No134(注意)
本話は甲野葵の過去編となります。
一:倫理道徳に反する表現があります。
二:世間一般で禁忌とされている話題を取り扱っています。
三:人によっては著しい不快感、嫌悪感を覚える内容となっています。
読んでみて無理だと思った場合は読み飛ばして下さい。
Aoi's background
兄さんから衝撃の事実を告白された日の夜私は自室で話の内容を反芻していた。
普通であれば突拍子も無い内容だし、妄言や妄想の類だろうと一蹴して終わりだろう。でも今回参加した面々は理解し納得した上で兄さんの事を好きだ、愛している、今までと変わらない関係だよと言ってくれた。妹としてホッとしたし、嬉しく思う。だけどそれは本当の意味で理解したと言えるのだろうか?納得したと言えるのだろうか?この先待ち受けるだろう数々の問題について考えが及んでいるのだろうか?もし上辺だけの理解や納得であったとしたら私は許せないだろう。それは兄さんを傷つける事に他ならないのだから。
心がようやく真実を知れた喜びと、恐れていた事態が現実になった恐怖でごちゃ混ぜになってしまう。どうして……、どうして私は……。
男性が少ないこの世界で産まれ落ちた時に兄が居たのはまさに奇跡と言えるだろう。私と兄さんの年齢差は一歳。所謂年子というやつですね。なので産まれてからずっと一緒に育てられました。お母さんにとってはかなり大変だったと思いますが、私としては感謝してもしきれません。だって男の子が常に傍に居るんですよ。感謝するのは当然です。いつも一緒に居た私達ですが、兄さんが私の傍を離れると寂しいのか大泣きしたそうです。いくらあやしても泣き続けて、手に負えなかったそうですが兄さんが近くに来るとピタッと泣き止んだそうでその頃から私は兄さんが大好きだったんですね。兄妹の関係は幼少期という事もあって良好でどこに行くにも二人で居たそうです。でもそれは幼稚園に入園するまでですが……。幼稚園に行く年齢になると兄さんは自宅学習となり私一人で通うようになりました。今でも思い出せますが、あの時は手が付けられない程駄々を捏ねて大迷惑を掛けてしまいました。しかも一時のものでは無く数日に渡って泣き叫ぶわ、物に当たるわとまさに悪鬼羅刹が如き振る舞いをしましたが、所詮は子供の我儘。一度決まった事を覆せるわけも無く離れ離れの生活がスタート。今にして思えば分別のつかない子供の群れに男子を放り込めばどうなるかなど容易に想像がつくのですが、まだ幼かった私にはそこまで考えが及ばなかったのですね。家に帰れば大好きな兄さんが待っているというたった一つの事実を胸に毎日を過ごしていたのを覚えています。
そして小学校に上がっても自宅学習は変わらず。この時は一緒に学校に通えないと知っても駄々を捏ねるような真似はしませんでした。子供ながらに諦念していたんですね。ある意味で早熟だった私は小学校低学年までは楽しく過ごせていました。が、高学年になると様相は一変します。成長期を迎えて身体も心も女性になっていく時期。この頃になると本格的に兄さんに対する女の子からのアプローチが激化します。『お兄ちゃんを紹介して』、『今度家に遊びに行っても良い?』、『学校に連れてきて』、『ラブレターを渡して』、『デートしたいから約束を取り付けて』等々枚挙に暇がありません。最初は兄さんの負担にならず可能な物のみ実行していましたが、すぐに後悔する事になりました。あの手この手で篭絡しようとする女の子達ですが、中には強引な手を使う輩もいたんです。その日家に遊びに来た事私も交えて遊んでいたのですが、トイレに立って部屋に戻ると泣いている兄さんの姿が。すぐに女の子を問い詰めると強引にキスを迫ったとの事。その事実を知った際目の前が真っ暗になり何も考えられなくなりましたが、すすり泣く声にはっと我に返りその子には帰ってもらいました。ですがやった事は性犯罪。子供だからと許されるはずも無く親御さんや警察、学校関係者も含めて話し合った結果その女の子は家族諸共遠い位置に引っ越して行きました。それでめでたしめでたしとはならず心に深い傷を負った兄さんは、軽度の女性恐怖症を発症。一年ほどの療養を取る事になりましたが、この時ほど自分を憎み、恨んだことはありません。もし私が軽率な行動をしていなければこんな事にはならなかったのに、もっと危機感と警戒心を持って行動していれば未然に防げたのにと悔恨の念にかられたのは言うまでもないでしょう。自責の念に駆られた一年という月日でしたが、同時に私の中である想いの変化もありました。その気持ちは気付いてはいけないものであり、今でも私を苦しめている感情。
