No49(注意)
一:倫理道徳に反する表現があります。胸糞展開があります。虐待表現があります。
苦手な方は読み飛ばして下さい。
二:本話は上原楓の過去話となっています。
Kaede's background
今日も学校が終わり家へと帰る。周りの家と比べて私が住む家は大きい。庭付き二階建てで離れもある家と言ったら分かりやすいだろうか。門扉を潜り、母屋では無く離れへと歩を進めた。そう、私の部屋は離れなのだ。部屋に入り荷物を置いて部屋着に着替えると日課である勉強を開始。分厚い参考書や学術書を片手にノートにペンを走らせる音が部屋に響く。学校でも勉強して家でも勉強とは熱心だねなんて思うかもしれないが、別に好きでやっている訳ではない。そう……、これは私に課せられた義務であり鎖なのだ。部屋に置いてある花瓶には少し季節外れのスノードロップと黒薔薇が生けられている。スノードロップの花言葉は『あなたの死を望みます』そして黒薔薇は『死ぬまで憎みます』だったろうか。ふふ、今の私にはぴったりだな。あぁ、どうして私は私なのだろうか。そんな自問自答の深みに次第に嵌まっていき思考は過去へと誘われていく。
私の母親は研究者でその道では有名だ。様々な功績を残し、更なる活躍を求められ研究に没頭していく中ふと思った。私はいずれ年老いて死ぬ。これまでの、そしてこれからの研究成果を誰にも引き継がせる事なく。それは焦燥感を煽るには十分すぎるものだった。彼女は考えた。他人に任せるわけにはいかないし、私のしている事を理解し、更なる発展をさせるには余りにも不十分。他人に引き継がせるくらいなら、いっそ研究成果を破棄した方がマシだ。ではどうするか?自分がもう一人いればいい。だが、人間のクローン技術は未だ完成には至っていない。義体に脳のみ移植して生きる方法も考えたが、現実離れし過ぎている。悩み、考えひたすらに思考の海に潜る中、天啓のような考えが浮かんだ。自分の遺伝子を継ぐ子供に任せればいいのではないのか?と。そこからの彼女の行動は早く翌年には第一子を産み落とした。これで、問題は解決かに思われたが……、そうはならなかった。第一子誕生から数年後、再び彼女は考えた。私の後継者として育てているこの子がもし、死んだらどうなる?と。今までの苦労は水泡と帰し、また初めからやり直しだ。今ならば数年のロスで済むが、これが十数年、二十数年だったらどうか。考えるだけで恐ろしい。早急に対処しなければいけないが、どうするか?子供に今よりも警護をつけるのは当たり前として、もっと抜本的な解決法を見つけなければ。彼女は再び恐ろしいほどの焦燥感に駆り立てられながら思考していく。そして、辿り着いた結論がスペアを作ればいいというものだった。人間のスペアを作る。まさに悪魔の所業、外道の考えと言わざるを得ないが彼女にとっては神のお告げにも似たものだった。そうして産まれた子供が私、上原楓というわけだ。
産まれてすぐの時から私は姉のスペアとしての生活が始まった。幼少時から徹底した英才教育を施され、子供らしい生活とは無縁だった。姉と母の私に対する態度は一見同じに見えるがその実全く違う。姉は私に対して愛情を持って接してくれたし、なにかと気を使ってくれた。そこには確かに家族としての愛があった。だが母は私を大切にしてくれるが、それはあくまで姉のスペアとして、そして自分の為にしているのだ。スペアとしての生活はある種過酷で凄惨なものだった。それも当然だろう。姉にもしもの事があったら私が代わりになるのだから、それに相応しい能力や知識が無ければいけない。毎日、毎日ひたすら知識を詰め込み、様々な研究のレポートを読み漁った。普通の幼稚園児や小学生には理解できない内容だが、人は自分の命がかかっていると必死になるものだ。当然私も最初はチンプンカンプンだったし、やりたくなかった。だが、母は理解できない私に手を上げる事は無かったが、勉強した内容を理解するまで食事抜き、睡眠時間もごく僅かしかとらせてもらえないという手段をとったのだ。