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(3)中種子-5

 宿に行く前に、もう一度あの海岸に向かった。この島で見る二度目の夕焼けだった。空の一面に、鱗雲が広がっていた。その雲を、南西から夕日が照らしていた。輝く橙色と暗めの紫色に塗り分けられた空の下、まだ波を待って、それに乗ろうとする人がいた。海面は夕焼け色に染まり、波は絶えず打ち寄せていた。夕日の光からは遮られているその海岸は、薄闇に満たされていた。


 あの瞬間だ。彼女もこんな空の下で、海の向こうを見つめたのだろう。二度目だろうが関係なく、感動は静かに、だがとても深いところまで届いていた。


 ホテルという名前にはまるで似つかわしくない宿は、まあ予想通りというか、離島という場所に対して抱いていたイメージの通りに、古めかしかった。西之表の宿のビジネスホテル然とした宿の方が、特殊だったのだろう。ある意味では安心した。


 中の雰囲気は少し陰気に感じられて、まあ田舎の宿というのはこんなものだろうなと、納得することにした。


 二階の洋室に入った。あまり広くはない。ベッドと、タンスと、エアコンと、棚と、机と椅子が置かれているだけだった。もうほとんど日は落ちきって、窓の外を見ても、明かりは信号くらいしかなく、あたりは真っ暗になりつつあった。


 一日が終わろうとしている(まだ少し気は早いけれど)ということが、いくらか僕の胸に感慨をもたらした。ベッドに体を放り投げ、この日一日のことを思い返した。目を閉じると意識が眠りの中に沈みかけ、心地よいまどろみの中で、何度も、心に残った感動の残響から、僕が感じてきたことを、まさに物語が現実と溶けあったあの感覚を再現しようとした。あまりうまくはいかなかったけれど、余韻に触れられはした。


 ぼんやりとした意識がまどろみの底に届く前にどうにか目を開けると、もう夕食の時間だった。畳敷きの大広間の中の割り当てられた席で、相変わらず(別に不満というわけではない)地元の、島の食材がテーブルにめいっぱい、山盛りになった。


 壁で隔てられたもう一つの広間では、何やら団体客が来ているらしく、にぎやかだった。それとは全く対照的に(意識したわけではないけれど)、僕は黙って食事を進めた。これともう一食、明日の朝食もついて、宿泊代は都会の素泊まりよりも安いくらいなのだから、改めて驚くほかなかった。虚飾など必要ないこの島では、そういうことが当たり前なのかもしれなかった。


 雰囲気で頼んでしまった苦みのない焼酎でまた酔っ払って、部屋に戻った。しばらく、知っているとは全くチャンネルの構成が違うテレビをつけて、ベッドでぼんやりとしていたけれど、このまま一日を終らせるのはあまりにももったいないと思って(これが人生最後の夜になるはずなのだから!)、とりあえず風呂に入ることにした。最後の禊ぎだなと思うといくらか感慨もあったけれど、僕は『その』瞬間までそういうそぶりは表に出さずに生きていようと決めていたから(だから、使うはずもないのに高速船の切符を往復で買った)、どうしようもない酔いの他にはできるだけ感情の重しは取り除いて、浴場に向かった。


 大浴場と書かれていたけれどそれほど大きくはなく、壁に無理矢理石積みをあしらったような妙な雰囲気のところだったけれど、西之表でのユニットバスよりは遥かに、何というか、島の宿として好ましく思えた。そういう、野暮ったいというか、どこかで虚勢を張ろうとしているような感じというか、でもそこには結局飾り気のなさ、素朴さが透けて見えているような気がする。浴場まで暗い渡り廊下を歩いていく必要があるというのも、そういう印象を強くした。

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