よくある詐欺の片棒担ぎ
時空法第五条第一項。
いかなる理由、いかなる手段、いかなる者であろうとも、時空を遡り歴史を改竄することはまかりならず。
時空法第五条第二項。
万が一、前項に違反する者がいた場合、事態発覚次第、時空法罰則規定第三条第五項に従い、時空警察による即時排除を許可する。
『送還座標補足。いつでも行けるよー』
インカム越しに呑気な声が届けられる。
真面目にやれと内心毒を吐きつつ、表面ばかりは真剣に、「レッド・ムーン!」とポムは傍らの少女を振り仰いだ。
吹き荒れる暴風にはためきこそすれ、その中身までは絶対に衆目に晒されないよう絶妙に設計されたスカートの下から、レッド・ムーンと呼ばれた少女は合図に従い武器を手にする。
赤みの強いピンク色をした武器、一見するとただの指示棒にしか見えない華奢なそれが、一瞬強い光を放った後に姿を変える。元の姿とは質量も体積もがらりと変え、配色だけは目に痛いピンク色のまま。
「っく、相変わらず凶悪な面構え……しかも重い!」
「バズーカ砲が軽かったら、衝撃に耐えられず自滅しちゃうポム! それでも一応、レッド・ムーン用に超軽量化されてるポムよ!」
「それでも、他になんかあるでしょー!」
文句を言いつつも、がしゃこんがしゃこんと砲身に付属した機器をいじるレッド・ムーンの手は迷いがない。
正面にいる黒ずくめの敵達は最強の武器の登場に俄かに色めき立ち、さらに操る風の威力を強くした。小柄な少女を、風で吹き飛ばしてしまおうというのである。
レッド・ムーンが見た目通りの少女であったのなら、吹き飛ばされまではしないものの、とても立ってなどいられなかったであろう風圧が全身を襲う。だが、彼女はへその辺りに力を入れることでなんとかその場に立ち続けた。それもこれも、今着ている戦闘服によって身体能力を底上げされているおかげである。
だが、レッド・ムーン自身はなんとか持ち堪えられても、周囲のものはそうもいかない。風に煽られ、周囲の店の看板が飛ぶ。これは堪らないと、作業の手は止めないまま、レッド・ムーンはひと言「ポム!」と自身の肩にしがみつく相棒の名前を呼んだ。
「わかってるポム。ロッタ、シールド展開ポムよ!」
『はいはい、お姫様』
「真面目にやるポムー!」
今度こそ、内心の絶叫をインカムのマイクに叫ぶポムだったが、耳のすぐ傍で叫ばれたレッド・ムーンに即座に「うっさいわよ、ポム!」の言葉とともに頭に拳をひとつ頂戴してしまった。とんだ災難である。
ひと際大きな「質屋又兵衛」という看板が飛んできた次の瞬間、間一髪で半透明の膜がレッド・ムーンの正面に展開し、彼女は咄嗟に詰めていた息をほっと吐いた。危なかった。後少し遅ければ、確実に当たっていた。
「ここを、こうして……これで、最後!」
かしゃん、と軽やかな音を立てて金具が落ちる。
徐々に光を集めはじめた砲身の先を、眼前に出現した照準に従い次々と敵にマークしていった。
五、四、三、二、一。カウントが終わると同時、展開していたシールドが溶けるようになくなる。
「未来に、飛んでけええぇぇ!!」
腹の底からの絶叫とともにまっすぐ伸びた光は、逃げ惑う敵を諸共に包み込み、文字通り未来の彼方まで吹き飛ばしていった。
きらん、と空の彼方で煌きがひとつ。無事送還が終了したという合図だ。それをしっかりと確認して、ポムは反動に堪えきれずへたり込んだレッド・ムーンの肩からひょいと飛び降りた。
「お疲れ様ポム! 美月ちゃ……じゃない、レッド・ムーンのおかげで、今日もなんとかダーク・ソルの手先を撃退できたポム!」
「お、終わった、ってこと……?」
「そうポム! 本当に助かったポムよ。流石、ポムの選んだ魔法少女ポム!」
放心していたレッド・ムーン――もとい、美月の表情に、徐々に赤みが戻ってくる。
魔法少女と言う割に最終兵器がピンクのバズーカ砲、そこに至るまでの戦いは殴る蹴るの肉弾戦だったじゃないかと突っ込みを入れるべきだったのかもしれないが、その時の美月はそこまで頭が回らなかった。
