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2  思い出と現実②

「……叔父様、どういうことですか。お父様の遺言では、私の結婚に男爵位継承の優先権があるのではなかったのですか」


 目の前でイチャイチャする二人から視線を引き剥がして問うと、叔父はどこかそわそわしながら額の汗を拭いた。


「そ、そうなんだが。クリストフ殿がエルナの方を気に入ってしまったし、トイファー家当主殿も二人の交際を認めてしまったのだよ。ディタも分かっているだろうが、トイファー家は婿入りを条件にミュラー家に資金援助してくださるのだ」

「僕は、愛のない結婚はしたくない。父上も僕の気持ちを何よりも尊重するべきだと言っていたし、エルナなら現男爵の娘だから問題はないはずだ。君の父上の遺言もあくまでも『優先権がある』というだけだ。……エルナと結婚できないのなら、僕はミュラー家に婿入りしない。当然、資金援助だってしないさ」


 クリストフはさらっと言い、エルナも満足そうに頷いた。


「私も、クリストフ様をお慕いしているの。私は……お姉様みたいに頭はよくないし鈍くさいけれど、お姉様がやっているお仕事を引き継げるように頑張るわ!」

「……ディートリンデ。君はたびたび、エルナが勉強が苦手なことについて苦言を呈していたようだが……エルナの気持ちも考えてやってくれ。優秀な君には分からないのだろうが、エルナだって努力しているし、僕の妻として一緒に男爵家の仕事を頑張ると言ってくれたんだ」


 そう言うクリストフは、少しだけ咎めるような眼差しを私に向けてくる。


 ……苦言を呈している?

 ええ、呈しますとも。


 花瓶を壊したのは自分なのに、私のせいにしようとする。私の真似をして失敗したら、「ディタお姉様がやれと言ったの!」と責任転嫁する。


「ディタお姉様にできるのなら私にもできるわ!」と言うので私と同じように乗馬を習って早速落馬したら、「お姉様が私を馬鹿にしている!」と泣きわめく。調教師の言いつけを破ったのは、自分なのに。


「お姉様ばっかり!」と言うから私が使っていたのと同じ問題集をさせたら、「こんなのできるわけないわ! お姉様の意地悪!」とわめき、「お姉様ばかり褒められるなんてずるい!」と言うからテニスを教えたらすっ転んで、「お姉様にやられた!」と叔父に泣きつく。


 その他、細々とした嫌がらせをされたり濡れ衣を着せられそうになったりすること、七年。

 そりゃあ、文句の一つも言いたくなる。


 といっても、「それは違うでしょう」「そういうことを言われる筋合いはないはずよ」となるべく優しく言ったつもりだけど……。はたして私の言い方が悪かったのか、それともエルナが過大表現しているだけなのか。


 でも、そういうことを言い返す気力もないし……この部屋の状況を見れば、言い返したとしても現状打破になるどころか、余計に私が悪い、という空気が増すだけだ。


「……。……それで、これまで私がやってきた仕事をエルナに引き継がせ、あなたたちが結婚するということ?」

「そういうことだ」

「お姉様がやっているのは、『誰にでもできる仕事』なのでしょう? だから心配しないでいいわよ」


 エルナは言うけれど……「誰にでもできる仕事」なんて私は言った覚えがないから、クリストフか叔父が適当なことを言ったのだろう。貴族女性の大半は、公文書の書き方も出納帳の読み方も知らないというのに。


「……そう。トイファー家がそう言うのなら……婚約解消を受け入れるしかないのね」

「聞き分けがよくて助かるよ」

「どういたしまして。……それで、叔父様。私は今後、どうなるのですか?」


 しれっと言うクリストフにイライラを募らせながら、私はさっきからそわそわしっぱなしの叔父を見る。私の正面でラブラブしている二人と違い、叔父はまだこの状況に迷うだけの常識はあるみたいだ。


