15 ディートリンデの気遣い
環境整備として早速洗濯物関連についてルールを作ることに成功した私は、その後も室内のいろいろなところに視線をやるようにして、加えて見習い騎士たちの生活態度や所作にも気になるところがあれば注意するようにしていた。
泥水をまき散らしながら走っていれば、「靴の底を拭きなさい! 床も掃除しなさい!」と注意して、取っ組み合いの喧嘩を始めそうになっていれば間に入って止める。備品を壊したまま逃走しようとする者がいれば捕まえて、一緒に修理する。
……この頃になると、最初の頃は「隊長のきれいな奥様」だった私の印象は「口うるさいおばちゃん」になりつつあるようだけど、もう何でもいいや。
さて、私は使用人のおばちゃんよろしく見習いたちの生活指導を行っているけれどそれだけでなく、バルトの授業準備の手伝いもしていた。
「すまない、リンデ。この後すぐに教室に新品の石版五枚とユドリッド地方の地図を持ってきてくれ。資料庫にあるはずだ」
よほど急いでいるのか、普段城では私のことを愛称で呼ばないようにしているバルトはそう言うと、教科書をひっ掴んで執務室を出て行った。今日は朝から悪天候で、城下町の巡回に時間が掛かってしまったようだ。
……バルト、多分昼ご飯も食べていないよね。
バルトに言われたとおりのものを持っていったら、厨房で残り物をもらってこよう。
そう思いながら、資料庫に向かう。ここはバルトも見習いたちも使う部屋で、本や備品などが収められている。
ちなみにバルトたち教官騎士には後輩指導時に使う備品や本の購入に使う活動資金が、毎月与えられる。
バルトはお金の管理も得意ではなくて無計画に買ってしまうそうなので、これも私が請け負っていた。
そんな物品を置いている資料庫だけど……面積のわりにものが多くて、どこに何があるのかが分かりにくい。
「ユドリッド地方の地図……この辺かな」
まだこの部屋は掃除ができていないので埃っぽい本棚に近づき、地図を探す。
こういう地図は複数巻構成になっているものだ。
『エレルフィア王国地図帳』の第一巻を見つけたので、それを手に取る。
目次を見ると予想通り、各地方の地図は全二十四巻構成になっている。ユドリッド地方は……六巻だ。
一巻の隣に、二巻。三巻がなくて、四巻。なぜか十五巻があって、次は七巻。
……こういうの、困るんですけど!?
ずらっと並んだ地図帳は並び順がめちゃくちゃだし、なくなっているものもある。
幸運にも今必要な六巻は十八巻の後にあったけれど……十八巻と十九巻の間にねじ込まれた形跡があるから、バルトか見習いか知らないけれど前に読んだ誰かが適当な場所に入れたことが分かる。
……うーん、こういうのも、どうにか改善したいところだ。
新しい石版五枚と一緒にユドリッド地方の地図を教室に持っていくと、疲れた顔のバルトが教壇に立ち、見習いたちに指示を出していた。
「それじゃあ各自、石版にユドリッド地方のおおまかな地形図を二つ描け。その後、左側には八十年前の西方内乱で敵対した領地同士で色分けを、右側のには現在の領地分割について描け。……ああ、ディートリンデ。悪いな。石版は、持っていないやつに渡してくれ」
「はい」
地図はバルトに渡して、石版は古いものが描けなくなっていた見習いたちに配って回る。皆、教科書に載っているユドリッド地方を一生懸命描き写していた。
最後にバルトの方をちらっと見てみたけれど……やっぱり、お疲れ気味みたいだ。
彼は見習いたちの昼食時間がなくなってはならないからと皆を先に帰らせ、自分一人で雨に濡れた馬たちの馬具を外し、馬番たちに渡すまでの作業をやったそうだ。
……よし、この後の休憩時間に軽食を持っていこう。
教育棟一階にある食堂に下りたけれど、あいにく昼食の残りはほとんど残っていなかった。
「悪いな。……でもあんたはここでメシを食わないって聞いたんだが?」
「ええ、これは私の分ではなくて夫用です」
尋ねてきた料理人に答えると、彼は一瞬悩んだけれどすぐに「ああ、リューガー様か」と合点がいったようだ。
「そういや今日、あの方は見かけなかったな。リューガー様が下りてきたら、厨房からでもすぐに分かるんだよ」
「……そんなに目立つのですか?」
バルトの長い髪は明るい赤茶色で、身長は騎士としては平均くらい。衣装も他の騎士たちと大差ないから、ものすごく目立つわけではないと思うけれど。
そう思って問うと、余り物を集めてくれていた料理人はにやりと笑った。
「おうとも。……ディートリンデさんは見たことがないか? リューガー様は男女問わず人気があって、昼食に下りてきたら一緒にメシを食おうといろいろな騎士から誘われているんだ」
「……そうなのですね」
私たちは夫婦だけど、騎士団エリアではあくまでも騎士とその手伝いという立場を徹底させている。だから私たちは基本的に出退勤もばらばらだし、私は昼食を持参して部屋で食べるようにしている。