親兄弟というのはもっとも近しい異性であり、もっとも長い時間を共に過ごす存在。産まれた時から共に生活し相手の事を誰よりも知っている存在。特にこの世界では父親や兄、弟は何よりも誰よりも尊く大切な人。その事を前提として考えるとある事に気付くと思う。
親兄弟に対する想いとはどんなものがあるだろうか?親愛・情愛・家族愛・慈愛・敬愛等々様々な言葉が思い浮かぶが恋愛・異性愛といった言葉は一切出てこない。なぜか?と問いかければ家族だから、異性として見れないから、兄弟姉妹だからと、禁忌だからといったありふれた回答が返ってくることでしょう。ではなぜそのような感情を持つのか?なぜ禁忌なのか?というと一般的には近親交配の場合両親が同じ劣性遺伝子を持つ可能性が高いため、その劣性遺伝子が子に伝わって発現する可能性が高まる。よって本能的に避けていると言える。では近親間で恋愛感情を持つ事は異常なのか?といえばNOだと思う。前述したように長い時間を共に過ごしている異性なのだから興味を持ち、恋愛対象になる可能性は否めない。が、そこで一般的には本能や慣習、常識、風習、法律、世間体等が邪魔をして想いは立ち消え一時の気の迷いと切り捨て前に進んでしまう。
…………それまでの兄として好きという気持ち。それが小学生の頃の事件を切っ掛けに兄弟愛から異性愛へと変わった。この想いが間違っているとは思わない。でも家族、友人、世間からは異質な存在として見られ、距離を置かれるのは必然。いくら男性が少ない世界とは言え、近親相姦や近親婚は忌避されるし非常に生きづらくなるでしょう。でも公にされていないだけで多くの人が近親姦・近親相姦をしていると思う。だって身近に魅力的な男性がいるのですよ?抗えない衝動に負けて身に宿る情欲をぶつけるのはある意味自然な事でしょう。かく言う私だって兄さんを求めて眠れない夜を過ごした事は数え切れないほどあります。それでもまだ耐えられていたんです。そう……あの日から全てが変わってしまった。
兄さんが高校に入学する日まであと少しという時でした。朝顔を合わせた時になんとなく違和感を感じたのです。どこ……とは明確には言えませんがなにかが違う。喉に魚の小骨が刺さったような違和感と言えばいいのでしょうか?最初は気のせいだと思い過ごしていましたが、次第にそれは顕著になりハッキリとした違和感へと変わりました。女性に対して過去のトラウマもあり及び腰な兄さんが積極的に女性と話し、あまつさえ一緒に遊ぶという信じられない行動をしているのです。もちろん我が目を疑いました。本当は別人なんじゃないか?危ないクスリでも服用しているのではないか?あらゆる可能性を考えましたがどれもピンときません。それに私に対する態度も大きく変わりました。今まではどこか距離を置いていて、話をしてもすぐに切り上げていたのに兄さんから積極的に話しかけてきて、家でも沢山スキンシップをしてくれるようになったんです。嬉しい反面どこか背筋が冷える感覚もありました。だって今までとあまりに違い過ぎるから。素直にどうしたの?と聞く勇気も無くただただ優しく甘い日常に浸かる毎日。
それは私の恋心を際限なく膨らませ、どこまでもどこまでも肥大してゆく。
自分自身でもこれ以上は取り返しがつかない、分水嶺はここだ!と強く警鐘を鳴らします。それでも愛情を持って接してくれる兄さんの魅力には抗えなかった……。
嬉しかった、楽しかった、幸せだった。そんな毎日を心の中に線を引いてそれ以上進まないようにするのは無理だったんです。そうして覚悟を決めて一線を越えてしまえば途端に楽になりました。もう我慢する事も無いし自分を誤魔化す事もしなくていい、想うがままに突き進むことが出来るんだから。
それからは私からも今まで以上に兄さんにべったりになり、一般的な兄妹で許される接触を越えてスキンシップや言葉を重ねて行きました。募る想いは留まる事を知らない中、恐れていた事態が発生しました。
そう、彼女が出来たのです。相手は私も良く知っている人。仮に見ず知らずの他人であれば断固として拒否し諫めたでしょう。ですが、相手が結衣さん、楓さん、柚子さん、莉子さん、真白さんなら兄さんを任せられる、そして幸せにしてくれる。そう思うと同時に自分でも驚くくらいの憎悪と嫉妬が心の中を暗く、昏く、闇に染めていく。私だけを見て欲しい、私だけを愛して欲しい、他の誰にも兄さんを取られたくない。なんと醜く、自己中心的な考えなんでしょうか。自己嫌悪に陥ると同時に当然だという二律背反する思いも湧き上がってきます。どうしようもないくらい心がぐちゃぐちゃになり、誰かに吐露したい。でも誰に相談するの?母親?友達?…………誰にも言えるわけがない。
形だけでも納得し、自身の中で整理をつけられるようになったのは大分時間が経ってからでした。
『恋愛は自由だ』という言葉がありますが、本当にそうでしょうか?
