パンナコッタ
パンナコッタを食べていた気がするが、今となってはそれが本当に食べ物だったかさえ怪しい。
彼のアトリエは海の見える高台の上にあって、急な坂をえっちらおっちら上っていかなくてはならない。
「疲れたでしょう?」そう言って彼はエールと一緒に件のパンナコッタを私に振舞ってくれたのだ。
「不便ではないですか?」そう言って私は彼に紹介状を手渡した。彼は紹介状を読みながら、椅子に腰かけ、まるで風で揺れている草のように体を左右に揺らした。
「そうでもないけれど、ねぇ・・・それで依頼の内容は?」彼の催促に私は用意していた資料を渡す。
彼は資料を読み、しばらくして首を横に振った。
「今更軍需用のキメラとか言ってもねぇ。もう今運用してる以上のものは期待できないと思うよ」
「しかし、あなたはキメラ研究で世界でも指折りの科学者。まだ資料にもある通り改善の余地が・・・」
「ないね」彼は断言した。
「安価で命令には絶対。姿かたちも人型、獣型、軟体、色々と作れる。カテゴリーはあくまでモノであり、人権や動物愛護とは無縁。スペックの低さはある一部の能力を特化させることによることで補え、ミッションによってそれに合ったキメラを作り使い捨てにすればよい」
彼は資料を机に放り投げ、伸びを一つした。「資料を読む限り運用する側の問題だと思うけれどねぇ」
「そうですか・・・」思い当たるふしがあり、ぐうの音も出ない。エールを一口飲んだ。
「おかわりいかがですか?」
気が付くとそばに和装の美女がたたずんでいた。
「ああ、あきたこまちちゃん。僕にもおかわりを」「はい。マスター」
その場を去る彼女の背を見ながら、彼に聞いた。
「彼女もキメラなのですか?」彼は首をひねる。「まあ、キメラ。とも違うのだけど」
彼はまじまじと私の顔を見る。
「擬人化ってわかる?」
「ええ、モノや現象をキャラクターにするあれですね」
「それで彼女はお米なわけだ」
「は?」
「お米を人に変えた」
「は?・・・そんなことができるんですか?」
「できてしまったなぁ」彼は遠い目をしている。
「素体の持つ性質を残しつつ、ガワだけ人の形にしている。記憶や人格にまで素体の影響を受けていることは非常に興味深いのだが・・・」
「それって自分はお米だと思い込んでいる人間とはどう違うのですか?」
「なめるとお米の味がするな」
「体液がお米の味がするキメラですか?」
「キメラは基本素体に生物を使う。無機物は使えないからな」
改めて目の前の人間が天才なのだと気づく。
「ただまあ、もちろん問題もあって」
それはそうだろう。まだ世界に知られていない未知を彼は突き進んでいるのだから。
「どうにも作ってるうちに気づかず自分好みに作ってしまっているのか、肉体関係を持ってしまうな。普通にキメラを作っているときはそんなことはなかったのだが」
「は?」
「今では嫁が三桁になった。毎晩体がもたんよ。あと、そうだな。何でもかんでも人にしてしまうものだから、ものを食べられなくなったな」
毎晩自分好みに作ったキメラをとっかえひっかえしているとは、人によってはヒステリックに叫びかねない内容である。
「なんというか、今まで平気で牛肉を食べていたのに、トサツ場に行ってから食べれなくなったような感じだな」
それから彼とたわいもない話をした。辺鄙なところで客が来るのが珍しいそうで、仕事の話は残念だったが、またいつでも来てほしい、歓迎すると彼に言われた。
それから彼の夕食への誘いを断って、彼の家を後にするのだった。
日は傾いていた。
そして、高台にある彼の家を見上げ、ふと疑問に思う。
彼は何を食べて生きているのだろうか、と。




