No144
三月。桜舞い散る季節となりました。そして今日俺は大学を卒業します。というわけで朝から準備をしているんだが、いつもとは違って気合を入れております。クリーニングに出したスーツをバシッと着こなし、前日に美容室でカットした髪を何度も鏡で確認しながらセット。くふっ、我ながら格好良いぜ!
悦に浸りながら朝食を摂る為に居間へと行くとそこには母さんと葵の姿が。
「おはよう」
「悠、おはよう」
「兄さん、おはようございます」
「あらあら、随分と気合が入っているわね」
「まあね。今日で最後だしビシッと決めたいからね」
「ふふふっ。我が息子ながら見惚れちゃうわ」
「サンキュ。そういえば母さんは卒業パーティーには来るんだよね?」
「ええ、参加するわ。ただ、仕事の関係で少し遅れると思うけど」
「了解」
「それじゃあ、ご飯を食べましょうか」
母さんの言葉の後三人揃って手を合わせて頂きます。
今日の朝食は味付け海苔、大根と豆腐の味噌汁、アジの開き、ほうれん草の胡麻和え、卵焼きという和風なラインアップとなっています。ご飯を食べながら暫し無言の時間が流れるが、ふと葵を見ると箸が進んでいないようだ。体調でも悪いんだろうか?
「葵。箸が進んでいないけど体調でも悪いの?」
「いえ、元気ですよ。ただ、兄さんがあまりにも格好良くて胸が一杯でご飯が入らないんです」
「うっ……、それは照れるな。でも俺のスーツ姿なんて何回か見ているだろ?」
「はい。ですが、昔とは違って今の兄さんは大人の男性って感じで魅力と色香が凄いんです」
「分かるわ。昔は可愛らしいくて初々しいという印象だったけど今は立派な一人の男性としての魅力があるわね。こんな姿を見たら結衣ちゃんや楓ちゃんも惚れ直すんじゃないかしら」
「そこまで違うかな?自分じゃ全然分からないや」
数年でそこまで印象って変わるものなんだろうか?俺の男の知り合いなんて真司しかいないから比較対象が少なくて信憑性には欠けるが、そこまで違うって事は無いと思うけど。……男性と女性で感じ方が違うって言えばそうなんだろうけどさ。
ふ~む、謎だ。
なんて事を考えつつ食事は終わり、諸々の必要な物を確認した後にいよいよ大学へ向けて出発。
やってきました、大学へ。構内で待ち合わせしていた結衣、楓、茜と合流したのち大講堂へGO。
卒業式は高校とは全然違って、まず参加者の人数がアホみたいに多い。もうねどこにこんなに居たんだ?ってくらい人が沢山。そして服装もスーツ、袴、ドレス、ワンピースと様々。しかも男性は俺しかいないというね。そんな女性過多の空間で、しかも記念すべき日という事で皆さん気合が入っているからヘアメイクを頑張っていたり香水を付けていたりするんですよ。となると多種多様な香りが密室に充満するからある意味地獄。ごちゃまぜになった香りはまさにカオスそのものであり、常人ならば数分居ただけで鼻がおかしくなり、十数分居れば頭がおかしくなるだろう。もちろん換気装置は稼働しているし、空気も滞留することなく動いてはいるんだけどそんなのは気休めにしかならない。香りの暴力と言う言葉がピッタリという状況だな。かく言う俺も満員電車などである程度は慣れていたし、耐性もついていたんだけど無理でした。ちょっと気分が悪くなってきた……。
「ハル君、顔色が悪いけど大丈夫?」
「だいじょばない……。結構キツイ」
「楓ちゃん。どこか休める場所ってあったっけ?」
「えっと……、確か休憩スペースがあったはずだから一旦そこに移動しよう」
「分かった。ハル君立てる?」
「んっ。なんとか」
「それじゃあ行こう」
四人で連れ立って一時離脱。これは逃げでは無く、戦略的撤退だから大丈夫とわけわからん事を考えつつその場を後にした。
休憩スペースで少し休むと大分体調が良くなってきた。はぁ~、空気が美味しい!
