開戦
翌朝、ドアをノックする音でセツナは目を覚ました。セツナにしがみつくようにクレーヌがくっついて寝ていた。
古びたドアを開けると、そこには髪を結った長身の男が立っていた。
「おはようございます。調伏師殿」
「はよーございます。ええと、デイトナさん」
「……調伏師は魔剣をかよう扱うものなのですね」
「え? いやあ。癖というかなんというか」
急いでセツナが隠したのは、剣の状態で毛布にくるまっているアングだ。まるで剣を人扱いしているような光景だった。きっとアングの腹いせだ。
「それで何の御用ですかね」
「おっといけない。お食事をお持ちしました」
デイトナが意外にも俗っぽく笑って、部屋の外からトレイを持ってきた。二種類の皿には炒めた飯と、小魚を揚げたもの等が乗っている。
「一つでよろしかったでしょうか」
「ええそれはもう。ご丁寧にありがとうございます」
「いえいえ。ランバルのついでです」
「あの子にも?」
年長者に食事を運ばせる、それは人間の礼儀として不健康であるとセツナは感じた。というか、王宮には騎士たちの食堂があったはずなのだが。
「ええ、あの子は他の騎士たちと馬が合わないようでして。剣の才はあるのですがね、どうも性に合わないらしい」
「みたいですね。でも別にあの子が盟主を継ぐって訳でも無いんでしょ? 国を出させてあげたらどうです?」
「それはそうなのですが……。いやはや、実に惜しい」
デイトナは歯切れ悪く残念がった。建前ではなく本音の言葉だった。
利己的だ、とセツナは思った。デイトナは他の騎士たちと違ってランバルのことを気にかける優しさを持っているようだが、それもどこまでが本人を労わってのことなのか。
そんな悪意ある妄想をしかけたので、セツナは無理やり話題を変えることにした。
「そーいや昨日ランバルに言われたんですけど、私って声大きいらしくて。丸聞こえらしいですよ、ここ」
「それはいけませんね。職務怠慢だと叱られかねない。それでは失礼致します」
デイトナはきっちりとお辞儀して、ランバルの部屋へ食事を届けに行った。
それから数日の間をセツナは王宮を歩き回り、街を歩き回り、たまにランバルを冷やかして気ままに過ごした。相変わらず騎士たちはピリピリしていてセツナに苛ついた目を向けるが、その他は平穏なものだった。
この国が戦争に負けると彼らの暮らしは一変するだろうか。クォンタを知らないセツナには何も分からない。
ある日、興奮気味のランバルが手紙を携えてセツナの部屋を訪ねてきた。
「思い切って、俺のことどう思ってるかを聞いてみたんだが……どうだ」
「どうって」
ランバルは手紙の内容の解釈についてセツナの知見を借りに来たのだった。内容はこうだ。
――親愛なる人へ。
濁流にたゆたう花びらの美しさよ。
歩き続けた先の草の芽。
露の滴る不浄の陰。
後ろ姿ばかり溢れている。
「俺としては、気持ちは傾いていると思いたいんだが」
「うーん……?」
ランバルは熱に浮かされたように力説するが、セツナにはさっぱり分からない。
ので、ベッドで毛布にくるまるクレーヌに話を振ってみる。
「クレーヌはどう?」
「さあー? 人間の色恋なんて魔剣には分かりませんねえ」
しかしクレーヌはまともに取り合うこと無く背を向けて寝そべっている。こういう時に非情なヤツである。
そんな様子を尻目にランバルはなおもセツナに強く迫る。
「なあ、どう思う?」
「えー……そもそも文通が続いてる時点でイイ感じだとは思いますけど」
「イイ感じって?」
「好きな感じ……。好かれてると思うよ、うん」
「やっぱりそうか! 女の目から見てもそうなら、そうなんだろうな!」
ランバルは嬉しそうにはしゃぐ。長い間、やきもきさせられていたのだろう。