誰かに恋焦がれ、一喜一憂しその結果実る恋もあれば散ってゆく恋もあるでしょう。そう、相手が血の繋がらない他人であれば。もし血の繋がった肉親を好きになった場合は成就する事は基本的にありません。最初から報われない恋なのです。悲恋という言葉も生易しい、茨で雁字搦めにされて血を流しながらする恋。それは美しくも無く、輝きも無く、色褪せ誰もが目を背け唾を吐きかける様な醜いもの。
それでも『恋愛は自由だ』と言えるでしょうか?私はそうは思いません。もし兄さんと兄妹じゃなければなんて考えた事は一度や二度ではないです。もし違った形で出会っていれば幸せな恋愛をして、結婚をし沢山の子供に恵まれて生涯を終える事が出来たかもしれない。…………どんなに考えてもifであって現実には決して起こらない事。それでも夢想してしまう。
結局の所どこまでいっても私は兄さんが好きで、愛していて生涯を伴にしたいという事なのだろう。例え親から、他人から、世間から何と言われようとこの想いは変わることは無い。
その想いを裏付けるように肉親の結婚については両親は不可能だけど兄弟姉妹であれば条件次第で可能なのです。厳しい審査や親の承認、第三者の認可に当人同士の意思確認、もし子供を作る場合のリスク&現代医学でどこまでリスク回避可能か、また不可能かの説明、結婚後も規定されている法律で様々な制約が課される等々多岐に渡る条件付きとなりますが。その為私が調べた限りでは血縁者で結婚した例は片手で数える位しかありませんでした。それでも前例があるというのは希望であり、光だったのです。
私には覚悟も決意もある。ただ……兄さんはどうだろうか?という不安が常に付き纏っていました。昔の関係であれば決して報われない。でも、今は身体は甲野悠の物で精神は別人なのです。付き合える可能性は十二分にあるでしょう。といっても元の世界の倫理観がどういったものかは分からないのでそこが不安ですが……。それでもこれ以上気持ちを胸に仕舞っておくことは出来ない。
例えどの様な結果になろうとも私の気持ちを打ち明ける。
兄さん。私は一人の女として貴方を愛しています。
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これはなんとも難しい問題だね。フィクションであればありふれた題材でありなんとも思わないだろう。だけどそれが現実になったとしたらどうだろうか?問題は山積みだし、そもそも法律で認められていないという国だったり、倫理観が邪魔をしたり、一時の淡い恋で終わらせたり。『好きになった相手が肉親だった』というただそれだけの理由で諦めてしまう。人類史を振り返ってみると過去には近親間の結婚など当たり前にあったし、普通だったのにいつの間にか禁忌とされ忌避されるようになった。そうなった理由は様々だろう。医学の発展然り、社会の成熟然り、常識の変化然り。常に同一であり続ける事は不可能であり、変化は必然。その過程で大切な物が失われようとも……。
果たして彼女の恋は実るのか?それはすぐに分かるだろう。実ろうとも、散ろうともどちらにせよ二人の関係は兄妹から大きく変わるだろう。良い方向に行くのか、悪い方向に行くのかは当人たち次第。
私はただ行く末を見守るのみ。
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