(2)西之表-1
西之表港を出てすぐの食堂に入った。向かいの郵便局の(相対的な)真新しさに比べると、塗装が剥げて端に錆の浮いた看板やコンクリートむき出しの建物の質感、民家の玄関のような引き戸の入口から受ける印象には、入るのを躊躇させられてしまった。しかしそのくらいのことは、離島という場所に足を踏み入れた時から、あるいはそんな場所に行くと決めたときから、十分覚悟していた。
店の中は、妙に暗かった。中年の男性と女性が一人ずついた。客ではないというのは一目でわかる。男性の方が元気よく出迎えてくれて、僕は少し、どんな態度でいればいいのか戸惑いながら席に座った。
何か定食を注文した。家で見たことがあるような素朴な小鉢が次々に運ばれてきて、テーブルの上にものすごい数の皿が並んだ。それで値段は七、八百円だったと思う。その値段と量に唖然としながら、箸をつけ始めた。卵焼きやら、漬物やら、トビウオの干物(初めて食べた)やら、野菜のお浸しやら、その他にも米も味噌汁も当然出てきて、いったい何が主役なのかわからない有様だった。
食べている間、真昼間なのに客はずっと僕一人だった。店の人の女性の方は奥(何かひどく雑然といろんなものが押し込まれているようだった)にいて、男性は僕の席の近くに立っており、よく話しかけてきた。
なぜこの島に来たのかとか(当たり障りなく、観光と答えておいた)、どうやって来たとか、どういう人がこの店に来たことがあるとか。
ほとんど自然光しか入っていないような明るさの店の壁には、カレンダーやらイベントのポスターとともに、たくさんのサイン色紙が飾られていた。そういうものにあまり関心がないので、話をほとんど聞き流しながら目線を向けていたら、一枚だけ、興味を抱かせるものがあった。それはある映画監督のサインで、そこには猫のマークと、『美しい島です』というコメントが書かれていた。
その人が監督した映画のロケハンに訪れたときに残されたものらしい。そして色紙の隣には、その映画に関する新聞記事が貼り付けられていた。その記事には、ロケの時にインタビューを受けたという人の話も載せられていた。
この島に来た目的の一つ――こんな形でというのを、明確に期待していたわけではなかったけれど――が、思いがけず、こんな形で、もう果たされてしまっていた。僕が水を向けると、店の人がその映画監督が来たときのことを少し話してくれた。もっと名の知れた某映画監督のようになるというようなことを言ったらしい。その映画がきっかけで島に来る人が多いということも聞いた。僕もその一人だったわけだ。映画が作られてから五年以上経っているというのに、まだそんなことを目的とした旅人が訪れているなんて。
その話をする男性の様子は、とても楽しそうに見えた。話題について楽しんでいるというよりは、たぶんそういう人だったのだろう。
その人が持っている島についての背景、経験してきたこと、感じてきたこと、そういうものが、その人をそうさせているような気がした。確かにきっと、美しい島なのだろうと、この時に持っていたわずかばかりの印象だけで、はっきりと分かるように思った。
食べ終え、話し終えて店を出る頃にはすっかり満腹になっていて、改めて出されたもののヴォリュームに感嘆していた。
宿に向かう前に、港の方に戻ってみた。贈る相手はいないけれど、どんなものが売られているか興味があったので。
待合所と土産物屋を一緒にしたようなところで、また感激することになった。映画に出てきた飲み物が売られていたからだ。一つはコーヒー牛乳で、もう一つはなんだかよくわからない乳酸菌飲料だった。たったそれだけ、その二つの紙パックを見ただけで、どんなに感激したかは全く言い尽くせないと思う。
だから自然と手に取っていて、港を歩き、人は誰もいない波止場で、コンテナの周りで寝そべっている(たくさんの)猫を横目に見ながら、ストローで吸って初めて味わったときには、本当にここまで来たんだ、こんなところまで、これほどまでに僕自身の生きていた日常から離れたところ、海峡をいくつも隔てた、文字通りの彼岸まで来てしまったのだと、改めて感じ入ることになった。