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(3)中種子-3

 レジにコーヒー牛乳を持って行ったときに、店の人と少し話した。僕のような目的でここを訪れる客と接するのも、珍しくないらしい。いくつか、映画の場面に出てくる場所への行き方も教えてもらった。なんの余計なものもない時間がそこにあった。


 店を出て、外のベンチを見た。用もないのに座るというのはしなかったけれど(さすがに気恥ずかしかった)、そこにあの二人と二台のスーパーカブの影が、残っている気がした。


 車に乗り、コーヒー牛乳に口を付けて、店の脇の道から東に向かった。農道や林の間を通る道を走り(途中、南に開けたところを見つけて、車を停めた。そこからは中種子町が一望でき、巨大な風車も見えた。きっと夜になればライトアップされるのだろう。しかしそれ以上に、明かりなんて何もないこの場所は、きっと真っ暗か、体感したことのない星明りというものに照らされるのだろうと思うと、またしても強く胸が騒いだ)、頼りない案内表示に従ってさらに進むと、目の前に海岸が広がった。


 一面の砂浜が視界の奥まで続き、ごく緩やかな入江になっている。向こうには崖が見える。紺碧の海に、白んだ三日月のような形の波が繰り返し打ち寄せ、砂浜を濡らしていた。濡れて陽光を反射する砂と乾いた砂が、くっきりとしたコントラストを形作っていた。


 僕は古くさい公衆トイレ(建物らしいものは、そのあたりにはそれしかない)の前の駐車場らしきところに車を停めた。何台か先客がいて、それは僕とは全く違う目的でそこを訪れているのは明らかだった。サーフィンだ。


 波の間や海岸に、何人かの人の姿が見える。浮かんでいたり、波に乗ったり乗ろうとしたり、歩いていたり。経験がないし何も知らないから事情は分からない。この海岸がどういう位置づけなのかとか、良い場所なのかそうでもないのかとかは、全く。しかし、スポットとしてはそれなりに人気なのかもしれない。こんな時期にも人がいるというのは、そういうことを示しているような気がした。


 なんの用意もしていないし、海に入る気はない。ついでに言えばそういう死に方は御免被る。ここに来た目的は、まあもはや言うまでもないと思うのでくだくだしくは述べない。一面に広がる砂浜と青空と海(太陽の光を反射してきらきらと輝いている)の美しさについてはどれだけ力を込めて表したり言葉を尽くしても足りないけれど、いつまでも続けるのはやめておく。


 沖合から波を運んできた風が吹き寄せてきて、草を揺らし、僕を撫でて去っていった。僕が車を止めたのは海岸から少し高くなっているところは、少しだけ草の生えた野原になっている。海岸には、ささやかな崖のような斜面から降りられる。海岸に沿って踏み固められているのか、草の生えていない道ができていた。その一番手前、駐車場からつながっているところに茂みがあって、僕はいくらか不純な妄想を交えながらそこをしばらく見ていた。


 波の音がリズムを持って、そして絶え間なく聞こえる。僕はまた海の方を見た。空の雲の形が、めまぐるしく変わっていた。時々太陽の光を遮りながら、水平線の向こうに流れ去っていく。それに伴って、海の色も変わっていた。空の色も同じように。


 水平線は突堤と海岸線に遮られていた。突堤では釣り竿を垂れている人がいる。海岸線に沿ってずっと目を向けていくと、遙か彼方の海岸線が途切れるところに、アンテナのような人工物が何本か立っているのが見える。四角い建物も。島の遙か南にある建物。


 そうか、ここからも見えるのかという驚きがあった。そして、そういえばそうだったと思い直す。僕は知っていた。正確に言えば、どう描かれていたのかを知っていた。それは遙か彼方にあるように見えたし、思っていた。だが、カーナビによればもう車で一時間もかからずに行けるところまで、僕は来ていた。


 とうとうここまで来たのかと、海岸と水平線を見つめながら、思った。海には、僕のところからは点にしか見えない人影が浮かんでいる。波を待っている。波が来る。波の上に立つ、あるいはそこから転げる。今が十月の半ばではないのが残念でならない。しかし確かにここにいたのだという思いは、自分でも馬鹿なんじゃないかと感じてしまうほど、確固たるものとなっていた。


 息づかいが聞こえる、感じ取れる気がした。物語が確かにここにあり、そして僕自身がそこにこうして立っている。見ている、聞いている、感じている。それがどれほど僕の心を高揚させたか、筆舌に尽くしがたい。涙が出そうだった。実際、あと少しだっただろう。そのとき、あとほんの少しでも心が揺さぶられれば、心の器から感情がこぼれ落ちたに違いなかった。


 雲の増えてきた空の下で打ち寄せる波を背に、僕は海岸を後にした。もうだいたいの旅の目的は果たされていた。しかしまだ、最期の瞬間までの時間は残っていた。今日もそうだし、明日もある。終わらせるのはそれからでいい。

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