もっとも、ついひと月ほど前まで、そこらにいるごく平凡な女子中学生だった彼女が、いきなり魔法少女だの地球侵略を目論む悪の組織だのどう見ても赤ん坊サイズのぬいぐるみにしか見えない人語を話す謎の生物だのといったよくわからないものに囲まれて、冷静な思考を保てという方が無理な話でもあるのだが。
まん丸の大きな瞳いっぱいに感謝を込めて――比喩ではなく、ポムの瞳は大きい。顔面の八割を占めるのではないかと美月は疑っている――見上げられ、美月はえへへと小さく笑った。
ポムはいつだって全身で感謝を表現してくれる。これがあるから、やたらとふりふりでパンツが見えそうなくらい短いワンピース型の戦闘服だとか、殺傷力の高さは保証されそうだが歩行がかなり難しいハイヒールブーツだとか、総合するとかなり恥ずかしいコスプレにしか見えない格好で戦うのも、最近ではまあそう悪くないかもと思い始めていた。
もちろん、戦闘地域が主に地元市周辺であることから、顔バレ厳禁。認識阻害うんちゃらかんちゃらという特殊な目元だけ隠す仮面を身に付けるのは必須事項だ。こんな格好で得体の知れない恐らく成人男性と乱闘していたなどとご近所さんに知られたら、美月に平穏な明日は二度と来ないだろう。
両手を差し伸べて、美月はポムを抱き上げた。
毎日お風呂に一緒に入れてあげているおかげか、柔らかな体毛からは美月と同じシャンプーの香りがする。リンスに加えてトリートメントもし、さらにマッサージまで至れり尽くせりしているせいで、極上の触り心地になっていた。
はふうと息を吐いて、うりうりと頬を埋める。くすぐったいポム、という抗議の言葉は聞かなかったことにして、警察や自衛隊が駆けつけて来る前にと、美月は足早にその場を去った。
だから、知らない。
かろうじて戦闘の邪魔にならないような電柱の影から一部始終を見ていた学生服の少年が、彼女の後姿を見て呆然と立ち尽くしていたことを。
そして、彼の手には高性能高解像度のカメラ搭載を売りにした、スマートフォンが握られていたことを――。
*
「転職したい」
ドン、とカウンターにグラスを置いて、女はこのひと月幾度繰り返したかわからぬ愚痴を吐いた。
店内には落ち着いたジャズピアノ曲が、会話の邪魔にならない程度にかかっている。マスターの気遣いなのだろう。落とした照明は同席者以外の顔を窺うには難のあるものだった。
もっとも、現在店内にいる客は女ひとり。閉店五分前ともなればほとんどの客は帰路についていて、女のようにカウンターの向こうのマスターと浅からぬ関係でない限り、いつまでもぐだぐだと残っているようなタチの悪い客はそういない。半地下にあるとはいえ、繁華街の一等地。価格設定もそれなりのバーとくれば、客層がある程度弁えた者たちに絞られてくるからである。
グラスを磨きながら、マスターは相も変わらず管を巻く女に苦笑した。
これで酒を過ごしていれば仕方がないなと呆れもするが、妙なところで真面目な女はいつ何があっても良いようにと、普段からひと口だってアルコールを摂取しないのだ。注文もすべてノンアルコールカクテルばかり。つまり素面でこれなのだから始末に終えない。
「そうはいっても、なかなか良い成績じゃないか。このひと月で挙げた件数は十件以上。流石長官の秘蔵っ子だって、評判は上々だよ」
「そりゃあ、相棒が優秀だからね。協力的だし、頭もいい」
「何より、優しい?」
「そうなんだよねええぇぇ」
はあ、と女は深く深くため息を吐く。
そのまま、色気のないグレーのパンツスーツに皺が寄るのも頓着せず、カウンターテーブルにうつ伏せて、頬で冷ややかな温度を感じる。
アルコールを飲んではいないから、酔ってはいない。酔ってはいないけれど、少し頭を冷やして冷静になりたかった。
「いきなり現れた喋るぬいぐるみなんかの話、まるっと信じ込んじゃってさ……怪しすぎるでしょ、何さ魔法少女って。どう見ても魔法らしいことなんてしてないじゃない。……実際できないんだけど。ただのオーバーテクノロジーなんだけど。戦隊連中に配布してるパワードスーツの魔法少女モデルなだけなんだけど」