セツナは適当に答えたが、実際二人の仲が良好なのは言うまでも無いだろう。ただ、文通相手の少女は敵国という立場を考えてなかなかそこに踏み入ることができなかっただけなのかもしれない。
セツナの想定では文通の少女は調伏師で、そうなれば件の騎士だ。彼女は国のため戦う自分と、そうではない自分の二人に挟まれているのだろうか。
自分は彼女を上手く殺さなければならない。できるかどうかではなく、やらなければいけない。
陽が落ちる頃になって、急襲の鐘が鳴り響いた。
* * *
燃えるような残照が狭い荒野にオレンジ色を落としている。
クォンタの騎士たちは黒い壁のように隙間なく並んでいて、カシミエールを呑み込もうと進軍してくる。
そして、彼らを率いるように――あるいは彼らに追い立てられるように――先陣を切る一人の騎士。悠々と歩くその騎士は小柄。だが抜身の黒い剣を引きずるように歩くその姿は得体が知れず不気味だ。
「あれが件の騎士です」
セツナの隣でデイトナが緊張した声を出した。
カシミエールの騎士たちは外壁に沿って展開しており、迎撃態勢は既に完了している。
「後ろの騎士どもは件の騎士がじゅうぶん暴れ回るまでは攻撃してきません。調伏師殿、どうかお頼み申し上げます」
セツナは静かに歩き出した。すると、件の騎士は歩みを止めた。
どんどん近づくにつれ、騎士の恰好の細部がはっきりと見えてくる。
粗末な全身鎧だった。頭部や肩部はひしゃげていて、隙間も多い。両足などはほとんど覆われていないのと同じだ。
あと一歩で間合いに入る、という所でセツナは立ち止まった。気づけばカシミエールの騎士たちからも結構な距離が離れており、荒野でぽつりと取り残された二人の子どものようでちょっと可笑しかった。
騎士が魔剣を構えた。それは洗練された騎士の構えでは無かった。誰の教えでもない、無機質な構えだった。
「よく半年間も解放状態で戦い続けられるね。死ぬのが怖くないの?」
「さあ。そんなこともうどうでもいし、家族が人質に取られているの。どうしようも無いわ」
可愛いらしい声だな、とセツナは思った。そして、小さな騎士の頭部鎧の隙間から暗く淀んだ瞳が見えた。
「剣を抜いて、真名を。これ以上語らいの必要は無いわ」
「そうだね。〝目覚めよ〟〝クレーヌ・ドーユェ〟」
セツナの抜いた剣が脈打つように小さく輝いた。真名と解放の祝詞を告げられた彼女は心を通じて主に働きかける。
心臓が速く強く、不快に鼓動し始める。
目まぐるしく送り出される血液。はち切れそうな血管。炎のように熱い。
呼吸は深くなり、神経は過敏になる。遠くで息を吞む音、ちぎれる雲の欠片の表情、土に染み込んだ血のにおい。
やがてすべての風景は白く霧散し、ただ一人の少女騎士だけが世界に残る。そこにはセツナの身体の感覚すら存在しえない。
踏み込んで一閃。重く鋭い一撃は正面から受け止められた。
セツナは半身引いて、刺突を繰り出す。騎士の魔剣が流しそこね、クレーヌ・ドーユェの切っ先は全身鎧の右肩部の隙間を容赦なく貫いた。
「ぐぅっ……!」
苦悶の表情が仮面越しでも見て取れる。
騎士は片手でクレーヌ・ドーユェの刀身を掴み、もう片方の手に持った魔剣で力任せにセツナを殴りつけようとし――虚しく宙を斬った。
既に両手を放して姿勢を低くしていたセツナが、騎士の頭部鎧の顎へと拳を振り抜いた。
板金が大きく歪むほどの一撃は騎士の脳ごと頭部鎧を揺らし、騎士は剣を落として、姿勢を崩す。
その隙を見逃すセツナではない。騎士の小さな体を蹴とばし彼女が地面に倒れると、渾身の力を込めて腹部に魔剣を突き立てた。
ばぎ、と金属の破砕される音と共に、脂肪も内臓も貫いて剣先が止まった。
セツナは剣を引き抜いて血振りした。騎士は息をしているが、地に伏したまま動かない。




