上回る存在であり、脅威となってしまったこと。この懸念は魔剣反対派に強く、今回の一件はますます彼らの反感を買うこととなってしまった。
「私は……、分からない。私が、殺した? なぜ……」
ウェルナコールは呆然自失といった状態で、そんなうわ言を呟いていたという。町人の取り調べではウェルナコールは丁度事件時の記憶が無く、気づけば被害者が倒れていて、自分の手は血に濡れていたという。
当然無罪の証拠になるわけではない。ウェルナコールは糾弾を受けることになる。
だが、ウェルナコールの罪を否定する者達も多くいた。議会の一員であるウェルナコールの夫もその一人だった。
そして彼は記憶の無いウェルナコールの代わりに犯人の正体を呈示する。
「あの調伏師たちがやったんだ」
ウェルナコールに恩義を感じているものや、彼女を良く知る人物たちはこぞってその説を推した。到底彼女が殺人などという大罪を犯す人物だとは思えなかった。
結果として、セツナたちは追われる身となってしまった。
* * *
「どうする。表はわんさかいるが」
「うーん、この感じは中もいそうだねえ」
セツナは顔を青くさせたまま、クレーヌたちと大樹の上のほうに潜んでいる。
二日酔いのセツナは朝っぱらからアングに叩き起こされ、追われているから逃げるぞということでレイフォンを隠れながら移動している。レイフォンの建築技術がもう少し低ければすぐにでも見つかってしまっていただろう。
レイフォンを脱出することも可能だったがセツナたちはそうしなかった。理由の一つはまだ物資の補給ができていないから。もう一つは事件の真犯人に心当たりがあるからだ。
そしてセツナたちはアンの家を見下ろす位置にまで来ていた。問題はどうやって中に入るか、だ。
「アングが注意を惹きつけてその隙に入るのはどうでしょうか?」とクレーヌ。これ以上ない作戦とばかりに笑顔だった。
「なんで俺が。お前でもいいだろ」
「私は逃げるの下手ですし。セツナもそう思いませんか?」
「……お願い。アング」
セツナは真摯に訴えた。普段の茶化した様子は鳴りを潜めている。
「……分かった。お前の頼みは無下にできねえ」
「ありがとう」
セツナは目を閉じ、鼻と耳を手で器用に塞いだ。
アングは素早く板の道に降り立った。武器を構える男たちの隙間を潜り抜けると、身軽な動作でアンの家の窓からぬるりと侵入した。一分と経たないうち、中で警戒していたであろう四名を新たに引き連れアングは家を飛び出し、そのままレイフォンに駆け抜けていったかと思えば、いつの間にかセツナたちの後ろから息を切らして現れる。
「巻いたが、時間は無えぞ」
「大丈夫ですか? セツナ」
セツナは両手を放し、目を開ける。何もしていないのに、こちらも荒く息をついている。
「うん。じゃあ、すぐ行こう」
「私、こういうの本当に向いてないですからねえ」
「……そうだね」
セツナたちはアンの家へと乗り込んだ。
「やっほ。アンちゃん昨日ぶりだね」
「セ、セツナさん……? 今のは、一体」
昨晩親しげに笑ってくれていたのが嘘のように、アンは怯えた表情でセツナたちから距離をとる。
まあ無理もないだろう。おそらくアンは街の人間からセツナたちこそが殺人犯であると説明されている。
「大丈夫。アンちゃんを人質にしようとかじゃないから」
「っ!」
「……セツナ、逆効果では?」
「ありゃ」
相変わらず怯えさせることしかできないセツナを見かねて、アングがずいと一歩前に出る。
「昨日俺たちが死ぬほど酔っ払ってたのはお前が一番分かってんだろ。被害者の家に入るなんてできねえし、ウェルナコールにも会ってねえ」
「た、たしかに……?」
その手際にセツナはおー、と言うしかなかった。続いたのはクレーヌだ。
「私たちは真犯人に心当たりがあります。確証を得るためにここに来たんです」
「誰なんですかっ。お母さまに罪をなすりつけたのは!」
アンがテーブルに身を乗り出して二人に詰め寄る。セツナはすかさず、自然な動作で横から割って入った。
「その前に、アンちゃんこれ見て」
「はい?」
セツナが手にしているのは何の変哲も無い手鏡だ。というか、すぐそばの棚に置いてあったアンの私物である。
「どうしたんで――」
「しっ。黙って鏡の自分と目を合わせて」
言われた通り鏡の中で強張った表情の自分と視線をぶつける。
クレーヌもアングも何も言わず、妙に静かでアンは緊張する。一体セツナは何を考えているのか。
「一つ聞きたいんだけど、被害者の男の人って、どんな人」
「え、バリーさん……は、元・自警団で、今は……」
瞬間、アンの視界から消える。代わりに飛び込んできたのは、短刀を構えるセツナの姿だった。
「きゃあああっっ!?」
あろうことか切っ先をアンに向けていた。その目は非情そのもので、どう考えても悪人の様相だった。
「た、た、たすっ……」
「喚くな」
外に助けを呼ぼうとして、口をアングに抑えられた。
殺される。何度も叫ぼうとして、声が出ない。
「セツナ。おい、セツナ!」
「あ……」
アングが叫んだ。その声に、セツナは急に短刀を机の上に置いて、アンから距離をとる。
「アンさんごめんなさい。今のはちょっとしたテストだったんです。セツナに他意はありません」
「……!」
クレーヌが心底申し訳なさそうに言うが、相変わらずアンの心臓はばくばくとうるさい。手足に力は入らないし、油断した瞬間にあの短刀で突かれるのではないか。
「おい。もう俺コイツ抑えとくから、結果だけ聞かせろよ」
「……」
アングはそのままの状態を維持することにした。だが、セツナが黙ったまま返事をしない。じっとアンを見つめている。
「セツナ?」
クレーヌが気遣わし気に声をかけた。
セツナは青い顔をして床を見つめていた。