幼い子供にする事では断じて無いが、その効果は覿面だった。先程も言ったが命がかかっていると必死になるのだ。何日もご飯を食べれず、碌に寝れていない為まともな思考ができなくても、やるしかないんだ。生きる為に。感情は摩耗し、擦り切れてゆく。その先にあるのは……、想像もしたくない。傍から見れば狂った生活に見えるだろ。それは間違いないが、ここで疑問が湧き上がる。姉も同じように育てられたのだろうか?と。私と同じ苦しみを味わったのか?そしてそれは今も続いているのか?次々に浮かぶ疑問に突き動かされ、私は母に聞いてしまったのだ。
「ねぇ、お母さん。お姉ちゃんも小さい頃は私と同じ様な生活をしていたの?」
「なにを言っているの。そんな訳ないでしょう。あの子は大事な私の後継者なんだから、大切に時間をかけて育てたわよ。スペアであるあなたとは違うの」
そう言われた時の事は今でも覚えている。頭が真っ白になり、自分の中で何かがガラガラと音を立てて崩れていくのを、母の冷たい目を忘れる事は出来ない。
「あなたはただ知識を詰め込み、能力を伸ばすだけで良い。人形は人形らしくしていればいいの。分かったら今後下らない事を聞くんじゃないわよ」
「は……い……」
「分かったならさっさと部屋に戻りなさい」
そう言われて母の部屋を出て自室へと向かう。その足取りは覚束なく、今にも倒れてしまいそうなほど力ない。廊下を歩き離れへと向かう中、対面から見知った人が近づいてきて声を掛けられた。
「あら?どうしたの?顔色悪いわよ。どこか調子が悪いの?」
「お姉ちゃん……。ううん、大丈夫。少し考え事をしていただけ」
「そう、ならいいわ。楓は私の大事な妹なんだから、なにかあったら言ってね」
「うん。じゃあ行くね」
姉は私がスペアだとは知らない。知らなくていい事だし、もし知ってしまったら母を激しく糾弾し、後悔の念に押し潰されるだろう。優しくて、いつも私の事を気にかけてくれる人。でも、どうしてだろう。憎くて、憎くて仕方ないんだ。私がこんな事になっているのも全て母のせいなのに、姉がどうしようもなく憎い。ねぇ、なんで私はこんな目に合わなければいけないの?なんで私が先に産まれてこなかったの?どうして、どうしてこんなに悲しいの。愛と憎悪がぐちゃぐちゃになって混じり合い、私の心を塗り潰していく。心はひび割れ、悲鳴を上げている。もう限界だと、壊れてしまうと。いや……、いっそ心など壊れてしまった方が楽なのかもしれない。そうすれば何も辛くないし、悲しくない。あまりにも歪んだ家庭環境の中で今まで過ごしてきて分かった。私は本当の意味で必要とされていないのだと。それに気づいた時私は人形になった。外でも家でも常に仮面を被り従順に、お利口に、当たり障りのないように振舞うのが一番楽だし、母が望むものだから。だから、私は私を殺して人形になったのだ。それは無意識のうちに心を守ろうとした自衛行為なのかもしれない。幼い少女に出来る唯一の自分を守る手段がそれしかなかったんだ。それからの生活は随分と楽になった。人形に感情はいらない、人形に自我はいらない、私は私である必要はなくただ母の言われたことをやり生きているだけでいいのだ。そうやって生きるしかなかった……、いやそう生きてきたのだ。高校に入るまでは。
高校に入り彼と出会った。まあ、最初のみ学校に来て後は月一登校だろうし、最初くらいはお話してみようかなと思い結衣と話しかけたのを覚えている。彼は男性なのに女性に嫌悪感を示さず、朗らかな笑顔を浮かべていたっけ。最初の印象はそんな所だ。次の日学校に行くとなんと彼が登校していたので驚いた。なにか用事があってきたのだろうか?と思ったが、なんと毎日登校するつもりと聞いてからかっているかバカにしていると感じたっけ。でも有言実行でその後も登校を続けていつの間にか仲良くなっていた。だけど、それはあくまで表面上の事。当たり障りなく、そつなく接していただけなんだ。誰も気づかない、気付けない。そう……、私が人形である事は。あれは、いつの日かの放課後だったろうか。茜色に染まる教室で彼と話したのだ。他愛無い話をしながら、時間は過ぎていき気付けば教室には誰もいなくなっていた。夕日差し込む教室に二人っきり。まるで恋愛小説のワンシーンみたいだけど、二人の間に漂っている雰囲気はそんな甘いものでは無かった。彼が真剣な顔で私に問いを投げかける。
