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(3)中種子-2

 西之表市の半分ほどの人口の街、いや、町。たぶんこの島を訪れる多くの人にとっては、中間地点というか、通り過ぎることになる場所だろう。僕のカーナビ上もそうだった。しかし僕の場合は、こここそが、一番の目的地だった。正確に言えば、目的地が集まっている場所だった。今日の宿も、役場からほんの少し南に行ったところにあって、そこを選んだのにも理由がある。


 野間というところのあたりで広い駐車場のあるドラッグストアを見つけて、そこに車を一度停めた。カーナビをいじって、目的地を、ある高校に変えた。データが古いせいで、古い名前のままだった。そこはまさにあの映画の舞台として登場した場所で(ただし高校の統廃合で映画に出てきたときとは名前が変わっている)、そこからもう目と鼻の先のところにいるということを知って、胸がどきどきし始めた。


 僕はまた出発した。そしてその高校の前を、ゆっくりと通り過ぎた。そのときには、僕はもう興奮の極致にあった。まさに映画の通りだったからだ。広い校門の先で日の丸の旗がたなびき、その向こう側に三階建ての校舎と体育館らしい建物がある。通り過ぎてきた道路側には駐輪場があり、スーパーカブがたくさん停められていた。


 休日に、ただある高校の前を車で通り過ぎただけで、僕はあの海岸線が与えてくれたのとはまた別の種類の感動に浸りきっていた。ただ見ただけだ。学校という場所で、それ以上のことができるわけがなかった。だから、僕はただ見ていた。他にどうしようもなかったし、そもそも、それだけで十分だった。


 高校の前を通り過ぎて、細い道を進み、建物がほとんどない農道のようなかなり起伏のある道を、思っていたよりも長い距離走って、次の目的地についた。ここでは近くに車を停めて(車の通りが少ないのでご容赦願いたい)、降りてそれを見た。それはたぶんコンビニで、ベンチやポストが置かれている場所まで映画のままだった。ただし、看板がない。聞いたところでは、台風で壊れてしまったからだという。『いくつかの台風が通り過ぎ、そのたびに島は涼しくなって……』今は春だけれど。


 その店に入った。始めて来る店、しかし、その店のことを、僕はよく知っていた。胸が騒ぐ。狭い店の中に並ぶ棚、壁面の冷蔵庫、蛍光灯の少しだけくすんだ明かり。全く何もかも、僕が見てきた通りだった。冷蔵庫に収められた飲み物、紙パック入りのコーヒー牛乳と乳酸菌飲料。その前に立っているだけで、そこに残された記憶の残響が、胸の奥底にまで届く気がした。


 ありもしない記憶。もっと端的に、物語と言った方がいいだろう。しかし結局のところ、その二つを区別するものなんてないのかもしれないと思った。この場に立って、あの場面、あの二人(あるいは一人)の姿、あの物語の一端に、確かに触れている気がした。何の変哲もない店、まあ離島というのは少し特別な感じはあるけれど、どうということもないただの日常が、静かに、目には見えないくらいに、ただしはっきりと、強く、輝きを放っていた。


 入口の近くに、僕と同じ目的でここを訪れた人がメモを残せるノートが何冊かあった。皆一様に、僕と同じような感動を味わったらしい。感動、手垢にまみれて色あせた言葉だけれど、結局他に選びようもないので、そう表現するしかない。いろんなところから来ているらしい。中には『カブで来た』という猛者もいた。外の人の書き込みがずっと多かったけれど、いくつかは、地元の人の、例えばついさっき通り過ぎた高校の生徒のメッセージもあった。


 ああ、そういう場所なんだ、そんなところにまで来てしまったんだと思った。空間的な距離の問題だけではなくて、日常と非日常、現在と物語の間にある皮膜のようなものを突き破ったところに来てしまったのだと。


 この場この時、僕のいる地点は単なる空間的な一点ではなく、そこに接してはいるけれども全く別の次元へと至ってはいないにしてもそこに向かって伸びる因果連鎖の糸に触れるような、そんな場所になっていた。折りたたまれた時間の織物の模様が、あるいは折り目がぴったりと合わせられ(もうどれだけ大仰になってもいいのでこのまま続ける)、少なくとも単線的な時間というものの存在からは想像力や記憶力の作用は自由になり、どこかずっと遠いところから、意識とか記憶とか認識とか感覚とかいったものが折り重ねられているのを見ている、そんな気分に陥っていた。

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