魔剣討伐
街の中心部に向かって分かったのは、アンの家はへんぴなところにあったということだ。
レイフォンは木上の都市。構造上その規模は決して大きくは無い。だがアンの家のあった、大樹に簡素な板を取っ付けたような土台ではなく、中央部では大樹をくりぬいて階層状になっていたり、大樹間を長いつり橋が繋いでいたり、密集する木々を支柱とした広場すら備わっていた。天上を覆い尽くす葉のせいで陽はほぼ差しこんでこないが、樹枝に吊るされたランプの明かりが辺りを不足なく照らし続けている。
「随分広いんだねえ」
「ここ数年で随分大きくなったものだ。この調子で拡大できたらいいんだけど」
ウェルナコールが道を通ると、人々は一様に頭を下げて声をかけてくる。彼女の人望の高さが窺い知れる。
それに比べ、よそ者であるセツナたちに向ける視線はどこか冷たい。
「ウェルナコールはいつからこの街に?」
呼び捨てにしたことに対してだろうか、連れ立って歩いている街の男たちの目つきが剣呑な色を帯びるが、セツナは大して気にかけない。
「三年前だな。今も鮮明に覚えているよ。それまで見向きもしなかった世界の輪郭がはっきりして、こんなにも美しいものだったのかと気づかされたんだ。それも全てアンのおかげさ」
「え? アンちゃんですか?」とクレーヌ。
「そう。野良魔剣たちに襲われて瀕死状態の私を手当てしてくれたんだ。それから私は街で生きることになったというわけだ」
「へー?」
セツナは阿保っぽい相槌を打った。一瞬、ウェルナコールを調伏したのはアンなのではないかと考えたが、すぐにその考えを振り払う。
調伏関係の制限として、調伏師と魔剣は物理的に離れることができないというものがある。それは調伏がお互いの深層心理を同調させるという構造上、外界の情報がある程度一致し続けなければ脳に異常をきたすのだ。だからこそ、セツナとクレーヌ、アングはいつも一緒にいる。
「すぐにでも討伐に向かいたい。装備などの用意は済んでいるのかな?」
「朝ごはんまだです」
さしものセツナと言えど空腹には勝てない。また、用意してくれるのなら是非食べたいという意地汚さであった。
* * *
「おつかれさんでーす。これで全部なのかな?」
「恐らくは」
アングが最後の野良魔剣を刺し貫くと、木の影に隠れていたセツナとクレーヌが姿を現す。
「セツナは戦わないのか?」
「いや戦闘はからっきしで」
「クレーヌは? 君は魔剣だろう」
「苦手なんですよね」
「そういうものか。……まあいい。アング一人で事足りたのだから。どうもありがとう」
そう言ってウェルナコールは満足気な表情で辺りを見渡す。レイフォンからそう遠くない森の中に、無残な姿の魔剣盗賊が何体も転がっている。うち半分はウェルナコールが、もう半分はアングが倒した。
「そういえば、魔剣を二人調伏することは大陸じゃあまり珍しくもないことなのだろうか?」
二人という数え方にセツナは少し違和感を覚える。魔剣は人では無いことを知っているからだ。
「どうだろうね。私あんまり他の調伏師と会ったこと無いから分かんないや」
「やはり少数派か。やはり街の自警団に加わってくれたら大変嬉しいのだが。どうだ」
自警団とは名ばかりのウェルナコールのワンマンプレイ(彼女がいない頃はどうやって守っていたのかセツナには見当もつかない)なので、魔剣を二つも調伏していて即戦力になるセツナたちは是非ともほしい逸材なのだろう。
「ごめんね。私たち、やることあるからさ」
「そうか……。残念だ。だが私たちの街は私たちで守るべき、か」
* * *
街へ戻ると冷ややかな群衆の視線は一転、セツナたちは魔剣盗賊を成敗した戦士として歓迎されることとなる。当分の寝泊りのための宿を貰ったので、物資調達は明日にして今宵セツナたちはささやかな町酒場で騒ぐことにした。
「おいおい。オイオイオイ見てよアング。あの人の胸デッッッカ!」
「うるせえな……」
セツナがもう何杯目かも分からないジョッキの中身を飲み干し、真っ赤な顔で焦点は定まっておらず、口は半笑いのまま開きっぱなしだ。
気持ちよく三人が飲んでいると、突如酒場の扉が勢いよく開かれる。
「お?」
扉から出てきたのは酒場に似つかわしくない少女だ。嬉しそうに笑顔を滲ませて駆け寄ってくる。
「皆さん! お母さまを手伝ってくれてありがとうございます!」
「一人でも全然やれそうだったけどね、あの人」
ここは街の中心部なのだが、わざわざアンは礼を言うためだけに来てくれたようだ。アングが隣のテーブルから椅子を奪ってくると、無理やりアンをそこに座らせる。
「ああ見えて結構無理をする人なんです。セツナさんたちがいなかったら、いつか死んじゃうかもしれません……」
アンは心底深刻そうに言った。酒場の誰かの陽気な笑いが、どうでもよさそうにこだまする。セツナにはそれが不愉快だった。
「お願いです皆さん! レイフォンに残って、お母さまを助けてくれませんか?」
「それはちょっと厳しいかもですね。私たちは旅をしている身ですから」
セツナに先んじてクレーヌが答えた。目の前の少女を助けてやりたいのは山々だったが、本懐を忘れるわけにはいかない。
「そうですか……」
「まあでも。しばらくはここに居続けるから。アングが森の野良魔剣なんて狩りつくしてくれるよ」
「適当抜かすな」
アングがぽかりとセツナを殴りつけた。アンは僅かにはにかみを見せる。
「ふふ。ありがとうございます」
「さあ、アンちゃんも飲もうよ。お姉さんちゅうもーん」
アンも無理やり飲み会に参加させることにしたところで、セツナが気分よくなみなみ注いだ酒を呷ろうとした瞬間、ジョッキはセツナの手から零れ落ちてしまった。
「わりいわりい。気づかなくてよ」
ぼろのバンダナを巻いた軽薄そうな青年がセツナにぶつかったのだ。それがわざとであることをクレーヌはすでに見抜いている。青年は三人の男を連れ立っており、一様に侮蔑的な目でセツナたちを睨んでいる。
「魔剣風情が」
そう言い捨てるや、青年たちが歩き去っていく。アングが無言で立ち上がった。
「やめなさい、アング」
クレーヌに諫められたアングはしぶしぶと椅子に座って、代わりにつまらなさそうな顔をして言う。
「何だアレ」
「レイフォンにはまだ魔剣の方を怖がっている方がいるんです。お母さまや皆さんは野良とは違うのに……」
なるほどレイフォンも一枚岩では無いようだ。ウェルナコールが街を守っているというのに不埒な奴らだとセツナは思う。
「しゃあないよね。見た目の違いは無いし」
「すみません……」
「アンさんが謝ることではありませんよ。こういうことも覚悟しての旅ですから私たちも慣れっこです。ね」
クレーヌが同意を求めると、セツナは脱力したまま大きく頷いた。
「だねぇ。さ、そんなことほっといて飲むよ! アンちゃんよく飲んでるんでしょ?」
「飲んでません!」
そんなこんなでセツナたちは楽しく飲み直すことにした。幸い、不愉快を消し去るのに充分なほど酒は美味かった。
その翌朝セツナたちは、魔剣ウェルナコールが町人を殺害したという報せを受けることとなる。