No135
真実を打ち明けてから数ヶ月経ったが、表面上はいつも通りの日常を送っている。事実を自分の中で消化して納得するまでの時間というのは各々違うので、早くに受け入れられる人もいれば時間がかかる人も居る。彼女達は割と早い段階で受け入れてくれて、店長とアリスさんは少し時間がかかった印象かな。それでも今までと変わらない態度で接してくれて、俺を甲野悠として認めてくれている。葵に関しては薄々感づいていたのだろう、誰よりも早く認めてくれたと思う。ただ、母さんだけはまだ時間がかかりそうだ。……実の息子が別人だったなんてとんだ悪夢だと思うし、自身で消化するのも難しいだろう。
俺が異世界人だと言った時母さんは『家族だし愛する息子であることは変わらない』と言ってくれた。とても嬉しかったし確かに救われたんだ。大切な家族であり、俺を育ててくれた母親を悲しませ苦悩させる。とんだ親不孝者だよな。覚悟はしていたし、どんな罰でも受ける気持ちでいた。でも苦しむ母親の姿は心を軋ませ、押し潰す。誰かに俺の気持ちを吐露するなんて事は出来ない。母さんは俺よりも苦悩し、心をすり減らしているのだから。母さんとの関係はずっとこのままなのかな?と思っていたある日話があるとの事で居間に家族全員が集合となった。
「…………まずは謝罪させて。悠。今までよそよそしい態度を取ってごめんなさい。それと葵にも迷惑を掛けてごめんなさい」
「…………」
「お母さん、私は気にしていませんよ」
「ありがとう」
母さんの謝罪に俺は何も答える事が出来ない。謝る事じゃないよ、気にしてないよ等口が裂けても言えない。なぜなら俺が原因なのだから。
「悠が実は別人だと知った時は驚いたわ。最初は作り話だと思いたかった。そんな訳ない、私の息子じゃないなんて嘘って何度も思ったわ。でも話を聞くうちに本当の話であり嘘偽りは無い事が分かった。でも到底受け入れられる話じゃない。私は貴方の恋人や知人とは立場が違うから。この数ヶ月ずっと考えて、考えてそれでもハッキリとした答えは出なくて……。それでね、悠に少し聞きたい事があるの」
「なんでも聞いて」
「あなたは私たち家族の事をどう思っているの?」
「大切な家族だと思うし、かけがえのない存在だよ」
「そう……。元の世界にも家族が居るのでしょう?会いたいとは思わないの?」
「思うよ。何も知らないまま消えた俺の事を心配しているだろうし、悲しんでいると思う。会って謝りたいし、何があったかを伝えたい」
「でもあなたは元の世界に帰る事を望んでいない。それは矛盾しているのでは?」
「そうだね……。でも元の世界に帰る方法はあるけど、またこちらに戻って来る方法は無いんだよ。つまり一方通行って事でまたこっちに来たくてもそれは絶対に叶わないんだ」
「その通りね。でも数年しか過ごしてない世界と長い年月を過ごした世界では思い入れも、大切な人の数も違うでしょう?言葉は悪いけどこちらで出会った人達なんて切り捨てて忘れる事も難しくないはず」
「それは違うよ。……俺にとって向こうで過ごした年月や出会った人たちより、この世界に来て出会った人たちの方が大切なんだ。家族・恋人・親友。たった数年だけど何よりも大切で守りたい物なんだ。だから俺は元の世界に戻る事はしない!」
「…………そう。それがあなたの本心なのね」
「ああ」
「分かったわ。ようやく私も決心がついた。例え今までの悠とは違うとしてもあなたは家族だし愛する息子であることは変わらない。もし躓いたり、苦難に見舞われた時は家族として、母として力になるわ。大切で愛しい悠の為に」
「母さん……」
母さんが俺を甲野悠として認めてくれた。受け入れてくれた。胸に押し寄せるのは安堵と歓喜。今ここに本当の意味で家族になれたのだろうと思う。
何かを手放さなければ本当に大切な物を守る事は出来ない。もし俺が今を切り捨てたなら元の世界に帰還した際後悔するだろう。そしてそれは二度と手に入れる事は不可能で、泡沫の夢のようなものとして心に残り続ける。果たしてそれは幸福と言えるのだろうか?人生とは一度道を決めてしまえば後戻りする事は出来ない。
たらればは存在しないのだから。
なればこそ物事の本質を見誤るな、何があろうと後悔しない道を選べ。
果たして俺が選んだ道は正しかったのか?最後に笑って終えられる道を選べたのだろうか?