「ねぇ、そんなに自分を押し殺して苦しくないの?」
「いきなりどうしたの?」
そう返すので精一杯だった。今まで誰にも、それこそ親兄弟にも見破られたことがなかったのに。
「楓さ、辛そうな顔を時々するんだよ。俺でよかったら力になるから話してくれないか」
「話すも何もなにもないよ。私はいつも通りだし、どこも辛くないよ」
「…………心の悲鳴が聞こえるんだよ。どうしようもなくボロボロで今にも壊れそうな心の悲鳴が」
「私はなんともないよ。でも心配かけたならごめんね」
そう言うと彼は寂しげな表情を浮かべて押し黙ってしまった。これでいいんだ。そう……、私はずっとこうやって生きてきたのだから。
「楓ってさ、人形みたいなんだよ。必死に自分を押し殺して、閉じ込めて何かから逃げる様に、守るように振舞っている。そんな姿を見るのはツライんだよ。悲しいんだよ。俺は……、俺は本当の楓を見たい」
その言葉は私の心に小さな波紋を広げた。本当の私……、そんなの当の昔に捨ててしまった。見せたくても見せられないんだよ。
「本当の私はもういないの。必要ないからと切り捨てて、だから……、だから」
そこまで言って気付いた。頬を流れる涙に。なんで泣いているの?悲しくなんてない、苦しくなんてない。なのに涙は止まらない。
「切り捨てたものは元には戻らない。でも、全部捨てたわけじゃない。何もかも無くなってなんかない。人形ではない本当の楓はまだいるんだよ。その涙は私に気付いてという心の中にいる楓からの合図なんだ」
「私からの合図……」
「そうだよ。辛い時、悲しい時、苦しい時、今までは一人だったんだよね。だけどこれからは俺がいる。一人では歩けない険しい道も二人なら乗り越えられる。だから、これから先へ進む一歩を踏み出そう」
その言葉にどれだけ救われたか。どれだけ嬉しかったか。二人で支え合いながら歩いて行こう。今度こそ自分を大事にして守って行こう。心に芽生えたハル君に対する愛と共に。
長い、長い回想から戻り顔を上げると先程と同じ様に花瓶に生けられている、スノードロップと黒薔薇が目に入った。スノードロップの花言葉『あなたの死を望みます』これは過去の過ちを犯した私に対して。自分を押し殺して人形になるしかなかった私自身に向けた花だ。黒薔薇の花言葉『死ぬまで憎みます』は拭い去れない母と姉に対しての思いだ。狂気に囚われ外道に落ちた母、そして優しくも無知で無自覚に私の心を傷つける姉に対して向けた花だ。この思いはいつまでも色褪せる事無く心に残り続けるだろう。まるで鎖の様に、呪いの様に心に絡みつき、染みついているのだから。彼に救われ、彼と支え合いながら歩いて行こうという気持ちと、母と姉に対する憎悪。相反する二つの思いは私の心を締め付ける。この痛みは無くなることはあるのだろうか?どうすれば消えるの?…………私を助けて、ハル君。
人形は未だに人形のまま。確かに救いはあった。だが、それは応急処置に過ぎない。時が経てばまた、元に戻る事だろう。彼女は人間になれるのか、はたまた人形のままなのか。どちらに転がるかは一人の男の行動次第だろう。人形よ踊れ踊れ、舞台の幕は上がっているのだから。
自分が誰かの代替品として生きているとしたら、私は誰なのでしょうか?
哲学的な表現になってしまいましたが、本話の本質は上記なのです。
本文の最後にも書きましたが、未だに彼女は人形のまま。なにをもって人間へと至るのか、どうやって相反する気持ちに折り合いを付けるのか。はたまた全てを無かった事にするという解決方法もあります。作者自身もどのような結末を迎えるのか、暗中模索の状態です。