「まだ中学生なんだろう? 素直な子じゃないか。話を聞く限り、変にひねくれている様子もない」
「こっちが申し訳なくなるくらいいい子だよ。まあ、ちょっとお姉ちゃんっ子で甘えん坊なところはあるけども」
だが、当然そのくらい許容範囲、想定内である。
この仕事をする上で、必要不可欠なのは現地人の相棒。サポートならば幾らでもできるが、女自身が戦闘に参加する権限は与えられていないためだ。
女の手首には艶消しされた金属性のバンドがひとつ。つるりと凹凸ひとつ見当たらないそれは、現代人にとっての身分証明書のようなものである。
「私が直接、時空犯罪者を取り締まれればいいんだけど」
「過去の出来事に干渉するのはご法度。取り締まりの時にうっかり周辺に被害でも出そうものなら、木乃伊取りが木乃伊になる。そうだろう? 時空警察さん」
「現地人にパワードスーツだとか魔法少女変身アイテムとか貸し出してる時点で十分干渉してると思う今日この頃……」
「そこはまあ、法の抜け道ってところだね」
ことの発端は、某国でタイムマシンなるものが実用化されてしまったことだ。
過去と現在の往復のみが可能とはいえ、文字通り世界を変えることすら可能な大発明に多くの国が動き、争いになり、過去改変やタイムパラドックスなどが乱発し――このままで世界が滅ぶと、ようやく人類が気づいた時には、世界人口はピーク時の半数にまで減少していた。
それからまあ、いろいろあって。時空を遡り過去に干渉しようとする行為、通称時空犯罪を取り締まるべく発足したのが、国際組織時空警察。もっぱら過去の世界で活動するためその実態はほとんど一般に知られることはない。……知られてなくてよかったと、女、もとい、時空警察刑事、枇々木鈴は思うのである。
「犯罪発生地域に最も適した現地人の協力スタイル、どうして我が祖国は戦隊、魔法少女、ライダーなんですかね……」
「実際、上手に溶け込めてるじゃないか。ああ、この前の捕り物、現地人に見られていたみたいだね。ほら、SNSで動画が絶賛炎上中だ」
「っく、これだから一億総マスコミ時代の勤務は嫌なんですよ……!」
言いつつ、鈴は素早く専用端末を操作して現地協力者、美月に繋がりそうな情報がないかをチェックする。
どうやら魔法少女コスチュームに付属した認識阻害装置はうまく作動していたようで、いくらこの時代の最新鋭カメラで撮影された動画とはいえ、個人を特定できるレベルの画質ではないようだった。
むしろ、動画中にたびたび入る不自然なノイズを指摘され、合成だCGだと否定的な意見が多い。なお、彼女を性的に見たコメントをつけているユーザーは即座に特定し、粛々と通報した。セクハラ死すべし慈悲はない。
「技術畑出身として言わせてもらえば、早々この時代の人間に協力者たちの素性がバレることもないんだから、君はもっと肩の力を抜くべきだと思うよ」
「支部長は内勤だからわからないんですよお! アラサー女が奇怪な語尾つけてマスコットのアバターで仕事する羞恥とストレスが!」
わあっ、と再びカウンターに突っ伏す鈴。表向きバーのマスターとして過去世界に滞在する日本支部長は、やれやれと肩をすくめた。
「ところでそろそろ、追加戦士のご要望が本部から」
「奴らこっちの活動報告、ニチ〇サ扱いしてません!? 現地での臨時採用人員増やすなら追加で予算と正社員寄越せバカ! 最近は魔法少女ひとりにつき一マスコットが常識なんですよ!!」
*
「あー……飲みすぎた……」
いや、正確には喋りすぎた、だろうか。
深夜四時すぎ。店を閉めるからさっさと帰れと支部長に追い出され、鈴はようやく自分の部屋に戻ってきた。
女のひとり暮らし、誰に迷惑をかけるわけでもないのだが、久しぶりの休日を明日に控え、どうにも羽目を外しすぎたらしい。後で支部長にお詫びメッセージを送らなきゃなと、鍵穴に鍵を差し込んだところで隣室のドアが開いた。
「……こ、こんばんはー……」
「……あ……」
内心、うげ、と思ったことはまるっと隠し、ひとまず挨拶。なにせばっちり目が合ってしまった。