その問いの答えは人生の最後に分かるだろう。
話し合いが終わり自室に戻り暫く経った頃ノックの音が響いてきた。
「どうぞ」
「失礼します」
訪れた葵にクッションを差し出した後何の用事で来たのか聞いてみる。
「こんな時間にどうしたの?」
「少し兄さんと話したい事がありまして。ご迷惑でしたら明日でも構いませんが」
「いや大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
話か……。なんとなく話の内容は分かる。このタイミング、そして兄妹だからこそ分かる第六感的な感覚が告げているのだ。今この時を持って二人の関係は大きく変わるだろうと。
「まずはお母さんが兄さんを受け入れてくれてよかったです。最悪の場合は私と兄さんの二人で家を出る覚悟もしていたので本当によかった」
「だね。といっても多少はぎこちない感じが続くと思うけど、次第に前と同じになっていくと思うから葵も心配しなくてもいいからね」
「はい」
短い会話の後沈黙が訪れる。俺の方からは特にこれといった話題も無いしどうしたもんか。
「そういえばこうして兄さんの部屋で二人で話すのは随分と久し振りですね」
「そうだな。高校の時なんかは一緒に勉強したり、他愛無い話で盛り上がったりしてたけど最近はめっきりだったな。同じ家に住んでいるのにね」
「お互い忙しかったのもありますけど、近いのに遠い……すぐに会えるのに距離が離れている。今の状態はそんな感じですよね」
「うん。ずっと変わらないなんて無理だし、どんなに仲が良くても関係は時間と共に変わっていく。寂しいけど誰もが通る道でありそれは俺達も変わらない」
「…………それでも私は兄さんとずっと一緒に居たいです」
「気持ちは嬉しいけど俺もいずれは家を出るし、将来は結婚もするだろう。葵だって大学を卒業すれば家を出るわけだしずっと一緒というのは現実的じゃないよ」
そう、現実的じゃないのだ。兄妹という関係である以上いずれはお互いの道に進み別れる事になる。それこそ恋人、そして伴侶とならない限り生涯を伴に生きるという事は出来ないのだ。
「そんな事分かっています。……これから言う事に吃驚するかもしれませんが、何も言わずに最後まで聞いて下さい」
「分かった」
「私は兄さんが大好きです。愛しています。私を生涯の伴侶にして下さい」
「……それは兄妹として、家族としての好き・愛しているでは無いんだよな?」
「はい。異性として、一人の男性として愛しています」
「そっか。少し現実的な話をするけど、もし結婚したいとなったら母さんはどう思う?周りの人達からは白い目で見られるだろうし、社会的な制約も沢山出てくる。友達との関係も悪くなるだろうし、仮に子供が出来たら遺伝的欠陥や、先天性の病気や障害を抱えて産まれてくる可能性が高い。そうなれば俺達の生活を圧迫し、何十年も辛く苦しい状態が続く事になる。それはお互いの人生を不幸にするだけじゃないのか?葵の気持ちは嬉しいけどそれは胸に留めておくべきじゃないのかな」
「そういったリスクは理解しています。お母さんを悲しませる事になっても私は自分の気持ちを押し通したいです。また社会的な制約や友達との関係も全て受け入れる覚悟は出来ています。子供に関してはリスクは高まるのは事実ですが、現代医学で出来る可能な限りのリスク低減措置を取れば非血縁者との子供と同様かそれ以下に抑える事が可能です。ただし一世代に限りとなりますが。なのでその点についても問題はありません。……私はあらゆる困難も辛苦も受け入れる覚悟です」
そうか……。そこまで考えていたんだな。葵なりに色々調べて悩み、苦しみ抜いた末に出した結論。大切な妹だとずっと思っていた。可愛くて器量も良く、頭も良い。将来は良い男性と巡り合い結婚するんだろうなと漠然とした思いを抱いていたし、いつかは兄離れする事になる。それは寂しいが必然であり当然。その時が来たら笑って送り出そうと思っていたのに。そうやって自分の心を騙して本当の気持ちを覆い隠していたのに。なのに……彼女は好きと、愛していると言ってくれた。
これ以上自分を誤魔化すのは止めにしよう。そう、いつかの葵の涙を流す寝顔を見て心に決めたじゃないか。恐れるな、自分の心に素直になって言葉を紡げばいい。
「葵。何があろうと俺は生涯葵を守り通し愛し抜くと誓う。だから俺と一生一緒にいてくれないか?」
「はい。……はい。私も貴方を生涯愛すると誓います」
彼女が涙を流しながらそう答える。
窓の外から見える舞い踊る雪は俺達を祝福しているようで、月明りはこの先の進むべき道を照らしているようで。こうして俺達兄妹の関係は恋人、そして生涯を伴にする伴侶へと変わった。