「いきなり体調を崩すなんてなにか思い当たる節はある?」
「大講堂のごった煮の香りで調子が悪くなっちゃって」
「ああ……。あれは確かにキツイよね」
「うん」
「そうだね」
「やっぱり女性でもキツイんだ」
「うん。化粧や整髪剤、香水の香りには慣れているけど流石にね。私達でも辛いんだから耐性があまりないハル君だったら調子を崩すのも仕方ないよ」
楓の言葉に結衣と茜も頷いている。これはどうにかしないと一度しかない卒業式に参加できなくなってしまう。最悪ティッシュペーパーを詰めて鼻栓をするという対処方法を取らざるを得なくなる。見た目はビシッと決めているのにティッシュを鼻に詰めている男。シュールを通り越してある意味スタイリッシュな感じかも。……いやまてよ。マスクをすれば隠せるし、多少は香り対策になるんじゃないか?
ちょっと聞いてみるか。
「あのさ、香り対策でティッシュで鼻栓してマスク付ければ見た目的にも問題無いし香りもかなり軽減されると思うんだけどどうかな?」
「現状だとそうするしかないかな。ティッシュは私持っているけどマスクは無いや。楓ちゃんと茜ちゃんは持ってる?」
「ごめん。私は持ってない」
「花粉対策に持ち歩いているからあるよ」
「おっ、マジか。茜、悪いんだけど一枚貰ってもいい?」
「うん。ちょっと待ってね」
「それじゃあ、私からはティッシュを上げるね。はいどうぞ」
「結衣、ありがとな」
「どういたしまして」
ふう。一時はどうなる事かと思ったけどなんとかなってよかった。
これで乗り切れる……はず。
結論から言うと俺はやったぜ!長時間に渡る式典を乗り越えたんだ。そして外に出た時の解放感と空気の美味さと言ったら言葉にできない程。まさに生を実感できるとはこのことかと感じた次第で。
まあそれはさておき。卒業式も終わったしこのまま帰ってもいいんだけど最後の見納めとしてブラッと構内を散策する事にした。
いつもお昼を食べているお気に入りスポット、普段授業を受けている教室、食堂、普段は行かない部活棟や体育館、交流センターなんかを一頻り見た後卒業パーティーの時間も迫ってきたので帰る事に。
大学主催の謝恩会もあるが、最悪な事にプライベートでの卒業パーティーと被っている為そちらは辞退する事にした。本当は謝恩会には出た方が良いし、教授や友人からもお誘いを受けていたんだけど同時に二つ出る事は不可能なので泣く泣く事態となった訳だ。当然事前にお世話になった教授や理事長に挨拶はしたがな。一学生が理事長と接点なんか無いだろうと言う方もいると思うが、今回は先方からお声がけを頂いたのだ。卒業に当たって少しお話したいという事でその時にね。
そんな感じでしっかり筋は通しているので無問題。
んで、プライベートの方のパーティーだが、これについては友人知人、お世話になっている方々が集まってホテルで開催される。一応ドレスコードもあるがそこまで厳しい物ではなく『カジュアルな服装でお越しください』と伝えている。どんな格好で来るのか楽しみだし、久々に会う人も多いのでそう言った点でも楽しみだぜ。
司会進行役が挨拶をして、何人かがお祝いの言葉を述べた後いよいよ開催です。
ビュッフェ形式で様々な料理が並び、お酒も多種多様な銘柄が揃えられている。時刻は夕方過ぎでお腹も減った事だしご飯を食べたいがそれよりも大事な事がある。
「おぉ。みんなのドレス姿初めて見たけど綺麗だね。真白さんの振袖も綺麗だよ」
「ありがとう」
「久し振りに着たけどサイズは変わってなくて良かったわ」
「ありがとうございます。今日はとっておきの一着で来たので嬉しいです」