……そうか。バルトは、人気があるんだ。
私の前では澄ました顔をしていることが多いけれど……仲間たちの前では、また違った顔を見せているのかもしれない。
料理人はせっかくなので、と余り物を寄せ合わせてバルトのための軽食を作ってくれた。ありがたくそれを受け取って、ついでに食堂給仕から茶葉をもらった。
今日は朝から天候が悪くて、春にしては肌寒い。さっき教室で見たバルトも雨の中で作業したからか青白い顔をしていたから、温かいお茶を淹れれば喜んでもらえるかもしれない。
……そこまで考えて、ふと私は階段の真ん中で足を止めた。
私がいくら奉仕をしても、私を嫌うバルトがそれに愛情を返してくれることはない。
さっきの料理人も、バルトは男女問わず人気があると言っていた。ということは、彼に懸想する令嬢もいるはず。
……でも、違う。
私は、彼からの愛情がほしくてこうして行動しているわけではない。
これは、恩返しの一環であり――彼から役目を授けられた私がするべき任務だ。
部屋に戻り、料理人が渡してくれた包みを広げる。
残り物のパンに大きな切れ目を入れ、そこにハムや肉の欠片、レタスやトマトなどがぎゅっと詰められていた。パンそのものが大きいこともあって私にしてはちょっとうっとくるようなサイズだけど、成人男子のバルトならぺろりと食べてしまうだろう。
……そういえば子どもの頃のバルトは、体が小さいのが悩みだからたくさん肉を食べて運動して大きくなるんだ、って意気込んでいた。パーティーで料理を取るときも、甘い味付けのものやお菓子より肉系のものを選んでいた気がする。
バルトは今も、肉好きなのかな。
教育棟で働く使用人にお願いするとすぐに湯を持ってきてくれたので、食堂でもらった茶葉で温かいお茶を淹れる。そうしてティーセットと軽食をトレイに載せ、バルトの執務室に向かった。
ちょうど彼も講義を一つ終えたところらしくて、ぐったりとした様子で椅子の背もたれに寄り掛かっていた。
「……ああ、リンデか。…………まさかそれ、食事か?」
「ええ、正解。……バルト、昼食を食べていないのでしょう? 食堂で余り物をもらってきて、お茶も淹れたの」
「そうか。今から頼もうと思っていたんだが……ありがたい」
バルトは体を起こすと、私がデスクに置いたトレイの上をまじまじと見つめている。
「今日は雨で肌寒いから温かい紅茶を淹れたのだけど……アイスの方がよかった?」
「いや、温かいものが飲みたいと思っていた。……本当に、助かった。このままあいつらに算術を教えるのかと思うと、倒れそうになっていた。君は気が利くな」
「ふふ、それならよかったわ」
確かに、お腹が空いているときに難しい計算なんてしても正しい答えは出せそうにない。食事をもらいに行って、よかった。
予想通りバルトは私では大きすぎると思ったパンを両手で持つと、がぶりと一口で三分の一ほどを食べてしまった。男の人は、体だけじゃなくて口も大きいのかな……?
「バルトは今も、お肉が好きなの?」
「ん? そうだな。今でも、肉は好きだな。それから、辛党でもある」
「……そういえば寝る前にもお酒を飲むって、ヘルベルトが言っていたわね」
私は彼と食事をする機会はほとんどないから知らなかったけれど、たまにヘルベルトが夜遅くにワインを手にワイナリーから出てきたところを目撃している。
「ああ、実家からたびたび良質なワインが届くんだ。……リンデは酒、好きか?」
「……実はあまり、飲めないの」
叔父は酒豪だけれど、私の両親は共にお酒に弱かった。
私も十六歳で成人した日に初めて叔父に酒精の強いお酒を飲まされて、大変なことになってしまったものだ。
「へえ。飲むと気分が悪くなるとか? それとも、笑い上戸になるとか?」
「叔父曰く、いきなり食卓に上がって服を脱いで踊りだそうとしたらしいわ」
「……」
あ、バルトが気まずそうな顔をしている。
彼は紅茶を啜り、カップを置いた。
「……脱いでいないよな?」
「私は覚えていないけれど、女性使用人総出で私を引きずり下ろして別室に連れて行ったそうだから、未遂で済んだみたい。それ以降さすがの叔父も反省したらしくて、私には食前酒しか出されなくなったわ」
「…………そうか」
バルトはカップを口元に運んだけれど、もう中身は空になっていた。
新しい茶を注ぐと、それをバルトはちびちびと飲んだ。
「……俺の前でも、酒は飲み過ぎるなよ」
「分かっているわ。さすがにこれ以上あなたに嫌われる要素は作りたくないから」
「……そうじゃないけれど、もういい」
バルトの言葉のきれが妙に悪い。
……まあ、私も浴びるようにお酒を飲むつもりはないし、バルトやヘルベルトの前で服を脱いで踊ることは金輪際ないだろうから、この話はよしとしよう。