五階建てマンションの四階、ほぼ単身者が住むフロアで、あちらは角部屋。つまり相手にとっては鈴が唯一の隣人になるわけなのだが、今のところ、挨拶以外のことばを交わしたことはない。
目元まで隠れるぼさぼさの髪に、着古したスウェット上下。さっきまで寝ていたのだろうか。口元にうっすらよだれの痕が見える。
ドアを開けたまま固まる隣人に、なんでわざわざ出てきたんだろうなと内心首をかしげていると、さっと顔をそらされた。
「……あの、い、いまかえり、ですか……」
「はい、ちょっと。すみません、起こしちゃいましたか?」
あー相変わらずぼそぼそと喋るなあと。鈴は猫背のまま俯きがちに話す青年を眺める。
本部からの情報によれば、青年の名前は麻木十夜。在宅でコンピューター関係の仕事をする傍ら、趣味でイラストレーターを兼業。特に彼の描く女性キャラクターは評判が高く、夏冬の祭典では壁レベル……壁ってなんのことかわからないけど、まあかなりの人気絵師、という理解でいいのだろうか。
未来人として、過去世界の人間との接触はかなり慎重に行わなければならない。だからこそ、必要なのは情報だ。もちろん、隣人どころかこのマンション住民全てのデータを時空警察では把握している。
「お、僕も、今ちょうど仕事が一息ついた、ところで」
「そうなんですか。お疲れ様です」
「はい……」
沈黙。鈴はひくりと頬をひきつらせた。
どうもこの麻木十夜という青年、人気とは裏腹に自信なさげで人見知り、陰気な印象がぬぐえないのである。在宅仕事で身なりに無頓着なことは別として、きちんとした格好をすればそれなりの好青年に見えるだろうに。
「枇々木さんも、あの」
「はい」
「お仕事だった、ん、ですか?」
こんな時間まで、という麻木の心が透けて見えて、鈴は思わず苦笑をこぼした。
「いえ、まあ仕事はとっくに終わってたんですけど、明日は休みだー! って思って、ちょっと飲み歩いてしまって」
「え……と、それは……おひとりで……?」
「馴染みの店ばかりでしたから」
職場関係者の潜伏先へのご機嫌伺いも兼ねてなので、半分仕事だ。もっとも、最後に寄った支部長のところでは多少気が抜けて管を巻いてしまったけれど、そんなことは言わなければわからないことである。
そうですか、とうなずく麻木の真意は読めない。まあ気にすることでもないだろうと、鈴は鍵を回してドアを開けた。
とにかく眠い。こんなに遅くなったのは自業自得なのだけれど、今はとにかくさっさとベッドに入りたかった。当たり障りのない隣人との交流は、もう充分だろう。そう思ったのだ。
「それじゃ、おやすみなさい」
ドアの陰から、手だけを振って。麻木からの答えを待たず、鈴は自室に滑り込んだ。
だから、彼女は今日も気づかない。
閉まったドアの向こう。
冴えない陰気な青年の誰かと話すひとり言を、鈴が聞くことはなかったのだから。
*
「はあああああああああ……そっか、ひとり呑みか、そっか……そうだよな俺の鈴さんが合コンなんかましてやそのまま意気投合したチャラ男とホテルになんか行かないよなだって俺みたいな根暗な陰キャにだってあんなに笑顔で親切にしてくれる女神みたいな女性だもんなそんな尻軽みたいなことするはずないああでもおひとり様なんてしないで俺を誘ってくれればよかったのにいや行けないけどそんな外出れるような服なんて持ってないし絶対緊張して吐く萌えすぎて吐く無理でもよかったそうだよ鈴さんを寝取られるなんて未来はなかったんだふふふだって俺がきちんと変えてきたんだからああいきなり喋るぬいぐるみに勧誘されたかと思えば世界征服を企む秘密結社ダーク・ソルとか聞かされても正直めちゃくちゃ胡散臭いし同僚は今どきツインテールにツンデレとかテンプレすぎて痛々しい自称ロリとかダメンズ好きの熟女とか理解不能な体育会系マッチョとかしかいなくて地獄すぎるけどでもそれで鈴さんと結婚できる未来に変えられるなら俺悪の組織の幹部だって何だってやるよヴィーギー」
『勧誘した俺様が言うのもナンだが、オメー相当キモいな』
「ところで俺がもらえる幹部としての特殊能力って何? 魅了? 催眠? 洗脳?」
『秘密結社ってソーユーんじゃネーから』