18 可憐なお客様
本棚整理をした後の体を鏡で確認してから、私は資料庫を出た。
廊下には、豪華なピンクのドレスを着た令嬢と、そのお付きらしい数名の使用人や兵士の姿があり――やっぱり来客対応の場面だった、とピンと来た。
「こんにちは。バルタザール・リューガーにご用事ですか」
ドレスのスカートを摘んでお辞儀をすると、ピンクドレスの女の子がつかつかと歩み寄って、私の顔を見上げてきた。
年齢は……十五歳に満たないくらいかな。艶のある黒色の巻き毛を肩に垂らしていて、紫色の目はぱっちりとしていて魅力的だ。
エルナは常日頃から「私と違ってお姉様は残念よね」と言っていたけれど……間違いなく、この子の方がエルナの何倍も可愛らしい。つんと澄ました態度だけど、それでも絶世の美少女だと言わざるを得ない。
……でも、この子は一体誰だろう……?
バルトは、若い女の子と会う予定があるなんて言っていなかったし。
女の子は私をじろじろと見てから、ふん、と可愛らしく鼻を鳴らした。
「……さてはあなたが、バーティ様の奥方?」
「え? は、はい。バルタザールは私の夫ですが……」
「やっぱりそうなのね! なーんだ、思っていたよりも全然普通の顔じゃない!」
……。
……今の発言は、どう受け取ればいいのだろうか?
思わず笑顔が引きつってしまった私を見てか、女の子の後ろに控えていた使用人の一人がお辞儀をした。
「こちらはフレーリヒ子爵家令嬢、ジルヴィア様です。ジルヴィア様が、ディートリンデ・リューガー様に是非ともお目に掛かりたいと仰せになったので、お伺いさせていただきました」
「そ、そうですか。お初にお目に掛かります、ジルヴィア様……」
「はーあ。あのバーティ様を一瞬で落とした謎の奥方だって専らの噂だったのに、こんなに地味で冴えない人だったなんて、なんだかがっかりだわ!」
女の子――ジルヴィア・フレーリヒ様は心底残念そうに言い、きれいな目でじとっと私を睨み上げてきた。
「大人の魅力たっぷりの美女ならともかく、こんなのだったらいろいろ疑っちゃうわ。……あなた、本当はとんでもなくずるい手段でバーティ様を籠絡したんじゃないの?」
「そ、そのようなことはございません!」
……金貨百枚で買われただけです、とは口が裂けても言えないのでひとまず言い訳はしたけれど、余計にジルヴィア様を苛立たせるだけになってしまった。
「嘘おっしゃい! ……でも、残念ね。いつかバーティ様はあなたが掛けた魅了の呪いから放たれて、わたくしを選んでくださるわ」
「……ええと?」
……さてはこのご令嬢、バルトに熱を上げているのかな。
彼女は結婚するにはまだ早い年齢だろうけれど、バルトはそもそも結婚の話から逃げるために私に求婚したとのことだし、もしかするとこういう令嬢からはよく追い回されるのかもしれない。
でも見た感じ、恋に盲目になって暴走している節がある。
彼女の背後にいる使用人や兵士もちょっと気まずそうだし、主人に命じられて無理矢理同行させられたのが見れば分かる。
ここは大人として、ジルヴィア様に穏便に帰っていただくよう説得しないと――
「ご存じ? 昨日バーティ様はお忙しいのに、お父様のお誘いに乗って我が家の晩餐会に来てくださったのよ」
――どうやってジルヴィア様を説き伏せようかと考えていた心に、とん、と何かがぶつかった。
そしてまぶたの裏に蘇るのは、昨夜見た光景。
慌ただしく玄関から出て行くバルト。ヘルベルトの横顔。驚き悲しそうにしていた厨房の皆。
……本当に食べてほしい人に食べてもらえなかった、焦げ目の付いた鹿肉。
……そういえばバルトは昨夜、会食を主催するのは「子爵」だと言っていた。
つまり――昨夜バルトは、この令嬢の家に行った。
令嬢はふふん、と平らな胸を張った。
「わたくし、ずっと前からバーティ様を晩餐会にお呼びしたいって思っていたの。でも、ご結婚なさったしそれも難しいかもしれない……と思っていたら、お父様が騎士団の人にお願いしてくださってバーティ様が参加することになったの。わたくしね、バーティ様の隣に座ったのよ。わたくしはまだ飲めないけれど、バーティ様のグラスにワインもお注ぎして――」
とん、と胸が内側から軽く叩かれる。
「……そう、ですか」
確かに、彼女の発言には驚いた。
でも、動じることはない。
「夫をもてなしてくださり、ありがとうございます。夫はお酒が好きですし、可憐なジルヴィア様に注いでもらえたお酒をきっと、とても楽しんだと思います」
大丈夫、大丈夫。
私は、いい妻の仮面を被れている。
私がそう言って微笑むと、ジルヴィア様はなぜかむっとしたように唇を尖らせた。でも彼女が何かを言おうとした直後、それまで黙っていた兵士が口を開いた。
「お嬢様、そろそろお暇しましょう。旦那様からも、あまり騎士団エリアに長居しないようにと言われているでしょう」
「そうだけど……」
「そういえば今の時間、バルタザール様は訓練所で後輩指導を行っているはずです。見に行きませんか?」
「ええ、行くわ! ……それじゃあ、バーティ様の奥さん。ごきげんよう」
最初は駄々をこねそうだったのに女性使用人に提案された途端にジルヴィア様はころっと笑顔になり、私にも淑女らしいお辞儀と挨拶をした。
「……ええ、ごきげんよう」
私もなんとか表面上取り繕い――去り際にジルヴィア様のお付きたちが申し訳なさそうな視線を寄越してきたので笑顔で横に首を振り、自室に向かった。
小さなベッドに腰を下ろし、枕元に置いていた灰色の猫の抱き枕をたぐり寄せてぎゅっと抱きつく。
私の仕度を手伝ってくれる使用人は私の出勤を許してくれたけれど、「これを持っていってください」となぜか抱き枕を荷物に入れてきた。
どうしてこの子を……と思ったけれど、もしかすると彼女は何か嫌な予感がしていたのかもしれない。私が城でこの抱き枕を必要とするときが訪れるだろう、と。
目を閉ざし、抱き枕に頬ずりをする。
……バルトとは、お互い恋人を作ってもいいという話をしている。
だからもしかするとジルヴィア様が、バルトの恋人になるかもしれない。
バルトは昨夜の会食について言葉を濁していたけれど、ジルヴィア様の方はバルトのことをバーティ――バルタザールの別の愛称だ――と呼び、恋をしているようだ。
彼女が言うには父親の子爵も娘の恋を応援しているようだし、伯爵家の次男と子爵家令嬢なら身分も釣り合う。少なくとも、男爵の姪でしかない私よりもずっと、ふさわしいはずだ。
今のジルヴィア様は十代前半くらいだろうから、ジルヴィア様がもうちょっと大人になったら交際を始めて――あっという間に三十歳近くなる私をぽいっとしてジルヴィア様と再婚する、というのも可能性としては十分あり得る話だ。
そういう事例は、実際に聞いたことがある。それに、多くの貴族は――夫よりも妻の方が若い。
若い女性の方が人気が出るのは当然だし、年上の妻だと子どもを産めなくなるまでの時間が短いからだ。
……うん、好きでもない私と一緒にいるよりも、バルトにとっていい話のはず。たとえジルヴィア様じゃなくても、他の候補の令嬢がたくさんいるだろう。
これ以上バルトに嫌われたくないし、もしそういうことを言いだされても応援しよう。




