7 ディートリンデとエルナ
私とバルトの結婚が決まり、屋敷の中は忙しくなった。
特に叔父は、私の荷物をまとめさせたり最低限の嫁入り道具を揃えたりするし、私を金貨三十枚で買おうとした中年オヤジのもとにも説明に行かざるを得なかった。
でも相手は「それがディートリンデ嬢の願いなら」と、快く私たちの結婚を認めてくれたという。
見た目と趣味はともかく、常識人だったようだ。
私は嫁入りに関してすることはないけれど、とにかく早くエルナに仕事を教えてくれ、ということで二人きりで仕事部屋にいることが多くなった。
これがまた、私の胃を攻撃してくる。
「バルタザール様って、とっても素敵な方だったわね。ねえ、どうやって誑かしたの? いつ会っていたの? あの方、お姉様のどこがいいと言ったの?」
仕事を教えるために準備した資料には一切目を通さず、エルナは目をらんらんと輝かせて問い詰めてくる。
私が中年オヤジの後妻になるかも、という時期の彼女は自分とクリストフの婚約が決まったときくらいの喜びようだったのに、今はこれだ。
こうして問い詰められるのも毎日のことになってきたので、私は気にせずに公文書のお手本を机に置いた。
「そういうのは、バルタザール様と私の間だけの内緒ということになっているの。ほら、それよりもこの手紙の例文を――」
「いちいちうるさいわね! こんなのわざわざ練習しなくても書けるわよ!」
エルナは叫ぶと私が置いたお手本を手で払いのけ、ついでに私の右手も叩こうと拳を振り落としてきた。
……なんだかそんなことをしそうな手の動きだったのでさっと右手を引っ込めると、エルナは机を殴りつけて呻いた。
「い、痛い……やっぱりお姉様は、ろくでもない人だわ!」
「今のはあなたが殴ろうとしたでしょう……」
「違うわ! そういうふうに私を仕向けたのはお姉様の方よ! 本当に、どこまでも性格が悪いわ! こんなのだからクリストフに愛されないのよ! バルタザール様も、すぐにお姉様に飽きてぽいっとするわ!」
「それはないわ」
主に契約履行上の理由で、だけれど。
でも私の言葉がカチンときたようで、エルナは机を手のひらで叩いて立ち上がり、そこらにあった資料などを払い飛ばしてしまった。
「ちょっと、何をするの!? この中にはこれまでの記録も……」
「うるさいうるさい! いつまで私に対して偉そうにするの!? お姉様なんてどうせ、バルタザール様に浮気される運命のくせに!」
エルナは手元にあったペンも投げ捨てると、私に背を向けて部屋を出ていった。
いきなり目の前でキレられて呆然としていたけれど、間もなくエルナを後ろに従えたクリストフがやってきた。
彼は部屋に散らばった道具や資料の有様を見ると目を丸くして、そして私を見てため息をついた。
「ディートリンデ……いくらなんでも、やりすぎだ」
「……何が?」
「エルナが泣くほど叱る必要はないだろう。それにそこの資料、これまでの記録を綴じているものだろう。……結婚を前にして焦っているのかもしれないが、もっと冷静にエルナを指導してやれよ」
「……はぁん?」
あ、自分でもびっくりするような変な声が出た。
じろっとエルナを見ると、エルナはくすんくすんと鼻を鳴らしてクリストフの上着を掴んだ。
「ディタお姉様、伯爵家の方と結婚できるからって、私のことを見下してくるのよ。自分には金貨百枚の価値があるのだから、とか言って」
「私がそんな恥知らずなことを言う人間だと思っているの?」
怒りどころか呆れてしまってそう言うと、私とエルナの顔を交互に見ていたクリストフが大きなため息をついた。
「……まあとにかく、ディートリンデはきちんとここの片づけをしなよ」
「なんで」
「なんでって、ここまで散らかしたのは君だろう?」
「エルナよ」
「お姉様、ひどいわ! また私のせいにするのね!?」
「そっくりそのまま、お言葉を返すわ。……そういえばエルナ。あなた、さっき右手に怪我をしたわよね?」
「怪我? ……ひょっとしてさっき、大きな音がしたときのか?」
クリストフに尋ねられたエルナはぱっと顔を上げると、これ見よがしに自分の右手を掲げた。
「そう、そうなの! これも、お姉様にされたのよ……」
「……あら、本当に? 右手のその部分が赤くなっているってことは、誰かに殴られたのではなくて……自分で硬いものを殴ったからじゃないの?」
立ち上がった私が言うと、エルナは凍りつき、さっと右手を引っ込めようとした。
でもすかさずクリストフがその手首を掴んで右手の小指側側面が赤くなっているのを確認して、そろそろと私を見てきた。
「……この痕は――」
「エルナには勉強する気がないようだから、私は席を外すわ。エルナ、ちゃんとお片づけをしてね」
二人の横を通り、私は仕事部屋を出た。
……後のことは、二人でやっておいてほしい。