柚子と莉子さんのドレス姿は派手過ぎず、かと言って控えめと言わけでも無い絶妙な塩梅でマジで綺麗。柚子は肌の露出が少ないにも関わらず大人の色気がムンムンだし、莉子さんはいつものロリっぽさが消えて美人の大人感が漂っている。真白さんは一目見ただけで素晴らしいと絶賛できる振袖を着ていて『光彩奪目』、『羞花閉月』という言葉がピッタリだ。
「あのさ、お願いがあるんだけど写真を撮ってもいい?」
「いいよ」
「問題無いわよ」
「構いませんよ」
「ありがとう」
三人から許可が下りたのでスマホのカメラで写真を撮りまくる。もう四方八方、様々なアングルでカシャカシャと撮影です。彼女達の姿は記憶に永久保存するのは当然として、データとしても残しておきたい。それほどに可憐で美しいのだから。
暫し撮影に熱中していたが一通り欲しい映像は撮れたので終了。
「ふうっ。満足です」
「それはなにより。次は来ている皆さんに挨拶しに行った方がいいわよ」
「ですね。それじゃあ、少し外しますね」
「「いってらっしゃい」」
「いってらっしゃいませ」
彼女と別れて挨拶回りをしているが、如何せん参加者が多い為無茶苦茶大変。一人ひとりとは少し言葉を交わすだけなんだけど人数が多いと時間もかかるわけでさ。気付けば挨拶回りだけで一時間が経過していた。マジわけわかめ。そして喉がカラカラで何か飲みたいし、お腹も減った……。
「お疲れ様です。よかったらどうぞ」
「おっ、優ちゃん。ありがとう」
優ちゃんから飲み物を貰いグビグビと一気飲み。ぷはぁ~、染みわたる~。
「ふぅ、人心地ついた。改めてありがとね」
「いえ、全然大丈夫です」
「ふむ。優ちゃんの着ているワンピース可愛いね」
「ありがとうございます。実は今日の為に買ったんです。悠さんに褒められて凄く嬉しいです」
ぐはっ……。満面の笑みでそんなこと言われたらヤバイ。超可愛いし、最高。
「本当はもう少し胸があると見栄えも良くなるんですけど……パットでも入れた方がよかったかな?」
「それは駄目だよ。そんな偽乳に価値なんて無いし、優ちゃんは今のままがベストなんだから下手に手を加える必要は無いよ」
「そうですか?でもぺったんこだとなんか恥ずかしくて」
「いやいや、寧ろぺったんこだからこそいいんだよ。それに男の娘なんだから胸が無くて当然。気にする必要は無いよ」
「悠さんがそういうなら大丈夫ですね。それに僕が見てもらいたいのは悠さんだけだし」
最後の方は小声で聞こえなかったがなんとか丸く収まったか。パッドなんて悪魔の産物だからな。あれは男を惑わし、騙し、希望と期待を粉々に打ち砕く最低最悪の物。パッド許すまじ!
「あっ、そうだ。あっちで皆さんが食事をしているので行きませんか?」
「そうだね。丁度お腹も減っていたし行こうか」
「はい」
こうして楽しい卒業パーティーは進んで行く。この四年間で色々な人と出会い、別れ、そして沢山の事を経験した。なかには悲しい出来事もあったし、涙で枕を濡らす日もあった。新しい彼女が出来たり、初の海外旅行に行ったり、俺の正体について打ち明けたりと振り返ってみても密度の濃い日々を過ごしていたと思う。そしてこれからは社会に出て一人の大人として生きて行く事になる。今までとは比べ物にならない困難や苦難が訪れるだろう。そしてそれ以上に楽しい事や幸せな事があるだろう。
先は見えず、自身の力で切り開いていくしかない。
だが、俺は一人じゃない。支えてくれる仲間がいるし、彼女がいる。
さあ、まだ見ぬ未来へ向けて歩いて行こうじゃないか!
これにて大学編は終了となります。
次回から社会人編がスタートです。