 ……クリストフとエルナのことは置いておくとして、私が知りたいのはここだ。

 叔父はびくっと丸い体を震わせると、なおも汗を拭きながら視線を彷徨わせた。


「そ、そうだな……しばらくの間はエルナに仕事を教えるためにここにいてもらうが、その後は……私の方で、よい嫁ぎ先を探しておこう」

「……あるのですか?」


 思わず突っ込むと、叔父は愛想笑いを浮かべた。


「心配しなくてもいいのだよ、ディタ。働き者で真面目なおまえなのだから、きっと素晴らしい紳士が手を挙げてくれるだろう。私に任せなさい」


 ……それはつまり、私の方から動いて結婚相手を探すことさえ許されない、ということだ。


 反抗の意味も込めてじろっと睨むと、兄の遺言を叶えられなかった負い目があるのか叔父は明らかに怯えた様子で視線を逸らした。











 叔父とクリストフは今後の話を詰めるということで、私とエルナは応接間から出るよう言われた。

「すまないな」と叔父は言っていたけれど……ドアが閉まる直前、彼が満面の笑みをクリストフに向けるところを、私は見た。


 ……叔父からすれば、姪ではなくて娘が選ばれたのだから嬉しくてたまらないのだろう。


「……ふふっ。これで全てが、丸く収まりそうね」


 さっさと自室に戻ろうと思いきや、背後から楽しそうな声が聞こえてきた。

 エルナはさっき応接間で見せていたのとは別の意味のある笑顔で、私を見ていた。この笑顔が、彼女の「素顔」だ。


 叔父やクリストフは、エルナの可愛らしい笑顔に騙されている。でもさすがに使用人の大半はその本性に気づいているし、最初の頃の彼女は私にもその笑顔を向けていたけれど、靡かないと分かってからは私の前では仮面を被るのをやめていた。


 だから私も、「素顔」のエルナに「素顔」をぶつける。


「……よくそんなことが言えるわね。いつからクリストフを懐柔していたの?」

「まあ、お姉様はそんな下品な言葉を使われるのね。ただ、クリストフ様が私に愛を向けてくれるようになっただけでしょう?」

「そうなるように仕組んだわけではなくて?」


 確固とした証拠があるわけではないけれどそう突っ込むと、エルナはますます笑みを深めた。


「私はただ、お仕事部屋に籠もりきりのお姉様の代わりにクリストフ様をおもてなしして、お話を聞いて、寂しそうなときには手を握って差し上げたくらいだけれど?」

「……婚約者のいる男性に自ら接触するなんて、あなたは本当に淑女教育を教わっていたの?」


 私は恋愛事が得意ではないし、クリストフの方もあまりベタベタ触れてくる人ではなかったから、結婚するまではゆっくりやっていけばいいかな……と思っていた。


 でも、エルナはそうではなかった。自分の方からぐいぐいとクリストフに迫り……その心を掴んでいた。

 そう思いながら詰っても、エルナは不快そうな顔をするだけだ。


「……本当に、お姉様っておもしろみがないわね。どうして全てのことを型に当てはめようとするの? そんなのだから私と違ってお友だちもいないし、クリストフ様にも呆れられるのよ」

「……あなたの示す『お友だち』が健全なものであれば少しは羨んだけれど、そうでもないわよね」


 エルナには確かに男性の友だちが多いけれど、はたして彼らとどういう関係なのか……きっと叔父は知らないだろう。


 私の遠回しな嫌味にエルナはあっさり引っかかり、ふんと鼻を鳴らした。


「……別にいいでしょう。男にも女にも人気のないお姉様と、私は違うの。まあ、いずれお姉様も『素敵な紳士』に見初められるでしょうから、その時は従妹として祝ってあげるわ」

「……ええ、どうも。それはそうとして、事務の仕事を教えるように言われたのだから、ちゃんと勉強してね」

「はいはい。……本当に、口うるさい不細工のくせに」


 ぷいっと背中を向けたエルナは、ぶつぶつ言いながら去っていった。でもしばらくして使用人の誰かに会ったようで、「聞いて! ディタお姉様がひどいことを言うの!」と泣きつく声が聞こえてきた。


 ……エルナの本性を知らないのは、ここに来て日が浅い者かエルナのお気に入りの若い従僕くらいだ。

 皆、「エルナお嬢様を窘めたら減給処分を食らうから、一応従っておく」って対処をしているのを知らないのは、本人くらいだろう。


 ……エルナのことは、もうどうでもいい。

 それよりも、自分の今後について考えないと。

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